急性リンパ性白血病(ALL) | さりげにっき。

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先日、母が亡くなりました
病名は急性リンパ性白血病です

 

正確には

フィラデルフィア染色体陽性急性リンパ性白血病

(ALL)

 

発症してから2年半の闘病でした

 

私自身、この病気について調べる際に
やはり経験された方のブログでとても勉強させてもらったので
いつかどこかで、この記事がどなたかの参考になればと思い、綴っていきたいと思います

 


病気の発見は2017年5月10日
母はその10数年前に甲状腺ガンを患ってから毎月定期検査で通院していました

いつものようにかかりつけの大学病院へ検査へ行った母から電話が入り
「白血病って言われた」とかなりの動揺

 

この時、採血の結果では
白血球が16万という異常な数値で
(通常値は3000~8000)
その前の月には何の異常もなかったのですから

いかに増殖スピードの凄さが分かるかと思います
医師からも放置したら1ヶ月持たないと言われました

実はこの日の10日ほど前から母は前兆で体のあちこちに原因不明の内出血があり
「打った覚えはないのに」と疑問視してました


家庭の事情で入院は翌日にしてもらい、入院して即抗がん剤投与
数日後にはクリーンルーム、所謂無菌室に入りました


当時母の年齢はちょうど70歳
担当医からの説明にて、治療方法のボーダーラインということで
骨髄移植は無理、5年生存率も正直高くはないと言われ
とりあえず寛解を目指すとのこと


抗がん剤投与中は副作用で脱毛、嘔吐など聞いていましたが
母は髪の毛が全部抜けず、それどころか半分以上残り、眉毛も睫毛も残ったまま
嘔吐も普段より少し多い程度
(普段から内臓が弱かったのでよく嘔吐してました)
ひょっとして効いてないのかと思い、担当医に聞くと個人差だと返答

抗がん剤投与してすぐ白血球が200と激減し、抵抗力がほぼ無い状態で
敗血症にかかったり、抗がん剤の副作用で心臓に水が溜まり呼吸困難になったりと
3度ほど命の危機に瀕しました
(このことで私は母が死ぬことへの覚悟ができたという皮肉でもあります)

 

最終的に退院できたのは母の誕生日である6/30
予定は1ヶ月の入院計画でしたが思った以上に白血球が増えず、半月長引きました

しかし、退院の前日に担当医から告げられたのは白血病細胞がわずかに残り寛解に至らなかったという結果
再び新しい抗がん剤治療の手はあるが年齢的にリスクが高い
それなら治療せずに自宅からの通院で自由に過ごすのもあり
という二択を母自身が選ぶことになりました

 

というのも1回目の命の危機に瀕した後で医師から延命治療の有無を私が聞かれ
一応母に遠回しに聞いたところ、絶対嫌と延命治療を拒否したのを
担当医が理解してくださってくれてたからです

案の定、母は新しい治療を拒否し、自由を選びました
そして…同時に余命も宣告
白血病細胞が残った以上、治療しないままでは必ず悪くなる
それは年単位ではない=数ヶ月から1年以内

ということでした


ただ治療をやめたとはいえ、白血病の治療薬である“スプリセル”という抗がん剤は服用を続ける方針

 

しかし1ヶ月後、体調を崩し再入院
原因はその服用中の“スプリセル
この薬は細胞増殖を抑える抗がん剤なのですが
副作用として、肺や心臓に水が溜まりやすいというやっかいなもので
副作用を抑えるために利尿剤を併用するも
今度は利尿剤の副作用でカリウムが尿と一緒に多量に流れ出し
カリウム薬も服用

となかなかのループで

 

1年後の2018年夏、度々“スプリセル”による副作用で呼吸困難を繰り返していたので
担当医は思い切って繰しむのが嫌という母に抗がん剤服用を中止してみるという提案を…
なぜならば上記にあるようにこの時点で余命宣告の時間を上回っていたからです

でも細胞増殖を抑えるはずの抗がん剤をやめたことによって
やはり余命は短くなる可能性は低くなく
覚悟の上での中止となりました
逆に言えば母にとってそのくらい副作用がきつかったわけです

 


そして今年に入り春先くらいから母の体調が崩れ始めました
とにかく吐き気が酷くて頻繁に救急病院へ走りました
かかりつけの大学病院は救急のシステムがないからです

そこで担当医から紹介されたのが緩和ケアのホスピス
母の緩和ケア担当の医師はとても陽気な方で
何でも丁寧に答えてくださって
白血病の末期症状も聞くことができました

末期になるとまず何をするにもしんどくてお風呂もトイレも行かなくなり
同時に食欲減退で衰弱していくのが一般的だそうです

 

