Vol.14 「夏は海に!」 | ノムラ證券残酷物語

Vol.14 「夏は海に!」

今日偶然に会社を訪ねてきた現役のノムラ證券の若手と話す機会がありました。少し仕事とは関係の無い話をわざとふってみたのですが、今のノムラは昔のノムラとは別な会社のような気がすることがいくつかありました。


以前ここでも書いたと思いますが、当時私が勤めていた頃は新入社員は全員寮生活で、確か、結婚するまでか、管理職(課長)になるまで寮生活を原則義務付けされていました。しかし、今のノムラ證券は入社1年後は希望があれば一人住まいが可能なんだそうです。今日会った入社3年目の若手も都内に一人でマンションを借りて住んでいるそうでした。


また新人は全員支店配属という「営業のノムラ」の精神は?過去のもので、今は全く無いのでしょうか、最初からIB(インベストバンキング)部門への配属とか、なんか格好良いですね。でもそんなんで本当にあの!ノムラ魂は生まれるのでしょうか?なんて余計なお世話ですが…


さて、飛込み営業の初日に同期のT中君は「茶でもしばけへんけぇ~」と言って大物振りを発揮しましたが、どう考えても普段話しているとただのボケ男だったですし、電話営業の内容も全く無い!のですが、彼の営業実績は不思議と一本釣りで大物、それも超~大物顧客を釣り上げてきていました。


新人はまず暑く厳しい飛込み営業で毎日100枚の名刺獲得をノルマとされました。朝から晩まで名刺配りと名刺集めをしたって、1件5分でも1時間で12名の人にしか会えません。8時間でも96人の名刺しか集められないのですから、だいたいこんなノルマ自体がそもそも狂っているのですが、当時全くそんな計算はできませんでした。一日本当に真面目に回っても50枚か60枚の名刺を集めるのが精一杯で、優しいお客様に当たって「お茶でも飲んでく?」って30分も座って話をしていると、そんな日は一日20枚も行かない日も何度もありました。


夕方会社に戻ると、今日会った全ての名刺をインストラクターのH田主任に見せることになります。ベテランのH田主任は、お金持ちや目ぼしそうな見込み顧客の名刺を見つけると「この人はどうだ?」とか必ず反応して、どんな会話があったのか確認します。内容のチェックと、枚数のノルマの達成度合いと顔色をチェックして新人の様子を確認し名刺を全部見せ終わると、最後に明日の準備(週報の補給とか名刺の補給)をして、今日集めた名刺を全部タイムレコーダーで日付を打ち込みます。


このタイムレコーダーが曲者で、何故タイムレコーダーで日付を打ち込むのかと言うと、新人はこの飛び込み営業&名刺集めでは何れ必ずバテてサボるので、名刺にタイムレコーダーを入れていないと、サボった日などは以前集めた名刺を出してきて、今日集めたような顔をして見せたりするからなのですが、本当によく管理されたシステムでした。ただ、H田主任が研修などでいない日は、他の先輩が最後の打ち合わせを代理したりしたのですが、適当な先輩の時は、タイムレコーダーを打たずにこっそり隠しておきました。


数枚ずつ毎日H田主任には見せずにタイムレコーダーも打たずに貯めておいて20枚分位貯めると、1週間に1度は新橋のガード近くのエロ映画館で半日サボって寝ていたのがいつも同期のT中君で、「K村ぁ~今日の映画は良かったでぇ~」って内容を話してくれるのですが、私も一度だけ付き合ったことがありましたが、昔の日活のロマンポルノみたいな3流映画でただの暇つぶしには良いのですが、それにしても映画館はサボっている営業マンで一杯だったことが懐かしく思います。


挙句の果てには、事前に3人で計画して、毎日5枚ずつとかタイムレコーダーを打たない名刺を貯めておいて、50枚位貯めておいた日に、3人でグルになって朝9時過ぎに支店を出て新橋から電車に乗って三浦海岸までサボりに行って、夏近くに一日海で遊んだこともありました。この「海への一日逃亡計画」の発案者もT中君でした。


ただこの海への逃亡計画は、夕方3人が支店に戻った時に、全員真っ黒になっていてバレバレで課長を含めてこっぴどく叱られて、二度と実行されることはありませんでした。T中君のせいでした…(続く)