札幌市南区に芸術の森というスポットがある。

野外彫刻美術館やイベント会場などもあり市民の憩いの場として親しまれているのだが、その近くに大真協会札幌支部という施設が存在していることはほとんど知られていない。

 

ストリートビューで「大真協会札幌支部」という看板は確認できるが、ゲートは閉ざされ、その向こうを伺い知ることはできない。

 

大真協会という名を初めて聞いた方も多いだろうが、実は神道系の単立宗教法人なのだ。

 

大真協会

認証年月日:昭和30年4月1日

事務所:函館市杉並町23番3号

代表役員:椿秀夫

目的:

この法人は会首椿敬次(通称麗寿)立教の本義に基き儀式行事を行い、会員を教化育成し、協会を包括し、その他教義の目的達成するための財務その他の業務及び公益事業を行うことを目的とする。

 

事務所は函館にある。

この住所をストリートビューで確認してみると、看板らしきものはなく普通の住宅のように見える。

こちらの建物は、昭和初期以前の郊外住宅の歴史を知る上で貴重だとして、「函館の歴史風土を守る会」により2007年度の保存建築物に選ばれている。

 

 

大真協会とは、一体どのような宗教法人なのか。

簡潔にまとまった文書がなかなか見つからなかったのだが、『広島古代史の謎』(1981年発行)という本に記述があった。

UFOや竹内文書などについても触れられており、まともな歴史本というよりはトンデモ本に近いものなのだが、「新興宗教の氾濫とその功罪」という項に大真協会が出てくる。

ちなみにこの項は、広島県に特化したものではなく、国内全般の新興宗教について体系的に論じている。

 

大真協会

"人間には病気を治す力をそれぞれ内在している。それを念ずることによって、みずから治すことができる"

という教義に、皇后の兄君ー久邇朝融氏は傾倒し、34年12月、50代の若さで世を去るまで医師にかかろうとはしなかったーという。それほど皇室の側近者を感化させた大真協会の会首ー椿麗寿氏(本名・敬治)は、明治35年福島県生れ、大正14年、22才のとき北海道利尻島や東京において修行。難行苦行の末、"大真霊神"によって霊力を感得。多くの奇蹟をあらわすようになった。現在、函館市に本部をおき東京、札幌、帯広小地区三、ハワイ、ロスアンゼルスに支部をもち東京支部が三百人。その他二百人のミニ集団だが、元皇族、福田前首相夫妻、園田外相、小坂善太郎元外相夫人益子(大真協会婦人部会長)、加藤陽三前代議士、芥川賞作家の辻亮一氏、画家の志村立美氏、そのほか大学教授、元自衛隊将官、弁護士、医師など、名士がキラ星のように並んでいる。はじめ、柳原前光伯爵の娘で、大正天皇のご生母ー柳原二位局の姪ー柳原白蓮女史の紹介で、元皇族、賀陽恒憲氏と知り合い、皇后の兄君ー久邇朝融氏と知ったのが縁となり、天皇の顔面神経痛を治したーと信じているらしい。54年七月現在は取材をガンとして拒否しているので、その本質は掴みがたい(週刊文春七・21号)だが想像できることは、天皇に帝王学、司政者には対世界政治学を提供せんとしているのではなかろうか。

 

登場する面々にまず驚く。元皇族やら福田元首相やら、すごい人たちが信者だったそうだ。

そんな大真協会を立ち上げたという椿麗寿氏とは一体どのような人物なのか。

 

調べていくと意外な雑誌にその名前が登場していた。

 

