久々に実家に帰った。
朝から曇っていたが、夕方からは雨が降り始めていた。

お風呂に入るだんになって、
室内に干していた洗濯物のなかから、母がタオルを取り出して、
「九割九部八厘乾いてるから、これ使って」といった。

九割九部…

お風呂用のタオルは他にもあるのに
なぜこの九割九部八厘乾いているタオルなのか
そもそも九割九部八厘ってどこからでた数字なのか、とか
いろいろいろいろ頭をめぐったけれど、
母の滑らかな口調に、母の中の確固たる何かに圧され、何も言えず受け取った。

今のはなんだったんだろう。

私には到底分からないけれど、
母の生きてきたなかで培った勘のような、経験から得た確固たる何かが、母の発した言葉に見えない説得力のようなものをまとわせていて、
私に意味もなくこんなことを考えさせてしまう余韻を残していた。



「赤頭巾ちゃん気をつけて」

自分の中で消化しきれないいろんな感覚や感情を、それでもゆっくりと噛みしめ噛みしめ消化しようとする。
そのなかで生まれるありふれた言葉や行動には、自分自身を裏切らない見えない説得力のようなものがまとうのではないか思う。