福岡県宗像市。
私の育った場所。
高々しいビルが建ち並ぶ都会ではなく、
海や山に囲まれた小さな町。
何をするにしても、時間と労力がかかる不便さと田舎臭いその小さな町は、大学卒業まで大嫌いだった。
その小さな町は私にとって悪い思い出が多すぎだし、オシャレが好きな私にとっては田舎臭さが本当に嫌だった。
大学卒業したら絶対東京に行って華やかに暮らしてやる!
そう胸に決めてた。
けど、そんな小さな町に一つだけ私にとって心安らぐ場所がある。
隣町にある福間海岸だ。
小さい頃から訪れていたが、その海岸が心安らぐ事に気づいたのは高校3年の冬だった。
10月。
大学も決まり、全てが順調に思えたが、その頃の私が抱える問題が大きすぎて、悲しくて、苦しくて、辛くて…けど、誰にも言えなくてただその問題に耐え続けていた。
問題の一つは、家族問題。
私が中学の頃、2つ上の兄が高校受験に失敗したと同時に、それまで優しかった父親が、厳格な人間になり、父親は兄に厳しく当たった。
兄は父親の厳しさから不登校ぎみになり問題ばかり起こし、そのたび兄と父親はぶつかり合い、母親は兄と父親の板挟みになって毎日泣いていた。
母親の唯一の頼み私であって、いつも言われる言葉は、
あんただけは問題を起こさないで、
あんただけはパパを起こらせないで、
あんただけは成績を良くして。
だった。
泣きながらすがる母親の姿を見ると、
私に自由は無い。
と思った。
高校に上がったら何をしよう?
といろいろと期待していたが、その期待も中学の時に捨て、成績の事だけを考える事にした。
高校に上がり、最初の前期テストで学年一位を取った時、父親も母親も喜んで誉めてくれた。
その時だけはあの優しかった父親も戻り、その日の私の家は暖かかった。
それから私は二人の笑顔が見たくて3年間、勉強だけを頑張った。
おかげで3年間、学年一位でいることができたが、父親からはなにも言われることはなかった。
誉められることもなかった。
あんなに泣いてすがっていた母親からも誉められることはなかった。
父親も母親も、視線の先には兄にあったからだ。
兄が、いつまた問題を起こすのか、そればかり気にしていた。
けど、兄だけは私を気にしていた。
それは誉めるとは全く意味が違い、私へのひがみから時折、暴力を振るった。
時折起こるその場面を見た父親や母親は暴力を振るう兄より、どうして兄を怒らすんだと、私を責めた。
私はただその言葉を受け入れるしかなかった。
言いたいこともたくさんあった。
けど、私の言葉には耳を貸してくれないのは分かっていた。
成績を落とせば、父親や母親から責められ、
成績を上げれば兄から暴力を受ける。
どちらに転んでも私に安らかな場所はなかった。
私も母親と同様、板挟み状態だった。
だから早く大学を決めて家を出たかった。
けど、父親から大学は福岡県内だと決めらた。
理由は兄が県外の大学に行ったからだ。相変わらず、大学にはあまり行ってない様子だった。
私はあの嫌な場所を抜けることは出来なかった。
そして、高校3年10月。
私は九州産業大学芸術学部に受かった。
合格通知を見た時、ほっとした自分がいた。
大学も決まり、少しは自由になれる気がした。
けど、父親からは卒業までは成績を落とすなと釘を刺された。
私は限界だった。
ずっと家族の機嫌を気にしながら生きていく感じがして苦しくなり、その次の日、学校が休みなのを利用し家出を決意し た。
母親には友達の所に泊まりに行くと嘘を言い、父親には見つからない間に出た。とりあえずあの場所から離れたく、都心の天神に行くことにした。
天神に着いたのは良いが、まだ高校生の私の所持金は三千円くらいしかなく、何も出来ずに天神の警固公園で途方に暮れていた。
これからどうしよう…
と、考えながら周りに目をやった。
夜18時頃。
辺りは薄暗く、公園の電灯や近くのデパート明かりが公園を照らし、
ベンチに座っている人、
スケボーをする人、
ギターを弾く人、
歌を歌う人、
みんな楽しそうな人ばかりだった。
そんな中にいる私は孤独を感じた。
家で感じる孤独感。
それを外に出ても感じるとどこにいても自分の居場所は無い気がした。
帰ろう。
結局、どこにいても孤独は感じるならまだご飯や寝る所がある方がいい。
そう思い、公園のベンチから立ち去ろうとした時、aikoの歌が聞こえた。
当時、私はaikoが大好きだった。
乙女チックなaikoの曲を聴いていると違う世界に連れてってくれるような気がしてた。
しかも歌声は男の人の声だった。
気になってその歌声の方に行くことにした。
aikoの曲を歌う男の人ってどんな人?
