私達は、過去世から引き継がれた「宿命」があります。私は何回か数人の近親者の過去世を知り合いの霊能者達に見てもらった事があります。それらの結果は、将に「過去世から引き継がれた宿命を現世で生きている」と言えるものでした。即ち、鳶が鷹を生むというような人生を送る人はいないという事です。過去世と似たような人生、殆ど定められた人生を送る可能性が高いと言えます。お金なども、使える額は決まっているという事です。但し、人生を変える要素もあります。それは「運命」と「仏様」です。人生には様々な運命があります。人生の転機で「より良い運命」を選ぶことが出来れば、より豊かな人生を得る事が出来ます。例えば、「大学を選ぶとき」、「就職する時」、「結婚する時」、「家を建てる、選ぶ時」、「信仰をする時」、「先祖を供養する時」などです。宇宙大生命は、私達一人一人の行為をご覧になっており、その人に応じた人生(お役目)を与えます。特別なお役目を頂く人はそんなに多くは在りませんが、例えばある霊能者の方は「ご神仏と衆生を繋ぐパイプ役」を与えられており、私は75才位になって「やっと正道を歩けるようになったとして」大変大事なお役、生涯のお役を頂いています。ですので、前世とは全く異なる人生となっています。残された人生がどんな人生になるかは分かりませんが、これ迄と劇的に異なった人生になる可能性が有ります。私達の目標は「宇宙大生命に尽くす事」ですので、それが少しでもできればこの上ない幸せと言えます。真摯に、一生懸命お役目を果たしたいと思っています。
FBに次のような投稿がありました。投稿文章、『神戸で小学生の連続殺人事件が起きて、我々の心を大きく揺るがせて間もない頃、夜のニュース番組で討論する大人たちのあーでもない、こーでもないという堂々巡りを聞いた後、スタジオにいた若者が何か意見はないかと司会者にふられて「どうして人を殺しちゃいけないんですか?」と誰も予想をしなかったような疑問を発し、一瞬大人たちをフリーズさせた。以来この問いは日本の言論界、哲学界で大きく取り上げられるようになった(宗教界ではどうだったのだろう。まじめに取り上げること自体、しなかったのだろうか)。
「何をしてはいけないか」というのは法律でそのように決まっているからなのか。あるいは倫理や道徳でそのように言われるからなのか。それともお釈迦様やイエス・キリストがそう言っているからなのか。その番組に出ていた大人たちは一瞬唾をのみ込んだ後、「これだから最近の若者は駄目なんだ。嘆かわしい!」、「教育がなっとらんのだ。管理、権利ばっかり言い立てる若者を生み出している」、「日教組が日本の若者を堕落させた」というふうに蜂の巣をつついたように急に堰を切ったように言葉をつむぎ出した。私達はどうこたえるか』と。
この投稿に対し何人かがコメントを書いています。少しだけ紹介します。
コメント① その青年は、人を殺すつもりは無くても、学びの為に知りたかったのでしょう。法律で裁かれ、死刑や刑務所に行くのが嫌だから罪を犯さないでは、押さえつけているわけですから、真理を知りたかったのではと思います。
コメント② 「どうして~してはいけないのか?」という問いは、「~してはいけない」という事に対して、その理由を問うている事になります。よって、かかる問いには、意識しているか否かは関係なく、行為には理由があるはずだという思い込みが前提となっています。これが、謝りの原因です。理由がまずあって行為があるのではありません。置かれた状況、そうするしかないという状況が、行為を起こさせるのです。
皆さんは、どう思いますか?どうして人を殺してはいけないのでしょうか?この場合のように「平時での殺人」もありますが、戦争などをしている国では(例えば、今起こっているロシアとウクライナの戦争や、イスラエルとパレスチナの紛争)多くの人が殺されています。また、日本の国だけ考えてみても、国内での戦いの歴史は沢山あり、人は山ほど殺されています。
この質問は大変シンプルな質問ですが、答える事は大変難しい質問と言えます。おそらく、この質問に答えられる人は世界にも殆どいないのではないかと思います。何故かと言えば、普通に人間が考えている考えでは答える事が出来ない質問だからです。
この質問に答えるには、宇宙の仕組みを知る必要があります。即ち、宇宙の創造主(宇宙大生命)は人間に天命を与え、この世を魂を磨く修行の場とし、80~90年間位肉体を与えているのです。ですので、人生の途中の人を他の人間が殺すという事は「宇宙大生命の意図に反する行為をする」という事になり、この世で罰せられなくてもあの世や未来世で必ず罰せられ、二度と人を殺すという事をしないように「人を殺してはいけないという事を魂に刻み込まされる」のです。これが「人を殺してはいけない」という答えです。
戦争などの場合には、状況に応じて罰が与えられたり、与えられなかったりします。即ち、お互いが正当に戦って殺し合った場合には、罰は与えられませんが、一般市民などを無差別に殺したりすれば、宇宙大生命には全てが分っていますので、そうした人にはあの世や未来世で罰が与えられます。即ち、二度と同じような無差別殺人を行わないように矯正されるのです。