kan-haru blog 2007

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江戸天下祭山車巡行
天下祭の山車巡行の行列は、江戸木遣り、手古舞などが先導し、民謡流し踊りと朝鮮通信使に続いて14台の山車が丸の内のオフィス街を江戸情緒に染めあげます。
その往時の華麗さを今に伝える山車の巡行を都合により見られませんので、山車巡行出発間際の時間帯に展示場を覘いて見ました。江戸フェスティバル会場は、見物者と山車・神輿の曳き手、担ぎ手が待機して大変な人出でした。

・山車巡行出発の式典
江戸フェスティバルステージでは、巡行前の式典が行われ、最後の木遣で巡行の出発です。

                                          木遣り

出発に備える山車の前では、川越の奇麗どころと、若い女性の囃子手や女性神輿の担ぎ手が待ちかねております。

       (拡大)              (拡大)               (拡大)

今回のパレードには、朝鮮通信使を再現した一行も山車巡行の先導に加わりました。

       (拡大)          朝鮮通信使(拡大)           (拡大)

朝鮮通信使の起源は、1375年に足利義満によって派遣された日本国王使に対して信を通わす使者として派遣された返礼が始まりであり、日本の国情視察目的も密かに含まれており3度来日しています。
その後、豊臣秀吉による文禄・慶長の役の後、断絶していた李氏朝鮮との国交を回復させ、400年前の1607年(慶長12年)に、通信使は将軍の代替わりや世継ぎの誕生に際して、朝鮮側から祝賀使節として派遣されました。1811年に通信使が対馬までで差し止められまで、計12回の通信使が派遣されましたが、それを最後に断絶しました。(Wikipediaから)

・巡行の山車
巡行の山車は、明治時代に市内電車の開通により電線が引かれ、山車を引くことが出来なくなり、1889年(明治22年)の憲法発布を記念し、山車100台を皇居前に集結しての巡行を最後とし行われなくなりました。そのため、それらの山車を地方に移したので、関東周辺での祭が盛んになったようです。

展示の山車を順不同で見てみます。

 張飛翼徳(拡大)   弁慶と牛若丸(拡大)    羽衣(拡大)     弁財天(拡大)
・張飛翼徳(ちょうひよくとく) 栃木県栃木
・弁慶と牛若丸 千代田区九段4
・羽衣 千代田区神田
・弁財天 茨城県石岡


 翁二人立(拡大)     石橋(拡大)      神武天皇(拡大)    石橋獅子(拡大) 
・翁二人立 港区赤坂
・石橋(しゃっきょう) 埼玉県本庄
・神武天皇 埼玉県飯能
・石橋獅子(しゃっきょうじし) 千葉県佐倉


   牛若丸(拡大)    徳川家康(拡大)    二見ヶ浦(拡大)    稲村ケ崎(拡大)
・牛若丸 千代田区九段3 
・徳川家康 埼玉県川越
・二見ヶ浦 静岡県掛川旭組
・稲村ケ崎 静岡県掛川せ組


        東郷元帥(拡大)
・東郷元帥 千代田区三番町

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