安倍元総理銃撃で浮かび上がった自民党と世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との関係。
北海道にも旧統一教会の政治団体、国際勝共連合北海道本部が存在する。
そして道内の自民党議員も、SNSなどで旧統一教会の会合に参加するなど関係は深いようだ。
また政治資金収支報告書を読み返すと、旧統一教会の関連団体である世界平和連合北海道連合会が、2015年度に開かれた「高木宏壽政経セミナー」で、主催者である高木氏の政党支部=自由民主党北海道第三選挙区支部に対して25万円を寄付しているのが確認できる。
 
さらに調べていくと大変興味深い記事を発見した。
「月刊社会党」1978年7月号に掲載された、ルポライターの佐藤達也氏の文章だ。
驚くべきは、44年も前から旧統一教会と自民党はこれほど近い関係にあり、多くの国民はそれを知らずに自民党政権下を生きてきたということだ。
 
以下、その全文を掲載する。
今こそ多くの人が知るべき内容だ。
 
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国際勝共連合と自民党の人脈

佐藤達也
 
はじめに
 
 君が代の復活、弁護人抜き裁判、自衛隊の歯止めなき膨張などにみられるように、日本の右傾化、ファッショ化への動きが急ピッチで進行している。福田自民党政権はますますその本性であるタカ派的志向を強め、憲法の骨抜き、自衛隊の強化、非常時立法の制定を推し進めている。
 このような"プレ・ファシズム"ともいうべき、政治状況の中で、国際勝共連合(以下略称、勝共連合)の派手な立ち回りがやたら目につく。
 周知のように、勝共連合は狂信的な反共主義を看板にする統一教会傘下の政治組織である。この韓国人文鮮明を教祖と仰ぐエセ宗教団体は、違法な募金活動や"洗脳"と呼ばれる悪質な信者獲得法世論の糾弾を浴びているばかりではなく、韓国中央情報部(KCIA)との密着関係が米議会の調査で明らかになっている。近年彼らは、危機に瀕している自民党政権、財界の手厚い保護を受け、ファシズム諸勢力の中核部隊となって数々の反共謀略活動を行なってきており、その動員力、資金力はもはや軽視できないところにきている。
 