冒険絵物語雑誌『ワイルド』第2号(1967年発行)の「現代の奇蹟 堀内投手の全快」である。

プロ野球・読売巨人軍の堀内恒夫投手が新人王を獲得した翌年の話。開幕から先発ローテーションの一角として活躍する中、5月の広島戦で負傷降板してしまう。

興味深い内容なので長めに抜粋する。
 
 全治三日の腰痛と発表されてファンはほっとしたが、堀内の姿はその日から球場には見られなくなった。実は、堀内の負傷は全治三日の腰痛というなまやさしいものではなかったのである。肋骨の一番下の第十二肋骨に、肉ばなれをした筋肉がひっかかった状態で全力投球したため、筋肉の一部がち切れてしまったのである。
飛行機にもタンカではこばれて帰京した。堀内は、あらゆる手当をうけた。やっと歩けるようになると名医をたずね。大病院にも次々にまわって現代医学のおよぶかぎり、いろいろの治療をうけた。
あれから一ヵ月余りだが、立つにも腰をかけるにも痛みがつきまわり、練習などは思いもおよばなかった。
その時、巨人軍嘱託のカイザー田中氏が堀内を椿麗寿先生という人に引きあわせた。
六月十九日の夜六時ごろ、麹町の渋いクラシックな建物、村上開新堂(有名な洋菓子店)の応接室で田中氏と堀内は待っていた。
やがてその椿先生は来た。一見四十七歳の秀麗な容貌のスマートな紳士である。令嬢と知人たちで夕食を採りに見えたのだ。
田中氏が堀内を紹介すると、先生はニッコリ笑って借りきった美しい食堂へ招じ入れた。
静かなピアノの音が流れる部屋で、椿先生は二人の話を聞いた。
「まだ若い人なのに気の毒ですね」
椿先生は、これは人間のもつエネルギーの勉強であるといって、いろいろ話してくれた。
やがて椿先生は小さな白いメモを一枚ぴっとはがして、堀内にこれをつかんでごらんといった。
堀内がメモの紙をつかんだ。その瞬間、全身がぽーっと熱くなった。手のひらまで汗ばむほどである。椿先生は、
「よろしい!身体を動かしてごらん」といった。
堀内は立ち上がり、身体を動かし、満面に喜色をあらわして叫んだ。
「あっ、もう、どこも痛くない元気な時と同じです。」
それから、何度も投球モーションをした。
それはビューッと風を切るものすごい投げおろしのモーションであった。
「これは、私の力ではない。神の力です。私はただその力を使わしてもらっただけだ。神に心からお礼をいいなさい」
ニッコリ笑っていう椿先生を堀内は、昔のキリストとはこんな人なのだろうと思ってながめた。喜び勇んだ堀内は、翌日から猛烈な練習をはじめた。そしてひさびさに二軍のピッチャーとし六月末はじめて登板、見事に勝利をおさめた。また七月八日の対東映戦にも10三振をうばい完投勝ちと、堀内は奇蹟の全快をしたのである。今後は一そう練習にはげみ、昨年の体力、技術、精神力をとりもどしやがて、一軍での活躍をファンは期待できるのだ。
椿麗寿先生は、北海道の函館に住んでいて、このときちょうど上京されて堀内を助けたのである。これまで小児マヒの少女の動かない手が、目の前で動くようになったり、歩けない人が歩いたり、ガンで瀕死の重病人が立ちあがって全快したり、数えきれない奇蹟を現わして、多くの人を助けた人だという。
 
堀内投手のケガを、椿氏が神の力で治したというのである。

 

神的な力を持つ椿麗寿氏とは何者なのか。

1983年号の雑誌『フォーカス』が、大真協会を取り上げた。

 

謎の新興宗教「大真協会」ー日本の上流階級が"神"と仰ぐ「函館の人」

 新興宗教「大真協会」は、いわゆる一般大衆をほとんど相手にしない。信者の一人が、ある日、そのことに疑問を呈した。すると、「会首」と呼ばれる教祖の椿麗寿氏(80)は、つぎのように説いたというー人間には2種類あって、質の良い人間と質の悪い人間がいる。質の悪い人間はどんなに救ってやろうと思っても、せっかくの教えを理解しない。だから、大真協会は質の悪い人間は最初から相手にしないのである。

 この椿会首の言葉は、大真協会(本部=函館)という宗教団体のきわめて特殊な性格を端的に示したものとして貴重である。会員が約500人と少ないのも、会首自身がこうした特殊な人間観の持主であるからなのだ。しかし、それではいったい、椿会首のいう"質の良い人間"とはどのテの人間のことなのだろうか?

