牛にひかれて「善光寺」という言葉にあります様に、長野市にある善光寺は大きな有名なお寺です。私も何回かお参りした事があります。参道には、出店が両側に並んでおり、色々な物を売っていますが、私は何時も「七味唐辛子」を購入します。善光寺の七味唐辛子は、適度な辛さがあるからです。この善光寺で、先般なで仏と呼ばれている「賓頭盧尊者像」が若者に盗まれました。幸い犯人は直ぐに捕まり、賓頭盧さんも取り返すことが出来ました。何故賓頭盧さんを盗んだのか、犯人は訳の分からない事を言っているようです。即ち、こんなものがあるから「地震や事件が起こる」などと言っているそうです。それで、盗んでどこかに埋めようと思ったと言っています。賓頭盧尊者はお釈迦様の十大弟子の一人です。大変優れた「神通力」を持っていたとも言われております。ですので、賓頭盧尊者像には「霊力が宿っており」、巷で言われているように「自分の身体の悪い所を賓頭盧尊者さんの像の同じところをさすれば、病気が良くなる」という事だと思います。勿論、その場合には「信ずる力」が必要な事は言うまでもありません。「思いは通ずる、願いは通ずる」という事です。こういう事は、仏様が分ればわかるほど、理解できるようになります。

 

 

「四苦=生老病死」と言われるように、人間はその生涯で病気に罹らない人はいないと思います。中には、持病を抱えて一生を送る人もいます。私は、51才頃から頚椎の狭窄症による神経の圧迫により、10本以上の神経が壊死し「身体障害者」となりました。時を経て、症状はかなり改善されてきていますが、生涯軽度の身体障害者として過ごさなければいけないと思っています。持病の一種と言えます。

 

 

「何故、私達は持病を持つのか」と仏様に、お聞きしました。仏様は、「人は謙虚に生きるから意味がある」と言われました。謙虚だからこそ、人の意見を聞くし、人の良いところを見るし、人から学ぶし、自分の至らないところを反省するのだそうです。

 

 

言われてみると、全くその通リだと思いました。私は、あまり謙虚な心は持っていなかったと思います。かなり頑固で、聞く耳持たず、といった性格もあったと思っています。しかし私は既述の様に「歩行困難者となり、身体障害者6級」となりました。これにより、人に対する態度は一変したと思います。

 

 

即ち、人を思いやる心や感謝の念が強くなったと思っています。勿論、謙虚さも出てきました。謙虚に生きる事により、徳の高い人間になれるとの事です。多くの人が様々な持病を持っています。持病には、色々な持病がありますが、それぞれに意味があるそうです。

 

 

例えば、「メニエール病は耳の病気であり、耳、というところに意味がある」そうです。「耳は人の意見を聞くためのものだ」だそうです。従って、これまで人の意見に謙虚に耳を貸さなかった人が、メニエール病になり、人の意見を謙虚に聞くようになり、人間として成長できる、という事だそうです。

 

 

ところで、天照大神様は、「私達が、日本の国の民を育ててきた」と申されています。ですから、日本は特別な国、神様の国なのです。また、日本は世界の模範となる国です。従って「謙虚に生きる事が強く求められている国」なのです。

 

 

しかし、謙虚に生きる事が出来る人は「霊格がある程度高い人」と言えますが、世界では霊格の高い日本でも過去30年位の間に「日本人の霊格は低くなって」います。ですので、様々な悪事や犯罪が増加しているのです。即ち、謙虚さに欠ける人が多くなっているのです。