結成十年を迎える勝共連合
 
 勝共連合が発足したのは七〇年安保を二年後にひかえた一九六八年四月である。勝共連合結成のねらいは、一つは目前に迫った革新陣営の七〇年安保闘争にそなえるためであり、さらには、韓国朴政権の意向を受けて、日本の中の反共親韓派陣営を堅めるためであった。
 結成十ヶ月前の六七年六月来日した文鮮明教祖は、山梨県本栖湖畔のモーターボート協会施設で右翼陣営の大物たち——笹川良一、児玉誉士夫(代理白井恭雄)、市倉徳三郎等——と密談した。この会議では「アジア反共連盟」の結成準備が話合われたが日本の右翼陣営の不一致により実現しなかった。しかしこの本栖湖会談の精神を受けついで、翌年、会長久保木修己(日本統一協会会長)、名誉会長笹川良一の体制で勝共連合が結成された。
 以後、勝共連合は街頭で、大学キャンパス内で憑かれたように反共反革新の一大キャンペーンをくりかえしてきた。七〇年九月には、東京の日本武道館で二万数千名を動員してのWACL(世界反共連盟)世界大会の開催、翌七一年には、ニューヨーク国連ビル前で中国国連加盟反対の三日間断食、そして七二年九月には台湾擁護の国民集会開催、七二年には米国ワシントンで、ウォーターゲート事件発覚で危機に陥ったニクソン大統領支持デモを決行、さらに七四年には文世光事件を機に朝鮮総連糾弾の大キャンペーンを展開。
 七五年五月の東京都知事選では石原慎太郎候補の選挙運動への全面的肩入れ、七六〜七七年には全国主要都市で勝共救国大会を開催、反ソ・日中条約反対キャンペーンを大々的に行なった。今年に入ってからも、先日行なわれた京都知事選では、林田候補の選挙運動部隊として京都で大々的な反革新謀略宣伝を展開した。その後沖縄、横浜等選挙の度毎に彼らの白いハチマキ、「思想新聞」ののぼり旗を持って絶叫している姿が見られた。
 勝共連合のパンフレットによると、これまでの実績は七三年末までで、幹部研修一万六千人、各種セミナー約一三万人、学者文化人四三五人、議員研修会四八二人、会社労組約五二〇〇人(四〇〇社)の参加者、街頭講義は約七一万回に達すると誇らしげに報告している。(勝共連合発行「救国への活動」)
 この"実績"が実ったのか、今年元日号の「思想新聞」(勝共連合機関紙)には約千名近い名刺広告が掲載された。この中には現職の農林大臣である中川一郎氏、大蔵大臣の村山達雄氏をはじめとして、衆参合わせて三一人の自民党国会議員が名をつらねている。他に地方自治体の首長として、田本憲吾帯広市長、向江昇泉佐野市長、河野通重徳山市長、脇屋長可別府市長、中内力高知県知事、青木義男下田市長の名前が見られる。自民党県連、支部名で広告も載せられており、自民党下部にまで勝共連合が浸透していることがよくわかる。
 自主憲法制定運動、建国記念日奉祝、北方領土返還運動、日中条約反対運動‥‥およそ「反共」とつながる運動全部になんらかの形で勝共連合の姿をみることができるが、特に彼らが異常な執念を持って取り組んでいるのは反朝鮮民主主義人民共和国——朝鮮総連に対する謀略活動である。彼らは朴独裁政権を賛美するとともに、ありもしない「北」の脅威を宣伝し日朝友好運動に敵対してきている。東京・小平の朝鮮大学校の認可取消し運動、日本人妻自由往来運動を組織したのはほかならぬ勝共連合である。
 この一方で親韓親朴の世論工作に全力を挙げて取組んでおり、数次の訪韓団を派遣している。各地方自治体単位につくられた日韓親善協会に果す勝共連合の役割も少なくない。久保木修己勝共連合会長は、石原慎太郎参院議員と並んで東京日韓親善協会の理事に就任、この四月一日、東京・帝国ホテルで「国際勝共連合創立十周年記念祝賀会」が行なわれた。そこでは、内外の批判にもかかわらず渡辺美智雄前厚相、堀江正夫参院議員、源田実参院議員、春日一幸前民社党委員長が出席し、さらに、会場には竹下登、玉置和郎、石原慎太郎代議士らの花輪が飾られ、いやがうえにも勝共連合と自民党との"一体感"を盛り上げていたという。
 彼らの反共一筋の十年間の歴史は、六五年日韓条約締結以降の日韓権力者層の黒いゆ着の歴史、政治、経済、軍事にわたる「日韓運命共同体化」の歩みに奇しくもピッタリと一致している。
 
宗・政・経三位一体の文鮮明コネクション
 
 勝共連合の実態を述べる場合注意すべき点は、この団体が宗教・政治・経済にまたがる統一教会=文鮮明一派の一大コングロマリット(複合体)の一構成部分にすぎないという点である。勝共連合=統一教会は実にさまざまな「顔」を持っており、二〇面相どころか百面相である。これらは統一教会を中心にして一つの有機体を形づくっている。
 まず母体である統一教会から述べよう。統一教会(正式名称・世界基督教統一神霊協会)は、一九五四年五月、韓国ソウルで文鮮明教祖によって創立された。日本には五八年に崔奉春(日本名・西川勝)が密入国して来、伝道を始めたのを起点に、六四年七月に宗教法人の資格を得た。現在世界各国に同名の教会が設立されており、その教勢は公称世界百二十ヵ国、信者数二百万に及ぶと豪語している。各国別の信者の内訳は、韓国三八万人、米国三〇万人、日本二六万という。学生組織として全国大学原理研究会があり、百二〇大学、約五千人の会員、動員力一万五千人というが実態は二千名程度である。日本統一協会の会長はかつて立正佼成会庭野日敬会長秘書であった久保木修己である。
 統一教会の教義の最大の特徴は徹底した反共思想にある。聖典である「原理講論」では、「共産主義国はサタンの国」であり、第三次世界大戦——「サタンとの世界最終戦争」が雄雄しく描かれている。このファナチックな反共主義が韓国朴独裁政権と文鮮明教団を結びつけ、さらには日本・米国での反共右翼陣営に連なる要素となっている。統一教会とKCIAの密接な関係について再述する必要はない。ただ次の資料だけ紹介しておきたい。
★統一教会文化局発行「成約周報」第五六号(六六年二月発行)
「国内(注=韓国)における私たちの活躍は、国家的に段々公認するようになり、三八度線の第一線地域である江原道では、統一教会の原理は反共思想と救国対策の絶対唯一なる理念であることを同知事以下情報部の有力な支持を受けて公文により全道民にこの理念を普及するに至り(中略)、今中央情報部でも非常に関心が深く遠からず政府自らこの原理を受け入れ全国家的活躍に進展するものと確信しております」
 