と思い着いた場所には見るからに優しそうな細めの大学生くらいの人がいた。
私の育った場所。
高々しいビルが建ち並ぶ都会ではなく、
海や山に囲まれた小さな町。
何をするにしても、時間と労力がかかる不便さと田舎臭いその小さな町は、大学卒業まで大嫌いだった。
その小さな町は私にとって悪い思い出が多すぎだし、オシャレが好きな私にとっては田舎臭さが本当に嫌だった。
大学卒業したら絶対東京に行って華やかに暮らしてやる!
そう胸に決めてた。
けど、そんな小さな町に一つだけ私にとって心安らぐ場所がある。
隣町にある福間海岸だ。
小さい頃から訪れていたが、その海岸が心安らぐ事に気づいたのは高校3年の冬だった。
10月。
大学も決まり、全てが順調に思えたが、その頃の私が抱える問題が大きすぎて、悲しくて、苦しくて、辛くて…けど、誰にも言えなくてただその問題に耐え続けていた。
問題の一つは、家族問題。
私が中学の頃、2つ上の兄が高校受験に失敗したと同時に、それまで優しかった父親が、厳格な人間になり、父親は兄に厳しく当たった。
兄は父親の厳しさから不登校ぎみになり問題ばかり起こし、そのたび兄と父親はぶつかり合い、母親は兄と父親の板挟みになって毎日泣いていた。
母親の唯一の頼み私であって、いつも言われる言葉は、
あんただけは問題を起こさないで、
あんただけはパパを起こらせないで、
あんただけは成績を良くして。
だった。
泣きながらすがる母親の姿を見ると、
私に自由は無い。
と思った。
高校に上がったら何をしよう?
といろいろと期待していたが、その期待も中学の時に捨て、成績の事だけを考える事にした。
高校に上がり、最初の前期テストで学年一位を取った時、父親も母親も喜んで誉めてくれた。
その時だけはあの優しかった父親も戻り、その日の私の家は暖かかった。
それから私は二人の笑顔が見たくて3年間、勉強だけを頑張った。
おかげで3年間、学年一位でいることができたが、父親からはなにも言われることはなかった。
誉められることもなかった。
あんなに泣いてすがっていた母親からも誉められることはなかった。
父親も母親も、視線の先には兄にあったからだ。
兄が、いつまた問題を起こすのか、そればかり気にしていた。
けど、兄だけは私を気にしていた。
それは誉めるとは全く意味が違い、私へのひがみから時折、暴力を振るった。
時折起こるその場面を見た父親や母親は暴力を振るう兄より、どうして兄を怒らすんだと、私を責めた。
私はただその言葉を受け入れるしかなかった。
言いたいこともたくさんあった。
けど、私の言葉には耳を貸してくれないのは分かっていた。
成績を落とせば、父親や母親から責められ、
成績を上げれば兄から暴力を受ける。
どちらに転んでも私に安らかな場所はなかった。
私も母親と同様、板挟み状態だった。
だから早く大学を決めて家を出たかった。
けど、父親から大学は福岡県内だと決めらた。
理由は兄が県外の大学に行ったからだ。相変わらず、大学にはあまり行ってない様子だった。
私はあの嫌な場所を抜けることは出来なかった。
そして、高校3年10月。
私は九州産業大学芸術学部に受かった。
合格通知を見た時、ほっとした自分がいた。
大学も決まり、少しは自由になれる気がした。
けど、父親からは卒業までは成績を落とすなと釘を刺された。
私は限界だった。
ずっと家族の機嫌を気にしながら生きていく感じがして苦しくなり、その次の日、学校が休みなのを利用し家出を決意し た。
母親には友達の所に泊まりに行くと嘘を言い、父親には見つからない間に出た。とりあえずあの場所から離れたく、都心の天神に行くことにした。
天神に着いたのは良いが、まだ高校生の私の所持金は三千円くらいしかなく、何も出来ずに天神の警固公園で途方に暮れていた。
これからどうしよう…
と、考えながら周りに目をやった。
夜18時頃。
辺りは薄暗く、公園の電灯や近くのデパート明かりが公園を照らし、
ベンチに座っている人、
スケボーをする人、
ギターを弾く人、
歌を歌う人、
みんな楽しそうな人ばかりだった。
そんな中にいる私は孤独を感じた。
家で感じる孤独感。
それを外に出ても感じるとどこにいても自分の居場所は無い気がした。
帰ろう。
結局、どこにいても孤独は感じるならまだご飯や寝る所がある方がいい。
そう思い、公園のベンチから立ち去ろうとした時、aikoの歌が聞こえた。
当時、私はaikoが大好きだった。
乙女チックなaikoの曲を聴いていると違う世界に連れてってくれるような気がしてた。
しかも歌声は男の人の声だった。
気になってその歌声の方に行くことにした。
aikoの曲を歌う男の人ってどんな人?
と思い着いた場所には見るからに優しそうな細めの大学生くらいの人がいた。