
kan-haru blog 2008
< 総合INDEX へ
映画から昭和の庶民生活を知る
このところ、昭和の時代を描いた大作映画が続いて登場しております。
何れの映画も一般の庶民が登場する「家族」もので、舞台にヒーローや目的のある筋書きが無く、その時代の一庶民の普通の生活を描いた物語です。
昭和の世界大戦を知る
前回記述ブログの「母べえ」は、黒沢映画で長年活躍した作者の野上照代さんが、両親への鎮魂を込めて綴ったノンフィクションで、1940、41年(昭和15、16年)の世界大戦の忌まわしい時代に、拘置所内の父と留守家族との書簡を基に描かれた、1984年に応募した「女性ヒューマン・ドキュメンタリー」の入賞作品です。映画での最後の場面は、唯一のフィクションがあると著者が述べておりますが、両親は何も恵まれること無くこの世を去り、あの時代の一般庶民は皆が夢も希望も持てない生活をおくったのです。
この映画の時代を過ごした者にとっては、物語が語っている悲しみを通り越して、あの戦争の過ちのを二度と繰り返してはならないとの印象を強く受けます。「母べえ」の山田監督は、「このホームドラマを通して、あの恐ろしい太平洋戦争を描きたかったんだ。」と言っております。愚かで悲惨な戦争を、現代の世代に語り継がれることを望みます。
昭和30年代の生活を知る
昨年11月に封切りされた「ALWAYS 続・三丁目の夕日」は、2005年公開の前作「ALWAYS 三丁目の夕日」が1955年(昭和30年)の東京タワーが建ち始めた時代の、夕日町三丁目をCGにより当時の街を忠実に再現した舞台で、一般庶民の生活振りを描いた物語の続編です。

ALWAYS 三丁目の夕日の時代
「ALWAYS 三丁目の夕日」の原作は、31年間に亘り連載が続く西岸良平著のコミック「三丁目の夕日」を山崎貴監督が脚本執筆したものです。
物語は、青森県から集団就職で鈴木オートに、星野六子がやって来たところから始まります。
当時世界一の東京タワーが完成したのは1958年(昭和33年)で、僅か15か月でエッフェル塔の約半分の鋼重量で完成し、鈴木オートにもテレビがやってきました。
焼け野原から13年で世界一のタワーを作ろうという、当時の日本人の気概は凄いもので、希望の持てる時代でした。
当時の私は、1956年(昭和31年)に大学を卒業して就職難の中、中小企業に就職して安給料に甘んじながら、日曜の休日出勤、長時間残業の勤務をしていましたが、当時は当たり前のこととして仕事をこなしておりました。
ALWAYS続・三丁目の夕日の昭和34年
前作から4年後の続・三丁目の夕日が始まる1959年(昭和34年)は、戦後のどん底から僅か10数年で日本が復興して、当時の庶民はまだ物が豊富ではありませんが、明日への希望を大きく持つことができて、心の豊かさを感じながら生活を送れた時代でした。
前作を見て、CGによる夕日町三丁目の当時の街の時代再現の技術力に感激して、続編を昨年の11月21日に鑑賞しました。
1959年(昭和34年)の日本は、4月に皇太子殿下ご成婚され、各社のテレビが総力で中継して受信契約が200万を突破し、東海道新幹線の起工式が行われました。また、5月には1964年のオリンピックの開催地が東京に決定し、それまでに路面電車の廃止を決めました。しかし、当時の日本人の平均寿命は、男65歳、女69.6歳でした。
続・三丁目の夕日の物語の昭和34年は、日本の高度成長期に入る前の時代で、舞台に出てくる日本橋はまだ高速道路が橋上に被さっておらず、子供達は空き地でベーゴマ遊びをし、アイスキャンデー売りに群がった時代で、テレビもどこの家には無く最初に購入したお店に皆で見に行きました。この時代の庶民の結びつきは強く、心が豊かな時代でした。
・昭和30年代物語~街角のたばこ屋さんをさがして~特別展

たばこと塩の博物館(東京都渋谷区神南1-16-8)では、2007年9月15日から11月11日まで特別展「昭和30年代物語~街角のたばこ屋さんをさがして~」を「ALWAYS続・三丁目の夕日」製作委員会の協力で開催されました。10月21日に見てきました。

・懐かしの昭和30年代 ALWAYS続・三丁目の夕日展

日本橋三越本店新館7階ギャラリー(東京都中央区日本橋室町1-4-1)で、2007年11月20日から25日まで「懐かしの昭和30年代 ALWAYS続・三丁目の夕日」展が開催されました。11月22日に見てきました。

< 総合INDEX へ
毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(2月分掲載Indexへ)
カテゴリー別Index イベント総目次 2007・2008年版、2006・2007年版 へ
<前回 イベント 映画「母べえ」大森町に住み始めた時代の激動の世界大戦を生きた家族の物語 へ
次回 イベント 鉄道博物館 交通博物館(須田町)から鉄道博物館(さいたま市)への進化 その1 へ>