一方母は夏過ぎると週に2~3回以上、吐き気が酷くその病院へ点滴は駆け込むようになりました
ただ食欲もあり、吐き毛以外は動けもしました
特に言動に関しては衰弱?ナニソレ?美味しいの?というくらい(笑)

 

毎月の大学病院での検査も数値に全く変化無し
「本当にお母さんは頑張ってます」と担当医が毎回褒めて?たくらい長生きする気配
私もこれはまだ5年いけそう、ひょっとして白血病細胞は消滅したんじゃないかと思ってました


しかし今年10/18の定期検査
血小板が前月17万→9万に激減
そして白血病細胞が8%に増えていたという事実が発覚しました
所謂“再発”です

この後の検査は5週間後、でも担当医は

「多分しんどくなると思うからしんどかったら来なくてもいいよ」と…
私はこの言葉で1ヶ月半持つかどうかだと思いました
なぜならば急性リンパ性白血病というのは無治療だと発症してから1ヶ月~持って3ヶ月だからです
そうです、発症過程を見ても数ヶ月なのは簡単に予測つきます


再発したと知って翌週、母は大好きな観劇へかなりの無理を押して行きました
しかも県外、車で5時間近くもかけて
最後になるかもしれないと思い、本当に力を絞ったのでしょう
そのせいか、再発してもしばらくは容態に変化はありませんでした

 

 

ですが再発が分かってから3週間後
鼻血が毎日出始めました

約1週間経った11/16、朝から鼻血が止まらず
頑固として入院拒否していた母がとうとう自分から入院を切り出し入院
緩和ケアの医師と話しをし、年内は難しいが3~4週間くらいと言われます
でも私は様子を見ていて2~3週間、12月上旬までではないかとの予測
後にどちらも外れることとなります
(…あまりに母がセオリー通りではなかったので)

この時、あれだけ母の自由意志を尊重していた緩和ケアの医師も
前回の採血で血小板が23000にまで減っていたのでさすがに入院させようとしていたとのこと

 


~ここから日誌というか記録として書いていきます


入院した翌日、鼻血は止まりますが内出血があちこち見られるようになりました
痒みで少し皮膚をかいただけで紫の内出血になります


11/19(入院して3日後)
母周辺の整理するために外出外泊予定
ランチをし、母の友人とお茶した後、急に吐き気が酷くなり
外泊とりやめ病室に戻り、嘔吐が1時間ほど続きました

 

11/20
前日と打って変わった元気に
「明日退院する」と無茶ぶりを言うように
食欲もまだあり、マックのポテトとチキンを食べました(笑)

 

11/21
容体が急変、1日中嘔吐が酷く、薬が効かない状態
大好きな役者さんのDVDも見ることができませんでした


11/22
電話魔の母が電話にすら出られないほど寝たきりになります
意識もろくになく食事もとっていませんでした

 

11/23
仕事を終えて夕方病室に行くと酸素をつけて変な呼吸に
意識がほぼない中で手を握ると少し反応
看護師さんからもう「持って今晩か明日まで」と宣告されるも
1時間後に亡くなりました

 


それまで数ヶ月とか半年レベルと余命を言われても

2年半超えてきたのに
亡くなる過程があまりに急でした

ほぼ最後まで食欲あったし
(最後に食べたのがマックだし)
徐々に弱っていくというセオリーがいきなりの急変だし


おそらく、私の推測になりますが
白血病細胞が脳に浸潤したのではないかと…
なので最後嘔吐が酷く、意識混濁に陥った状態だと思いました
勿論、体のあちこちに内出血も酷かったです

最後の日は鼻血が止まらず、吸引していましたが
その血は透明な茶色で、もはや血とは判別つかないものとなっていました

赤血球も血小板も激減していたのでしょう

 

 

白血病にかかった高齢の方だとだいたい半年前後が多いみたいで
母は色々イレギュラーだったと思います
長生きしたのは好きな趣味があって、そのコミュニティーで広がった人間関係のおかげです


病気になるまでの過程はよく目にしますが
末期のお話はなかなかネットで探しても見つからなくて
同じような境遇の方が知りたいと目に留まることがあれば幸いです