 5月22日から3日間、静岡県のつま恋(掛川市)で行われた同協会「婦人部総会」には、椿会首(写真左端)と、"御奥様"と呼ばれる房子夫人(61=左から二人目)をはじめ、全国各地の支部から駆けつけた女性信者多数が出席した。なにしろ、婦人部総会は、毎年10月10日の「大祭」と並ぶ大真協会の2大イベントなのだ。現在、婦人部会長の任にあるのは小坂善太郎元外相夫人の益子さん(64=左から3人目)。そして、顧問、相談役には元代議士夫人、元皇族など、"上流階級"の夫人たちがキラ星のごとく名を連ねているのだが、やがて総会が始まると、意外な光景が現出した。椿会首の登場、退席のたびに、この着飾った上流夫人たちがスターに群がる10代の女の子よろしく、会首めがけて殺到するのだ。嬌声をあげて車に追いすがる夫人、握手を求めて和服のスソを乱して駆け寄る夫人……。なんだ、椿会首のいう"質の良い人間"とは、こういう人たちのことだったのか、という思いを禁じ得ないが、しかし大真協会草創期には、こんなミーハーみたいな上流夫人ばかりではなかったらしい。もともと会首椿麗寿(本名・敬次)氏は終戦直後、かの柳原白蓮女史に近づいたことで運をつかんだ、といわれている。

「あのころは、今では考えられないような食糧難時代。彼は北海道の海産物を贈って女史の知遇を得たんです」(元会員)

ー椿氏の夫人房子さんの実家は、北海道利尻島で漁師をしていた。このことが、彼の贈り物作戦を可能にしたらしい。終戦のドサクサのころ、利尻コンブをはじめ、イカ、鮭などを扱う「闇屋」だったことは椿氏自身が周囲に語っている。ともあれ大正天皇の生母の姪にあたる閨秀歌人白蓮女史の仲介で、彼は次々に元皇族に近づいた。その甲斐あってか、信者の数も次第に増え、昭和25年に会員わずか10人の「椿感謝会」として発足した組織は、昭和30年、宗教法人の認可を受け、ようやく新興宗教としての体裁を整えるに至る。以後、椿氏の「超能力」に驚嘆して、その熱烈な信奉者となった人々の中には、実に啞然とするばかりの豪華な顔ぶれが並ぶのである。鳩山一郎元首相と薫子夫人、作家の横光利一、川端康成、佐藤栄作元首相、福田赳夫元首相夫妻、園田直元外相……そして、皇后陛下。昭和40年代、天皇陛下のご病気をきっかけに椿会首の信奉者となられた皇后さまは、椿会首の超能力へのお返しとして、吹上御苑でお手ずから摘まれた銀杏の実を贈られたといわれている。また、ある時、自らお描きになった絵を贈られたともいわれている。なるほど、椿氏のあの自信タップリの”人間論”の背景は、どうやらこのあたりにあるらしいのである。

 

写真が掲載されているが、椿氏夫妻の晩年の姿が写っている貴重な一枚だ。

 

ますます椿氏と大真協会のことが気になってきた。

大真協会のことを一番知ることができそうな本がある。

1962年に出版された、大真協会発行の『運命の改造』だ。

 

椿氏について、そして大真協会の成り立ちについて記してあるので、概略を記す。

 

椿麗寿氏は1903年11月6日、札幌市生まれ。

両親は立派な家柄の士族で、父は麗寿氏がまだ小さい頃に死去。

15歳で知人を頼り上京、学校に入学するも健康を害し中退を余儀なくされる。

その頃から普通以上の直感力と肉体への"ひびき"を自覚。

"ひびき"の一例=胸に病気を抱える人が自宅に遊びに来ると、同じように胸が苦しくなる

"ひびき"は激しくなり、この苦悩からの解放を願い宗教の道へ。

しかし、キリスト教や新興宗教に入ってみたものの解決には至らず。

すると、神の声が聞こえるようになり、お告げに従って利尻島へ向かい修業を行う。

利尻島で人知を超えた力が開眼。

大波をしずめ、島民の病気を一瞬で治す、ニシンの来る時刻や場所を的中させる、一度も行ったことのない海底の様子をピタリと当てるなどの奇蹟を連発。

さらなる修業の末、一般の人々に"ひびき"を体得させることを可能に。

1950年、函館市に大真協会を設立、椿氏は会首と呼ばれる。

「国際生命科学研究会」という外郭団体も設立。

日本全国普及運動を行う中、世界進出を計画。

ドイツ人で元駐日大使のスターマー氏、フランス人で東大教授のメクレアント氏、フランス人で哲学博士のスムラー氏、ドイツ人でジャーナリストのクローメ氏、ロシア人で早稲田大教授のヴァノスキー氏が信者に。