 政治団体である国際勝共連合は機関紙(誌)としては月刊誌である「世界思想」、旬刊紙として「思想新聞」を定期発行しており、自民党国会議員の中で愛読されている。この組織は、建前として「統一教会は宗教法人であり、国際勝共連合は、政治資金法にも規制される政治団体であり、統一教会とは別個の団体」とされているが、人的、資金面からは、統一教会と全く重複する。久保木修己が両方の会長を兼ねるだけでなく、梶栗玄太郎事務総長を始めとする主要役員は、大半が統一教会幹部によって占められている。自治省調べによると、七四年上半期には統一教会から勝共連合に二千三百余万円が寄付されているが、同期の寄付総計が二千六百余万円であるから、資金面でも統一教会の比重の大きさがうかがえる。
 「キリストの再臨」を自称する文鮮明師は、一方で非常に商売、金もうけにも熱心である。統一教会=勝共連合は、その傘下に資金源として多くの関連事業会社を有している。その中には、統一産業のように信者の募金、押し売り用の物品を製造販売している会社から韓国にある同じような統一教会系会社から人参茶を輸入している幸世商事、不動産、旅行代理店、自然食品の販売店まである。さらには全国で二五店の銃砲店を経営しており、仙台ではエア・ライフルの射撃場まで経営している。
 統一教会=勝共連合が近年とみに力を入れているのは、対学界・文化人工作である。この目的のために国際文化財団と世界平和教授アカデミーと二つの団体が組織されている。国際文化財団(理事長久保木修己)は、同名のものがニューヨークにもあり、統一教会が開催する各種国際学術会議を後援することを目的としている。
 後者は七四年九月、東京で、親韓派学者・文化人によって設立された。会長は松下正寿元立教大学総長。元民社党参院議員であり都知事選(六六年)にも出馬した人物である。世界平和教授アカデミーは設立当初一七〇余名であった会員が現在では千名を越えるまでに急成長を遂げており、中心メンバーには自民党各派の顧問に名をつらねている人物も少なくない。例えば、福田信之(筑波大学副学長)、入江通雅(京都産業大学教授)、気賀健三(成城大学教授)、佐藤和男(青山学院大学教授)、丹羽春喜(京都産業大学教授)の五氏は、自民党田中派の「新総合政策研究会」の顧問団七名の中に入っている。
 さらに、同アカデミーの〈参与〉には桜田武日経連会長、石川六郎鹿島建設社長、郷司浩平日本生産性本部会長を頂点とする財界人が顔を並べているほか、村井須初代内閣調査室長、ジェイムズ・スチュアートアジア財団日本代表、金山政英国際関係共同研究所所長(元駐韓大使)など日米韓の秘密情報機関にリンケージする人物が勢揃いしている
 この世界平和教授アカデミーが、来る七月二三〜二八日、「太平洋時代——一九八〇年代への課題」をメイン・テーマとした国際会議を日本で主催する。この会議には日本人学者の他、米・韓・台さらにアジア・アフリカ・中南米にまたがる一八ヵ国四〇人の外国人学者の参加が予定されている。
 以上取上げたのは、宗政経にわたる文鮮明コネクションを構成する主要な諸組織、団体であり、これ以外にも数多くのフロント機関がある。これらは独立した機関を装いながら、巧みに「顔」を使いわけ、日本の政財界、学界の中に浸透していっている。そして残念ながら、日本ではその実態がまだ解明されていないばかりではなく、自民党政権の手厚い庇護を受けている。
 知られているように、米国内では、KCIAの対米議会工作に統一教会が加担していること、文鮮明自身がKCIAの工作員であることが暴露され、司法・税務当局による取調べが始められている。米国での、統一教会=KCIAブロックによる秘密工作活動は日本におけるKCIAと対日工作の成果を下に米国で行なわれたと言われる。そしてまた実際に米国での統一教会の活動は、宣教の名目で米国へ派遣された日本人教会員によって担われている。工作資金も外交ルートを経由して、日本で統一教会が不法に集めた多額の募金(一説にはその額は四三〇億円に達すると言われる)による所大である。統一教会=勝共連合にとって日本は"天国"であるにちがいない。
 
