ちょっと一服② | 昭和少年奮闘記

昭和少年奮闘記

日常のことを徒然なるままにしたためています。

ちょっと一服①

さて、続きを書こうと思います

中学に入学して横浜銀蝿アナーキーに出会ってしまった私は、松田聖子の追っかけをやりつつバンドというものに目覚めるのです

当時の中学は『校内暴力』が流行?

しかしながら私は先生を殴る勇気もなく、校舎の窓ガラスを割る勇気もなかったのですが、ふらふらと周りに流されるタイプの子供だった為に、その手の先輩や友人にヘラヘラ付き合いながらも、内心はジャニーズ系でありたいと思いながら日々過ごすのでした。

 

中学1年の後半になり友人4人でバンドをやろう!という事になり

NATO(ナトー)」という横浜銀蝿のコピーバンドを結成するわけですが、集まったのがギター希望4人というこれまたありきたりの状況に陥るわけです。

ここまで来たらもうおわかりですね!

お決まりのパート決めじゃんけん大会の始まりです。

ところが実は私はじゃんけんで一番先に勝ったのです!

勝った瞬間は当然リードギーターを頭がよぎったのですが、もうひとりの自分が囁くのです

「ドラムの方がカッコよくないか?」というのも今は断絶している兄貴の影響で小学5年生くらいからドラムはちょっとだけやっていたのです。

というわけで周りのビックリする顔をしり目に私のなんちゃってドラム人生がはじまるのです

(※写真は本物の横浜銀蝿ですw)

 

そんなこんなで横浜銀蝿のコピーバンド「NATO」が始まったわけですが、元来横浜銀蝿魂のないなんちゃって不良が集まったわけですから、すぐに横浜銀蝿サウンドに飽きがくるのも必然の出来事でして、結成7か月くらいで別れ話を言い出せない情けない男の恋愛のごとく自然消滅したのでした....

その後の中学時代はバンドなんか見向きもせずに、どうやったら近藤真彦になれるかばかり考えながら過ごすのです。

そうして高校生活を迎えるわけですが、高校に入ってからの私はある事をきっかけに寝ても覚めてもバンド活動に明け暮れる日々を迎えることになるのですがそれはまた今度...

 

つづく