1959年11月15日、椿山荘にて、椿会首が主催する後援者の初顔合わせの会が開かれる。

この会の出席者は、元陸軍元帥の畑俊六氏、日本青年協会会長の関屋竜吉氏、日本女子会館理事の片岡重助氏、日本画家の志村立美氏、元満洲国皇帝侍従長の工藤忠氏、日大図書館長の斉藤敏氏、都立大教授の杉山茂顕氏、日本薬学会員の吉井千代田氏。

また、この日出席できなかった賀陽恒憲氏から、「椿会首が日本の将来を担う青年を正しく指導、育成されている立派な精神に大いに共鳴、今後いかなる協力も惜しまない旨出席の皆様によろしく伝えてほしい」とのメッセージが、吉井氏から伝えられたという。

 

この後援者たちの顔触れは何を意味するのか。

少々、旧日本軍など戦時中に権勢を誇った人物たちが多い印象を受けるのではないだろうか。

ちなみに元駐日大使のスターマー氏とは、ヒトラーの密使として来日し、日独伊三国同盟の締結に大きな役割を果たした人物である。

 

この本の編集責任者兼発行者は、工藤亮造という人物である。

1960年に学士会館で開かれた椿後援会の会合にも名を連ねていることから、大真協会の幹部だとみられる。

一体何者なのか。

 

こちらは1941年度の『函館市学事一覧』。

函館市の視学という役職に工藤亮造氏の名前がある。

視学というのは戦前の教育行政官で、国家の教育方針を徹底させるため、教育の指導監督などを行う役職のことだそうだ。

 

 そして、工藤氏は日本青年協会の北海道函館支部の監事と務めていた。
日本青年協会発行の機関誌『アカツキ』にその名前がある。
 
『アカツキ』によると、工藤氏は1940年2月26日に、東川青年学校で記念講演も行っている。

 

函館で活動し、日本青年協会の会員であるということから、私はこの人物が大真協会の工藤亮造氏で間違いないと考える。
先ほど紹介した1959年の後援者の会には、日本青年協会の会長が参加していた。
関屋龍吉(竜吉)氏という人物である。
 
関屋氏は文部省入省後、1934年から41年まで文部省直轄の「国民精神文化研究所」の所長として皇民化教育の一翼を担った。
この研究所は戦後、GHQにより超国家主義組織だとして解散させられ、関屋氏自身も公職追放となっている。
 
元官僚、元軍人、元皇族。
戦争が終わり、厳しい日々を送っていた彼らが椿会首のもとに参集したのはなぜなのか。
 
『運命の改造』には、満洲国皇帝溥儀の侍従長を務めた工藤忠氏の寄稿文が載っている。
 
 終戦以後、我国は物的心的に行き詰りを生じてしまった。国民は、正に生き乍らの焦熱地獄であるこの暗黒のどん底に犇めき、蠢めき乍ら、藁一本にでも摑み上がろうとして居る現状である。
〈中略〉
 現代の人々は誠に気の毒である。求めて求むるものが得られない。未だ以て新旧何れの宗教にも救われずして、依然として焦熱地獄のどん底に苦しみ悶えている。然らば我が日本国否世界人類の救済は畢に絶望なりや。否、我同胞よ、乞う安んぜよ。茲に神は我日本国否世界の亡状を見るに忍びずして、茲に一大宗教を現世に生み出し賜うた。これが絶対的な世界最大の宗教である。これを大真となづけられた。然も世界人類を救い導く聖者即ち大真協会会首が現出したのである。この一大宗教の出現してこそ、地獄のどん底に苦しみ悶えている我日本国民を始めとして世界人類悉く救済されるのである。求むる者は来るべし。救われんとする者は来るべし。病み衰えたる者は来るべし。亡び潰えんとする者は来るべし。かかる者は総て皆根底から救済され、何れも皆赫々たる光明を得られることを絶叫してやまない。
 
自らの当時の不遇な状況を重ね合わせているようにもみえる。
このように戦後日本に鬱屈した思いを抱えた者たちが、椿氏を祭り上げたのではないか。
 
宗教であるからには信者は祈ったり聖書やお経を読んだり、何か共通のことをしているのだと思うが、そのあたりはどうなのだろうか。
探してみると、『運命の改造』にそのあたりの答えも載っていたので引用させてもらう。
 