自民党政権の手厚い庇護
 
 発足当初から"ロッキード隠し""日韓ゆ着隠し"内閣と言われた福田政権は、歴代自民党政権の中でも一番積極的に勝共連合を利用しようとしている。
 自民党と勝共連合の親密な関係は七〇年頃にまでさかのぼることができる。
 七〇年五月十一日、東京の立正佼成会普門館において勝共連合主導でWACL(世界反共連盟)躍進国民大会が持たれた。この反共集会には佐藤首相、岸元首相、川島自民党副総裁、福田蔵相、春日一幸民社党議員(いずれも当時)が花輪を寄贈、福田蔵相はわざわざメッセージまで寄せている。
 また同年九月武道館で「さながら国民精神総動員の前夜」(朝日ジャーナル)と評せられた第四回WACL世界大会では、岸信介元首相が大会推進委員長をつとめ、川島正次郎、石井光次郎、青木一男、千葉三郎、賀屋興宣氏ら当時の実力者がほとんど顧問として名を連ねた。
 勝共連合発行のパンフレット「勝共の歩み——救国への活動」には次のような"評価"が掲載されている。
勝共連合の諸君のあふれる様な情熱と実行力とに本当に心を打たれた。その力を次の世代までも存続していくには若い勢力が中心とならなければならない」‥‥岸信介(七〇年八月十一日、勝共本部)
「政党が滅んでも自由社会が滅ぼされることは許されない。‥‥私は勝共青年の目の中にその信仰を見、新しい日本、アジア、世界の未来が開けているのを見る。勝共青年に期待する」‥‥橋本登美三郎(七三年七月二日、勝共本部)
「日本に最も欠けているものは精神的なものである。青年がすべて勝共の皆さんのようになりさえすれば、日本の未来は決して暗いものではない」‥‥福田赳夫(七三年十月十八日、神戸勝共本部)
 福田首相と統一教会のただならない関係についてはよく次の話が持ち出される。当時大蔵大臣であった氏は、七四年五月、東京・帝国ホテルで日本の政界、学界の著名人千数百名が招待された「希望の日晩餐会」に出席し、「アジアに偉大な指導者あらわる。その名は文鮮明。‥‥今日は文先生と席を同じくし、またご高邁なるご教示にあずかりまして、本当に今日はいい晩だなあと、気が晴ればれしました」と最大級のお世辞を述べ、壇上で文鮮明師と抱き合ってみせたのである。
 なおこの日の「希望の日晩餐会」の名誉実行委員長は岸信介元首相。出席者には倉石忠雄、園田直、千葉三郎、西村英一、安井謙、木内四郎、源田実ら二十六名の衆・参院の自民党議員が名を連ねている。
 さらに先の国会(四月三日の参院予算委)で福田首相は、米議会の調査活動でKCIAと統一教会、勝共連合が一体となって活動していることが指摘されているにもかかわらず、「反共では共通」と強弁し、「勝共連合が反共を旗印にしている点に着目して、自民党が協力的関係を持っていたのは事実だ。勝共連合が悪いことをしていたというなら反省するが、KCIAとの関係については知らない」と答弁、今後も協力関係を維持することを公言した。
 自民党が内外の激しい批判にもかかわらず、勝共連合を庇護するのは相互の利益が共通するからである。選挙の際、独自の青年組織を持たない自民党にとって勝共連合は献身的に動いてくれる運動員である。
 統一教会=勝共連合の会員の約六割は二〇代の青年によって占められている。彼らは選挙のたびごとに自民党候補の熱心な運動員として活躍するまた革新陣営の労働運動や大衆運動に対抗する組織としても自民党にとっては貴重な存在である。逆に勝共連合側にとっては、自民党有力者をバックに持つことによって社会的信用を得ることができる。
 選挙をめぐっての勝共連合と自民党の「二人三脚」ぶりは、七六年に開かれた「希望の日晩餐会」での石原慎太郎前環境庁長官の発言が如実に示している。席上、石原元大臣は、七五年の東京都知事選での勝共連合の支援を感謝して「敬愛する久保木先生‥‥私は同志として選挙運動を助けてもらいましたが、こんなにも立派な青年たちがいまの日本にいるのかと思いました」とあいさつしたほどである。
 
