今夜は千駄ヶ谷の国立能楽堂で能を楽しんできました。
演目は喜多流の「田村」で、日本史にも出てくる平安時代初期の武将、坂上田村麻呂が主人公の修羅能です。
修羅能の多くは合戦で命を落とした武士の霊が、その合戦のさまや修羅道に堕ちて苦しんでいるさまを表しています。ですから源氏に敗れた平家の武将が主人公になっていることが多いのです。
しかし、この「田村」は敗軍の将ではなく、東北制定など輝かしい武勲を誇る将軍が主人公ですから「勝修羅」と呼ばれています。
私は能の中ではこの修羅能が大好きですが、勝修羅を見るのは今日が初めてです。
先ほど書いたように修羅能は死後に修羅道に堕ちた武将が、その苦患を表しているものですので、どうしても勇壮さの中に悲壮感のようなものが感じられます。
しかしこの「田村」は坂上田村麻呂の鈴鹿山の鬼神退治と自らが建立の助力をした清水寺の賞賛を中心に描かれており、もちろん悲壮感は感じられませんし、勇壮さの中に明るささえ感じられました。
「祝言の修羅」と称されて江戸時代に武士の間で重んじられたのも納得の能です。
参考
「国立能楽堂 第305号」
「面からたどる能楽百一番」淡交社