先日書いていたブログを読んで

ああ、何だか自分らしくないなあなんて

思ってしまった。

 

 

人生主観が優先でいいと思うの。

 

合理的じゃなくていい、

自分がどうしたいのかね。

 

自由には代償が付き物で

それを負いたくないから

自由と統制のちょうどいいところを

取ろうとする。

 

 

それでも自由に一歩踏み出せない人って

たくさんいます。

 

社会、両親、友人

それらに迷惑をかけないよう、

またバカにされぬようまともに生きる。

 

それを強く望まれ続ければ

そうしなければならないという義務を感じ

自由から離れた生活を送るようになる。

 

 

そんな生活に不満を感じつつも

自由の世界に逸脱できないのは

自由に生きたら幸せになれない、具体的には

お金がなくて困るだとかが大きいと思うけど

そういうステレオタイプの呪縛?

 

そして何より

自分自身今の生活に

それなりに満足しているっていうのが

どこかに少しでもあるからだと思うんです。

 

 

自由に生きれば幸せか

毎日仕事ばかりでは苦痛か

そんなことは別に思っていないです。

 

今を変えたい、変わりたい

っていう気持ちがあるのに

行動に移せない人は、変わるのをやめて

 

変化を行動に移せなくて困ってるって

一歩踏み出す勇気がないって

誰かに相談するくらいなら大丈夫

 

あなたはその道を今のまま

進んでいく、その先に

幸せが必ずありますから。

 

私は欲深いので

毎日変わってないと嫌です。

 

そういう人もいる中で

変わらないということは

変わる必要性がないということだと思うの。

別に必要に迫られていないってこと。

 

 

自由人と呼ばれている人はたくさんいます。

その人たちの生活をたくさん見ればいい。

 

自分にはこんな生活できない

こんな風には生きていけない

そう思えばあなたは自由人には向いてない。

当たり前だけど。

 

でも、裏を返せば

会社や組織に入ってお金を稼ぐことに

向いてるっていうことです。

 

 

あなたの存在は客観で決まるけど

歩く道は主観で決めるもの。

 

潜在的な主観が

変化に歯止めをかけているなら

変わる必要なんてない。

 

そんな人が現状を変えれば

自由の世界に飛び込めば、

必ず後悔することは目に見えてる。

 

生きていることに対する意味や目的、価値

 

自分自身に絶望している人は

自分にはたったひとつも

何もないと思っているんでしょう。

 

たとえ誰かから、生きていることに

意味や目的を与えられたとして

 

重大すぎた時には「どうせ私たちは成し遂げられない」と嘆く、逃げる。

軽少すぎた時には「ああ、もう完遂してしまった、もう意味も目的もないんだ」って

また落胆する。

 

それでも不思議なことに欲は生まれてくる。

何のため生きているのかもわからないのに、

空腹は進行する、瞼は閉じかけ頭は鈍る。

 

そして自分が生きていることに対する価値

無力な自分、自分は何をやっても

うまくいかない、

無駄に空腹を満たして空気を吸うだけ。

そう思っているんでしょうね。

 

 

 

意味・目的・価値ってビジネスの場でも

よく言われることだけど

ほら

・コレをする意味は

・なぜするのか(目的は)

・どのような価値を生むのか

っていう定番のあれです。

 

意味・目的・価値

この3つが実は

2つに分けられるってお気付きですか。

 

 

意味や目的は自身で決めることだけど

価値ってあなたが決めることじゃない

 

価値がないなんて

自分自身で思うこと、考えることじゃない。

 

あと、意味とか目的は自分で決めること

なんて言ったけど

別に決めなくてもいいと思います。

 

完全無欠で崇高な意味や目的なんて

絶対見つけ出せませんから。

 

『完全』って自分だけじゃなくて

人様の判断を孕むものですから。

 

自分が100%いいと思ったものの

脆弱さと言ったら。

私だけではなくて

皆深く理解していることでしょう。

 

だから

自分が主観で決める『意味や目的』に

『完全』なんて有り得ない。

 

 

そう考えると、ビジネスの場で

完璧にはなり得ないにも拘らず

考えられている

『意味や目的』

 

そして客観的判断をなされるはずなのに

勝手に主観的に捉えられている

『価値』

 

それらを導き出すことには、どういった

『意味・目的・価値』があるんでしょうね。

 

 

意味と目的と価値

なくても私たちは生きているじゃないですか