ファシズムの突撃隊=勝共連合
 
 国際勝共連合の政治目的は、その名称通り「共産主義を克服する」ことにある。そして「反共」よりもいっそう語義の強い「勝共」をうたう狂信的な団体である。彼らのねらいは日本を韓国朴独裁政権と同様なファシズム体制国家にしようとすることである。彼らは機関紙「思想新聞」紙上でくり返し、「憲法改正、日米安保体制強化、戦時非常体制の確立」を主張し、更には、早期の核武装、小選挙区制の実現、治安維持法の復活などを提案さえしている。
 近年、勝共連合は、その豊富な資金と動員力を買われてか旧来の右翼戦線との連携を強めつつある。勝共連合と密接な関係がある右翼陣営の主な団体名を紹介すると、
 生長の家政治連盟、神道政治連盟、神社庁、軍恩連盟、郷友連盟遺族連合会、新日本協議会、隊友会
 以上の他、日本の新しい世代の会(石原慎太郎会長)、大道会(松下正寿総裁)、大義塾‥‥特に目立つのは勝共連合と生長の家との接近である。統一教会の傘下組織の一つである救国連盟(総裁久保木修己)は両者の連合組織だといわれるし、七六年十一月十日の天皇在位五〇年を祝う青年集会は共催の形をとった。大学内でも両者の学生組織、原理研と生長の家学生連合=友憲学連は共同歩調をとっている。また勝共連合へ多大なる援助の手をさしのべている玉置和郎自民党参院議員は、生長の家の宗教票をバックに全国区で高位当選をはたしている。
 勝共連合が軍服姿、日ノ丸掲げて軍歌を流して喜々としている旧来の右翼と違う最大の点は、大衆宣伝活動が実に巧妙なことである。
 昨年七月「ニューヨーク・タイムズ」に掲載された日本人学者、文化人による「在韓米軍撤退反対」の意見広告は、勝共連合——世界平和教授アカデミーが画策したものである。そして現在勝共連合は五〇億という巨額な出所不明の資金で、米日韓合作の反共映画「仁川」の製作を企画している。さらにもっと長期的なマスコミ戦略として、彼らは七五年には日刊新聞である「世界日報」の発行を始めた。この新聞のスタイルは全く一般紙と同じであり、よほど注意深い読者でなければ、これが統一教会=勝共連合と関係があるとは考えられないだろう。
 確かに統一教会=勝共連合は韓国生れの謀略組織でありKCIAの別働隊でもある。しかし今や彼らは、日本の政財界層に食い込み、自民党の手先、ファシズムの突撃隊になっていることを見落してはならない。勝共連合は日本ファッショ化の方向を示す風見鶏である。
 
(さとう・たつや 政治評論家)
 
統一教会=勝共連合の歩み
1954年5月 統一教会創立(韓国・ソウル 教祖文鮮明)
1958年6月 崔奉春(西川勝)密入国、日本での伝道開始
1964年7月 日本統一教会宗教法人化
1964年9月 全国大学原理研究会設立
1968年1月 韓国国際勝共連合設立
1968年4月 国際勝共連合結成(日本)
1969年11月 アジアキリスト教反共大会
1969年11月 アジア学生勝共大学
1970年5月 WACL(世界反共連盟)躍進、国民大会(立正佼成会普門館、13ヵ国代表、6千名)
1970年9月 WACL世界大会(日本武道館2万数千名)
1970年12月 全国各地で在日韓国人の国籍書き換えに対する"革新首長糾弾国民大会"
1971年5月 中共承認反対一週間断食国民集会(全国で3千名)
1972年4月 世界勝共大会(日比谷公会堂3千名)
1972年9月 日華平和条約擁護国民集会
1973年5月 自主憲法制定国民大会に参加
1973年6月 全国で「救国の予言」久保木修己講演会開催
1973年11月 米国でニクソン支援デモ
1974年8月 文世光事件を機に朝鮮総連糾弾キャンペーンを展開
1975年5月 東京都知事選で美濃部打倒、朝大認可取消しキャンペーンを展開
1976年1月 全国津々浦々で時局講演会、議員セミナー等を通じて全国民勝共思想武装化を進める
1976年9月 米国で「ゴッド・ブレス・アメリカ」ワシントン大会を開催
1977年4月 北方領土奪還、対ソ国民大会を開催
全国で「氷雪の門」の自主上映、日中条約反対キャンペーンを展開
1978年5月 国際勝共連合結成10周年祝賀会