人間は「何の制約もなく、自分勝手に生きていける」と考えていますが、実に様々な制約の下で生きています。大きな事から考えると「宇宙の一員として、まっとうな生き方をする事(天より与えられた役割や目的を果たす事)が求められて」います。星や太陽からも影響を受けます。そして、「地球の一員としても、まっとうな生き方をする事(天から与えられた役割を果たす事)が求められて」います。今や「温暖化問題で、大騒ぎをして」います。世界には200位の国がありますが、幾つかの国で紛争や内戦や戦争や飢餓や核開発などの軍備拡張や他国への侵略の可能性などの問題が起これば、近隣の国や関係する国に良くない影響を与えます。日本という国に問題が起これば、当然国民に様々な影響があります。自分の住んでいる都道府県や市町村に財政破綻などの問題が起これば、大きな影響を受けます。自分が働いている会社に問題が起これば、大きな影響を受けます。この様に、様々な制約や影響の下で私達は生きています。
しかし、殆どの人はこうした全体的な事を考える事はなく日々の生活に関係した事で影響を受け過ごしています。宇宙的視点で考えれば「人間は、本当に些細な事で、様々な感情を持って過ごしている」という事になります。また、人間は自分の生活環境を変える事は、消極的と言えます。例えば、都会でシングルマザーとして苦しい生活を送っていても、「田舎に移住してみんなの助けを借りて、より良い生活をする」などという発想は殆どできないと言えます。宇宙の運行を乱す事をすれば、「ペナルティが与えられる」にも拘わらず、全く無関心と言えます。何故なら、こうした事は人間の知恵では理解できない事だからです。要は、もっと広い視野で生きてほしいと思います。
自殺を仏教学者の立場から考える、というFBの投稿が目につきました。参考に、ご紹介します。
『仏教には、「創造主」はいません。私達は、偶然輪廻の世界に生まれた生物であり、全てが苦しみであるという世界で悩みながら生きる運命を背負っています。これは、生まれながらに誰かから生きる意味を授かったわけではないという事です。同時に生きる意味を自分自身で見つけるしかないという事でもあります。ですから、自分の人生が誰かに作られたものでない以上、私達は生きることに負い目を感じる必要はありません。生きる権利はありますが、生きる義務を負わされているわけではないのです。その上で、仏教で自殺が悪なのかどうかを考えてみたいと思います。』
以上が出だしの文章です。私は、これまで「私達は、目に見えないモノ・コト(宇宙・宇宙の意思、あの世、ご神仏、霊魂、様々なエネルギー、悪魔、地球や地球上の万物の意識、など)に圧倒的に多く関係して生きており、目に見えないモノ・コトを知り、ご神仏やご先祖の智慧や加護を頂き、本当の賢者になるべきです」と申し上げてきました。
目に見えないモノ・コトの分からない人の考えは、この学者さんの様になると思います。目に見えないモノ・コトを知っていれば、「スの神様が人間の創造主であることは、簡単にわかる事」です。即ち、偶然輪廻の世界に生まれた生物ではなく、「人間はスの神様により、輪廻の世界に作られた」のです。スの神様に、「魂を磨き、スの神様と同じレベルになる事が与えられた使命」であり、生きる意味です。ですから、この学者さんの言っていることは、全く間違っています。
更に学者さんは、『悪には2種類あります。一つは世俗的な意味での悪です。将来の自分に苦しみをもたらす行為を指し、例えば、うそをつく、盗むといったことが挙げられます。もしそうした行為により犯罪に及んだら、逮捕され、服役するなどの苦しみを受けることになります。これは私たちが暮らす社会では当たり前のルールで、仏教に限らない世俗的な善悪観と言えましょう。もう一つは仏教的な意味での悪です。仏教は、仏道修行によって涅槃(ねはん)を目指しており、自らの心を変えることによって、輪廻から逃れることが目的です。そのため、涅槃への道を妨げ、輪廻を継続させる行為は全て悪である、という考え方が存在します』と言っています。
『さて、自殺はどちらかに入るのでしょうか。まずは世俗的な意味から、自殺が後に苦しみを受けるかどうかについてですが、自殺は、すでに苦しみを受けている人が、その苦しみを消すために行う行為です。新たな悪を生む行為ではありませんから、自殺は悪にはなり得ないのです。また、涅槃への道の邪魔になるかといえば、それも違います。ただし、もったいない行為だとは言えるかもしれません。せっかく人として生まれて、悟りを開く道を歩む機会があるのに、自ら命を絶ち、これを逃すのは惜しい行為と考えられます。しかし、悪いことだとは言えません。このように、世俗的、仏教的な面から見ても、自殺は悪に入らないのです』。
と言った様な内容の投稿です(まだまだ、文章は続いています)。「自殺が悪かどうか」という事を論じる事自体が間違っています。論ずるとすれば、「自殺は正しい行為か、間違った行為か」が論じられるべきです。自殺は、「人を殺すという行為であり、自殺者は天により長い期間封印され、後悔にあけくれる苦しい日々を送らされ」ます。間違った行為だからです。即ち、私達はこの世に生まれてくる時に天の神様に「この世に生まれ、修行をし、魂を磨きます」と約束し転生の許可を頂いているのです。ですので、自殺をし、魂を磨く事を途中で投げ出す行為は違反行為なのです。ですので、天により罰せられるのです。
皆様に申し上げたかったことは、「自殺の善悪の論議」ではなく、目に見えないモノ・コトを知らなければ、この学者のような間違った考えをする可能性がある、という事です。