kan-haru blog 2012 JR両国駅ホームから見た東京スカイツリー2012年1月 

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高さ634メートルと世界一高いタワーの東京スカイツリー(墨田区押上1丁目1−13)が2012年2月29日に完成し、施工担当の大林組から東武タワースカイツリーに引き渡しされました。東京スカイツリーの開業は、準備が進められ5月22日にオープンします。それに先立ち、最寄駅の東武伊勢崎線「業平橋駅」が、3月17日に「とうきょうスカイツリー駅」に改名して、「東武スカイツリーライン」の愛称で呼ばれ、特急電車が止まるようになりました。
東京スカイツリーの完成を記念して江戸東京博物館(墨田区横網1-4-1)で、特別展『ザ・タワー ~都市と塔のものがたり~』(主催:公益財団法人 東京都歴史文化財団 東京都江戸東京博物館 、読売新聞社、NHK 、 NHK プロモーション、特別後援:東武鉄道株式会社、東武タワースカイツリー株式会社、他2社、後援:フランス大使館、他2社、協力:日本科学未来館、他5社)が1階展示室で、2012年2月21日から5月6日まで開催され、併せて特集展「太陽の塔黄金の顔」(主催:公益財団法人東京都歴史文化財団、東京都江戸東京博物館)が5階常設展示室で、5月20日まで開催されますので、3月13日に見てきました。

 ザ・タワー ~都市と塔のものがたり~パンフレット

大森町から江戸東京博物館へは、今回は都営地下鉄浅草線大門駅で同大江戸線に乗り換えて、両国駅A4出口を出て1階玄関から入りました。

 ザ・タワー展示開催の江戸東京博物館(左・中:ザ・タワー広告展示開催の、:ザ・タワー1階展示室入り口)

入場料は、特別展 当日券は一般(65歳以下)が1,300円で、大学生・専門学校生が1,040円で、その他が650円であり、前売券の場合はそれぞれ200円安くなります。特別展と常設展を合わせた当日券は一般(65歳以下)が1,520円で、大学生・専門学校生が1,210円で、その他が760円で、前売券の場合は200円安くなります。なお、3月28日は江戸東京博物館の開館記念日のため、常設展示室の観覧料が無料になります。

 ザ・タワー ~都市と塔のものがたり~ 入場券

ザ・タワー ~都市と塔のものがたり~
・プロローグ展示コーナー
ザ・タワーの展示構成は、プロローグからエピローグまでの5章だてで構成されています。プロローグの展示コーナーでは、9点の雛型や容器などと、7点の銅版画や洋装本、木版画およびはがき版錦絵が展示されています。
このコーナーでは、塔はなぜ建てられたのだろうかに迫り、西洋では古代人が、神を信仰の対象として神を天空に置き、神を祀り、祈りをささげるために古代都市に建物が造られて、高みに近ずくため空に向かって、高く、高くジックラットと呼ばれる階層状の神殿が築かれましたが、地域の勢力争いの戦いの中で破壊されました。西洋のバベルの塔は、このジックラットをモデルにしたと云われ、人間が自分たちの町に建てようとした、最初の「都市の塔」でありました。しかし、人々は共通の言語を失い、コミニュケーションがとれなくなり、塔の建築が出来ずに、散り散りに離れていき、建築が放棄されたのです。

 バベルの塔 銅版画 フランス国立図書館蔵

「塔」という言葉は、サンスクリット語の「ストゥ―パ」の音を表した「卒塔婆」からきており、東洋では釈迦の仏舎利を納め、祀るために、紀元前3世紀頃に造られたお墓です。仏教がシルクロードを経て中国に伝わった時に、ストゥ―パは楼閣建築の影響を受けて、多層塔にと変化して煉瓦によるせん塔が作られました。朝鮮半島では石塔が主流になり、日本では木造の三重塔や五重塔が建立されました。日本の飛鳥・奈良時代の多層塔は、塔上のストゥ―パをかたどった相隣との間を心柱が塔の中心を貫き、心礎に空けられた穴に仏舎利を奉安し祈りを捧げるもので、人が登ることが出来ない構造です。

 日英博覧会に出品された薬師寺東塔の模型 東京芸術大学美術館蔵

・第1章展示コーナー
日本では戦国時代の終わり頃には城が建てられ、防御用の人が登る天守閣が作られましたが、見張りの目的のものでした。戦いの時代が過ぎ去り、江戸時代の江戸を見晴らす風景は、地形を利用して遠く霊峰の富士山を眺めていました。1809年(文化6年)に鍬形けい斎が描いた、江戸一目図屏風(六曲一隻)は、高い塔の無い時代に、高所から眺めた風景を想像力により描かれたもので、墨田川の東から遠く富士を眺め、所々に火のみやぐらを配し、江戸の微細な風景を一望する景色は、200年後の我々が東京スカイツリーの展望台から一望できるものです。

 江戸一目図屏風 津山郷土博物館蔵

明治に入り、江戸が東京に変わり、建物の高さの制約が解かれ、築地ホテルや第一国立銀行などの鐘楼や時計台を備えた洋風建築が出現して錦絵に描かれるようになりました。
江戸の高さが26mの愛宕山は、見晴らしの良さで四季それぞれの眺望が楽しめ、江戸庶民の人気を集めた名所でありました。1889年(明治22年)に、愛宕山に煉瓦作りの八角の5階建ての愛宕塔が建てられ、6銭の料金で登れたと云われてましたが、1923年大正12年の関東大震災により、倒壊焼失しました。

 愛宕山ノ高塔 国立国会図書館所蔵写真帳から

1887年(明治20年)には、浅草公園内に富士山を模して木製の骨組みに漆喰で塗固めた高さが約32メートルの、富士山縦覧場が登場して頂上には望遠鏡が備え付けられ、大人5銭で登ることができ、多くの人が押しかけて大変な人気となりました。2年後の1889年(明治22年)に暴雨風のため大きく破損して、修復をしたが人気は回復せず、翌年には取り壊されました。しかし、衆目を集めた富士山縦覧場は、東京において高塔の役目を果たすことになりました。

 富士山縦覧場江戸東京博物館蔵

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