こんばんは。


娘、昨日やっと回復して、今日は学校へ登校しましたおねがい

体力がかなり落ちてしまったので、放デイはお休みにしました。


一週間振りの登校になってしまったので、昨日から行き渋り、今朝も嫌々でした悲しい


でも土日もしっかり休養するので、リハビリも兼ねて、今日は頑張らせました。


天気予報で今日の最高気温30度とびっくり


運動会の練習で、疲れてしまうんですよね…タラー


帰宅後、食欲あり元気だったので良かったですおねがい


先週木曜日の高熱から始まり、月曜日には熱は落ち着きましたが、まだ学校に登校出来る状態ではなかったので、しばらく自宅療養していました。


徐々に元気になってくると、『ママ!○○やって!』『ママ!』『ママ!』と要求の嵐煽り


そして、学校ではしなくなり、自宅でするようになった白いイヤーマフ(防音用)をつけて、『しろ』『しろ』と私に同じことを言わせます。


言わないと、『ママ、お話ししよう』と言ってきます。


娘はお話していると思っているんです驚き


お話というと、娘が4才のときのことを思い出します。

療育センターの主治医の反対を押し切って、『幼稚園に2歳半の子を入れるのと同じことですよ!!』とまでいわれましたが、、、

悩んだ末、近所の幼稚園に途中から入園させました。

年少から年長までの健常児のお子さん100人くらいの中に、障害児は娘1人という環境の中でした。

言葉や遊びなど健常児のお子さんから少しでも吸収して欲しいという、親の願いから選択しました。

約2年間通いましたが、疲れから体調不良になって入院したり、お休みする事も多かったです。

でも園では、お友達が関わってくれたり、先生方にもよく見ていただき、娘はいつも楽しそうでしたニコニコ

療育の主治医からは、診察の度、嫌みをいわれましたが…タラー


幼稚園の時点では、娘から言葉が出ることはありませんでした。


娘の様子を見ていて、不思議に思うお子さんから、『み○ちゃんのママ、どうしてみ○ちゃんはお話出来ないの?』と聞かれたりしたこともありましたが驚き


大変ではあったけど、良い経験をさせていただいたと思っていますおねがい



その後、娘が言葉を言い始めたのは小学校一年生の始め頃でした。

『ママ』『パパ』から始まり、『ジジ』『ババ』そのうち物やお友達、先生の名前など言うようになっていきました。


あの頃はとても嬉しくて、本を沢山読んだり読ませたり、スケッチブックに単語を沢山書いて読ませたり、親は夢中でしたね泣き笑い


小学校3年生になると、娘の話した言葉と同じ言葉を私にも言わせる要求が始まりました。

その頃は滑舌が悪くても、ある程度は娘の言いたいことが分かりました。


5年生になると、『バス』『○○ちゃん』『あさ』『髪の毛』『縛ってた』『帰り』『ゴムしてなかった!』など具体的になってきました。

同じこと繰り返し言ってますが…(^^;)


その頃から、50音表のタブレットを使って娘とのコミュニケーションは、何とかとれていました。


なので、娘からの同じことを言わせる要求は、かれこれ4年間続いてますネガティブ


始めの頃は、何度も何度も同じことを言わされる事に、イライラしてしまう事が多かったんですが、

今では家事などしながら応えているので、私もすっかり慣れてしまったようです汗うさぎ


とは言っても、本当に忙しい時は『今はダメ!』『後で!』と怒ってしまうときもありますあせるあせる


それでも、諦めずというかしつこく要求は続きます…ネガティブ


ほぼ毎日、泣いたり、怒ったり、荒れたり、自傷はするしで、私の心も疲弊して落ち込む事もありましたが、


私が癌になった事をきっかけに、ブログを始めて、同じ癌になられた方々や別な病と戦っている方との繋がりが出来て、

さらに障害を持つお子さんを育児されているママさんとも繋がりが持てて、

皆さんのブログも沢山拝読させていただいていますラブラブ

勉強にもなり、励みにもなり、元気を沢山いただいています。


ありがとうございますおねがい



自宅療養中に、担任から連絡がありました。


学校での様子などの話になり、『最近のみ○さんは、嫌な事、やりたい事などハッキリ言えるようなって、意思表示するようになってきましたよ』とびっくり


『この前も給食の後片付けお手伝いしてくれる?と聞いたら首を横に振って『やらない』と言ってました』と。ガーン

私 『家でやってないのバレバレですね』笑と。

でも少しホッとしました。


もっともっと自分の気持ちを家の中だけでなく、学校やデイさんでも表に出せるようになって欲しいですおねがい




昨日、元気になった娘とワンコと一緒に公園でお散歩してきました🐕️