Vol.15 「昔、是銀、今、虎銀」 | ノムラ證券残酷物語

Vol.15 「昔、是銀、今、虎銀」

58年入社の私が最初に配属された虎ノ門支店について少し話しておきます。虎ノ門支店は、確か、55年に浜松町支店を閉鎖して、森ビル群に中小企業がひしめく虎ノ門界隈をターゲットに出来た戦略大型店舗で、ちょうど57年から実施されたノムラ證券のの第二次中期計画で預かり資産拡大運動大キャンペーンで、預かり資産が当時6~8兆円程度だったものを3年間で20兆円の預かり資産にするという目標の、58年当時、その戦略の基幹店舗の一つでした。


支店開設してから3年程度で歴史の浅い支店したが、既にノムラの首都圏本部の中では、常に1~2位の収益成績を上げている店でした。首都圏本部には当時銀座支店、新宿ノムラビル支店などの大型店舗で営業成績良好な支店があり、またこれに本店営業部もあわせて、支店同士が熾烈な営業成績の戦いを繰り広げていました。ノムラの凄さは、恐らくこの当時支店間の強烈なライバル争いがベースにあったのでは無いかと思います。


さて、私が入社した当時、業界紙(株式新聞とか証券新聞など)の紙面でこんなタイトルが何度か紙面を踊っていました。「昔、是銀、今、虎銀」この昔は「是銀」と言うのは、最後の大物相場氏と呼ばれた「是川銀蔵」氏のことを指し、「虎銀」というのは、ノムラ證券の虎ノ門支店と銀座支店のことを指すのでした。その昔、自分自身で調べて金の高騰を予期し、住友金属鉱山の株を大量に買占めて兜町にその名を知らしめた個人の大物投資家の是川銀蔵氏は80年代に入り熱海からほとんど出てこなくなった(相場の世界ではあまり声を聞かなくなっていた)のですが、その代わりに、今(当時)はノムラ證券の虎ノ門支店や銀座支店が推奨している銘柄が良く当たる=値上がりするという意味の新聞の見出しでした。


私が入社した当時、虎ノ門支店では「日本曹達」(4041)という銘柄を集中して取り扱っていました(事実は完全な買占め=証券取引法違反でした)。銀座支店では、アマノ(6436)をある大物仕手筋と一緒になって買占めており、確かに双方とも強烈な値上がりを見せていました。


入社当時、新規の顧客が出来る度に全ての顧客に対して、我々末端の構成員は、全ての客に対して、日本曹達を推奨することを義務付けられていました。事実、私の顧客の預かり資産の全ての銘柄は、日本曹達になっており、更に少し値上がったからといって、あるいは顧客が売りたいと言っても支店の許可無く勝手に一切売ることは禁じられていました。今考えると単なる社内の脅しですし、明らかに株価操縦でしたが、その統制は厳しく本当に過酷なものでした。もし、本当に顧客が現金化を希望し、売りたい事情があった場合(顧客を説得できなかった場合)、担当の営業マン自身がその売り玉に対する同株数以上の「買い注文」を新規あるいは既存の顧客からもらってきて、絶対に値段を下げることは許されませんでした。


顧客が売り注文を出すということは、買い物が虎ノ門支店から出ない以上、市場で吸収する以外方法はありません。この銘柄は当時虎ノ門が支配していると市場で知られていた以上、ほとんどの売買は虎ノ門からコントロールされていて、高値から下げている状況下の場合、ちょうちん筋(市場の噂や値上り銘柄に追随してくる投資家)が入ってくることはほとんど無く、自分達で買い支えるしかありませんでした。浮動玉(大株主以外の現物株比率)を全て1支店単独ので買占め、信用の買い残高もほぼ管理しており、株価は350円前後から数ヶ月で755円の高値をつけて、その後100円以上下り何とか値をこらえている状況でした。(続く)