 椿先生は御自分が偉大な霊感をお感じになるばかりでなく、それを我々普通の人間にも容易に霊感を感じる事が出来る様、仕上げて下さる偉大な力を持っておられるのです。
 然も、我々会員はこの霊感を授かる為に何一つ、所謂「行」の様なものもいたしておりません。昔の行者のやった様な水を浴びる事も、断食も、座禪もいたしません。経文一つ読みません。会員として椿先生と結ばれ、素直な求める心を持ってお教えを聞き、会員同志で体験を語り合い真剣に勉強いたしておりますと、自然に、誰でも霊感を得られる様になるのであります。斯様な事は世界広しと雖ども、未だかつて無かった現象であります。
 
椿氏の話を聞き、信じ、会員と語り合えばOKという、何ともフワッとしたものだった。
彼らが何を目的としていたのか、イマイチわからない。
本当に宗教といえるものなのだろうか?
秘密結社的なものの類のほうがしっくりくるのだが…
 
設立から70年以上が経ったいま、大真協会はどのような組織となっているのだろうか。
現在の代表は椿秀夫氏。
秀夫氏は麗寿氏の息子だろうか。
椿麗寿会首は生きていたら120歳・・・とっくに他界されたと思われる。
 
大真協会についてインターネットで調べてもほとんど情報がない。
活動を伝えているのは唯一この記事だけだ。
2015年に日本赤十字社が発行した『赤十字NEWS』に、大真協会のチャリティバザーに関する報告が掲載されている。
 
ちなみに週刊誌では、小室圭さんの母親・佳代さんについて新興宗教の問題が取り沙汰された際、昭和の香淳皇后も新興宗教=大真協会に傾倒していたという話が紹介された。
2019年9月の『週刊新潮』記事を引用する。
 

香淳皇后には昭和天皇の顔面痙攣というお悩みがあり、ちょうど訪欧の頃、その症状はテレビ画面を通じてもハッキリ見て取れるほど激しくなっていた。侍医たちもお手上げ状態だった中、少なからぬ数の病気を治癒してきた人物の存在を皇后は聞かされる。それが、「大真協会」の椿麗寿(れい じゅ)会首で、間を取り持ったのが”魔女”とは別の現職女官だった。

 当時の報道によれば、本部は函館、ハワイやロスにも支部があるというこの神道系の新興宗教は、50年の発足で会員500名ほど。カルトもせせら笑う少数教団だが、その特色は信徒に多くの著名人を抱えたセレブぶりにあった。報じられただけでも、鳩山一郎夫妻、佐藤栄作夫妻、園田直・天光光(てん こう こう)夫妻、川端康成、横光利一、佐渡ケ嶽親方(横綱琴櫻)……と多士済々。会首の娘はかのマーロン・ブランドに求婚されたなんて話もあったが、試みに園田天光光のコメントを引くと、

「私が入ったのは、主人が亡くなるちょっと前くらいだったと思います。大真協会は精神修養をするところなんです。会費は相当かかると思います(略)

 芥川賞作家の辻亮一は、

「目の見えない人を治した例を知っていますよ。この人は椿先生の前に出ただけで見えるようになったんです。(略)その場では治っても、時間がたつと元に戻ってしまう人もいる。それは心底から信じないからですね」

 こんな具合で、むろん香淳皇后の「大真」への傾倒ぶりも相当なもので、”椿会首の写真が欲しい”と仰って、これを携えて訪欧されたという。更に、皇后がどこかの国でイヤリングとネックレスをなくされた際に、椿会首に”霊示”を仰がれたところ、会首はその在り処を的中させた。その返礼として、帰国後に皇后自ら吹上御所で摘まれた銀杏を会首に贈られた……といったエピソードが残されている。

 
大真協会の実態はわからないことが多いが、函館や札幌だけでなく、東京にも支部がある。
目黒区碑文谷の一等地だ。

 

また目黒区鷹番には記念会館もある。

 

秘密のベールに包まれた大真協会。
情報が少なすぎることから、一般大衆を相手にしないという方針は、いまも変わっていないのかもしれない。
現在の活動の詳細が気になるところだ。