父と母と森林公園に行ったときの話、のつづき。

森林公園は、遊歩道に沿って桜の木が何本も植樹されていて、その一つ一つに「名前・〇〇歳・〇〇記念」というように植樹した人の名前やらが書かれたプレートが幹のところにくくりつけてあった。

母はその一つ一つを真剣に眺めては「あっ、〇〇さんまた植樹してる。すごーい」とか、「この名前何て読むとやろ」などぶつぶつといいながら歩いていた。

父は周囲の木々を見ているのかいないのか、ずんずんと先頭を進み、たまに振り返っては「あと〇キロで一周だよ」とか言っている。

私は道沿いに迫る木々や植物たちの勢いに圧倒され、見惚れながらとぼとぼと歩いた。

最初は母と同じペースで進んでいたのに、気づくと母の、随分と後方を歩いていた。父の姿はもはや見えない。

そんな淡く秋香の漂う景色を歩きながら、

同じ世界に生きているようで、それぞれ違う世界を生きているのだな、と改めて思う。
同じところにいても、みんなてんでばらばら。
進む速度も、見るものも、感じるものも。

だけど、それが心地よい。
それぞれの世界と世界の距離感への信頼のようなものに包まれているような心地よさ。

私は相変わらず最後尾をとぼとぼと歩きながら、春にまた来ようと思った。



「体は全部知っている」

個々ははっきりと分かれていて、全くの別物なのに、その間に漂う空気はぼやけていて、曖昧で、不思議と何だか心地いい。
吉本ばななさんの編み上げる言葉は、人肌の温かい空気を含んでいるように感じる。