
kan-haru blog 2013 閉鎖された京急蒲田西口の公共地下道
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京急蒲田駅高架化事業完了工事
・旧下り線地上ホームの撤去工事
4月4日に旧下り線京急蒲田駅地上1、2番線ホームを中2階改札階通路から見ると、前回記述時点より取壊し作業が進展し、北端部の一部を除いてはホーム屋根やホーム台は取り壊されており、地下連絡通路への階段跡とエレベータ建屋跡等を残すのみとなりました。
取壊しが進む旧下り線京急蒲田駅地上1、2番線ホームの遷移は、当初の京急蒲田駅の地上ホームは、国道15号線方から空港線1番ホーム、下り本線2番ホームと上り本線3番ホームの3本のホームがありました。2001年(平成13年)に高架化工事が始まり、2005年05月に空港線の1番線ホームの東縁側を8輌編成様に整形して、空港線線路をホーム西側から第一京浜国道側に約16m移設しました。元の空港線線路上は、新2番線ホーム用として12両編成の電車が停車できるように拡幅されました。2005年11月には、本線の下り線を空港線の旧線路跡に約16m移設され地上1、2番線ホームが誕生して、元の2番線ホームは廃止され取壊し(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第1回その1)」参照)となりました。

旧下り線京急蒲田駅地上ホームの取壊撤去工事(左上・中上・右上・左下・中下・右下:0404)
京急蒲田駅東西連絡通路から北方の旧下り線本線2番ホームの道床を見ると、ホームの北端部の一部には、僅かですがホーム屋根とホーム台が残っており、取壊し作業が行われていました。

京急蒲田東西連絡通路から見た北方部の旧下り本線ホーム道床部(左・中・右写真拡大0404)
蒲田駅東西連絡通路からから国道15号線寄りの旧下り線空港線1番ホームの道床を見ると、手前の右側の階段は、2002年5月に連絡橋上に京急蒲田駅東口改札口が設置され、東口出口から階段とエレベーターで第一京浜国道に結ばれ、同時に1・2番線と3番線の両ホーム間の連絡路を増設のため、延伸したホーム上付近に地下道連絡通路が新設(写真左参照)されました。

京急蒲田東西連絡通路から見た北方部の旧下り空港線ホーム道床部(左・中・右写真拡大0404)
蒲田駅東西通路から南方の旧下り線空港線1番ホームの道床を見ると、ホーム屋根とホーム台は壊されて撤去されています。ホーム部の南端には、平成25年3月24日に閉鎖された、公共地下道のコンクリート枠の残骸が見えます。公共地下道の代わりに、京急蒲田駅東西連絡通路が終日通行可能となりますが、通路では自転車を降りての利用となります。

京急蒲田東西連絡通路から南方を見た旧下り空港線1番線道床(左・中・右写真拡大0404)
京急蒲田駅の東西を結ぶ公共地下道は、蒲田駅東西連絡通路が終日使用できるので、3月24日に閉鎖されました。

3月24日に閉鎖された公共地下道(左・中・右写真拡大0404)
東西連絡通路を挟んだ南北の旧下り線空港線の道床には、高架橋の築造に使用した工事台の受け柱の多くの残材が、除去待ちの状況で佇んでいます。

東西連絡通路を挟んで旧下り線道床には撤去されない作業台柱の残材が多く見られる(左・中・右写真拡大0404)
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