日本という私達について | アカシックレコードの仲介者として貴方の前世が見え聴こえます


日本は小さな面積の国です。しかし「日本が東洋の果てにある無力な国」とは思っていません。また「自分たちが世界の中心である」とも思っていません。

従軍慰安婦問題について意見を述べる時、私たち一般人の意見は一致したものではありませんでした。それは二つに分かれていました。ただ堂々と意見を言う人たちの多くは、その問題に対して否定的でした。もう一方の意見を持った人たちは心の中で「私たちは間違っていた」「なぜ日本政府が、また人々が、その様な無慈悲な態度をとるのかわからない」
と困惑していました。しかしその声は押しつぶされてしまうのです。無言の圧力によって、また自らの弱さによって。

私たちの政府がその問題に積極的に取り組み、また謝罪の姿勢を示すと決めた時、
問題解決に否定的だった人々は、ぴたりと黙りました。「指導者たちが決めた事」に逆らわず一致団結することで、この国は底辺から立ち直ってきたのです。まあそれも私という一つの小さな脳みそが思った事ですが。

中東の難民問題に対しても「あなたはなぜそこまで援助しようと思うのか」「私たちが出来る範囲で行えばいいのだ」と言われました。しかし私たちは心のどこかに追いやるのです。
「人の命」は「小さな努力」では救えないと。

私は難読症です。あまり難しい内容は読むことが難しいです。しかし自分の書いた文章は読めます。まだその症状になる前、私は学生の時、「ヒューマニズムの崩壊」という本を読みました。著者は戦時中に捕虜となった白人の男性です。自分たちに不当な扱いをする日本人について書いたものです。そこには確かこうありました。「日本人は自分の国の人間を大事にしない。そんな国が他国の人間に対して正当に扱えるわけがない」

はたして「正しい政府」などこの世にはないかもしれません。「正しい意見」もないのかもしれません。しかし私は思うのです。慈愛に満ちた存在は消されるものだと。一個人が社会に対して果敢に挑むのは良い事だけれど、その戦意を「どこかにいる弱き人々」に対しても、使ってはいけないのだと。

私の稚拙な意見ですが、これを最後まで読んだ方々に感謝いたします。

ありがとう。