kan-haru blog 2007
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21:16 202
長岡花火の歴史
長岡花火は、1879年(明治12年)に千手町八幡社のお祭りに、4、5、7寸の花火を350発打ち上げたのが最初の花火大会と云われ、その後花火技術の向上で尺玉、尺二寸玉が登場し、明治後期には堤防沿いに「桟敷」を設置し、長岡煙火協会が設立され長岡花火が確立されました。1917年(大正6年)に二尺玉、1926年(大正15年)には正三尺玉が登場しました。

19:49 96 19:50 100 19:50 102 19:54 110
1938年(昭和13年)には戦局が傾き、花火大会は中止されましたが、戦後の1947年(昭和22年)には戦争で旧市街の殆どが焼き尽くされた8月1、2日を「長岡市戦災復興祭」の名で花火を復活しました。1951年(昭和26年)から8月2、3日に変更して「長岡祭り」と改め、正三尺玉の打上げが復活しました。(長岡祭り協議会より参照)

19:51 103 19:52 107 19:59 120
8月2日の花火番組
8月2日打上げの大型花火は、番組一覧表に記載の通り正三尺玉2発を筆頭に、二尺玉、10号(一尺玉)、7号、5号にスターマインと45項目の番組に合わせて、2時間で1万発の花火を打ち上げるという絢爛華麗な、正に日本一の豪華な花火大会です。
長岡市の発表によると花火の来場者は、2日が39万人で、3日が40万人とでております。

20:05 132 20:06 133 20:06 135
番組を見るとその豪華さは、一尺玉(10号)が1分間に10発以上打ち上げる番組が6つもあり、本ブログその1にも記載しましたが、米100俵花火は尺玉を100発も打上げます。
その豪華な模様は、お腹に響く打上げの大音響や広範囲な打上げ場所からの横と縦の壮大な連発・速射の花火は、デジカメの小範囲な映像などでは撮らえることが出来ません。

20:16 143 20:17 144 20:19 145
花火撮影
何といっても豪華な花火大会の雰囲気を伝えるには、とてもブログでは表現できません。普段花火の撮影チャンスも殆ど無く今回がはじめての撮影で、どの花火がどの番組のものかについても整理できません。
しかし、折角の花火大会ですので、マス席では3脚を構えての撮影は不可でありデジカメの手持ち撮影ですので、変化のあるスターマインの撮影は出来ないため打上げ花火に限定されますが、多少でも雰囲気が感じられればと写真を掲載しました。

20:21 153
各撮影写真には、分単位の撮影時間を記載してあります。
当日は、番組表の記載時間より、多少前倒しで打上げが開始されました。そこで、長岡花火ライブラリーに掲載の各種花火の打上げ時間を記載しましたので、参考に対比してみてください。

20:36 162 20:51 172 20:52 173
花火打上げ
打上げは19時23分から開始され、中越沖地震で亡くなられた人への追悼と、中越地震、中越沖地震からの復興への決意を込めた尺玉がそれぞれ1発づつ打ち上げられました。
20時丁度に超大型ワイドスターマインが打上げられ、ベスビアス大スターマインが20時13分にこれでもか!というくらい連発が続きました。ベスビアス大スターマインは、イタリアの「ベスビアス火山」の大噴火を思わせる豪華なスターマインで、2分間で4、5百発の花火が打上げられます。

21:01 182
20時25分に、延長650mの大瀑布のナイアガラと共に待望の正三尺玉が打上げ(地図再掲)られました。直径90cm、重さ300kg、使用火薬が80kgで、600m上空に打ち上げられ650mの大輪の花を咲かせます。写真撮影は、残念ながらうまくいきませんでした。
米百俵花火・尺玉100発は、21時丁度に打ち上げられました。1986年(昭和61年)市制80周年を記念して誕生した花火で、約1秒間隔で10号玉花火を80発打上げたもので、その後毎年1発ずつ増やして、市制100周年で百発になりました。

21:01 183 21:01 184 21:01 187
21時17分に2発目の正三尺玉が打上げられ、そろそろ花火もクライマックスです。
平成16年に発生した中越大震災から、長生橋から長岡大橋間の全長約1.7km(地図再掲)にわたる超ワイドスターマインの復興祈願花火フェニックスが、21時22分に「ジュピター」の曲に合せて約3分間、6カ所から打ち上げられる不死鳥(フェニックス)の形をした花火などが夜空に舞い上がりました。

21:16 204 21:17 210 21:17 211
花火師さん有難う
打上げ花火が終了して、花火師さんに有難うの感謝を伝えるため、河川敷から土手で花火を観賞していた観客が、合図と共に一声に携帯やカメラなどのフラッシュを点灯して腕を振りました。その応答に、花火が打ち上げられ花火大会が終了しました。
花火会場から一斉に帰路につきましたが、道が混雑して来るときの倍の時間を要して、ハイブ長岡のバス駐車場に戻り、宿泊地の苗場に出発したのは23時30分を過ぎていました。

花火師さん有難う 21:21 215
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毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております。(8月分掲載Indexへ)
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21:16 202
長岡花火の歴史
長岡花火は、1879年(明治12年)に千手町八幡社のお祭りに、4、5、7寸の花火を350発打ち上げたのが最初の花火大会と云われ、その後花火技術の向上で尺玉、尺二寸玉が登場し、明治後期には堤防沿いに「桟敷」を設置し、長岡煙火協会が設立され長岡花火が確立されました。1917年(大正6年)に二尺玉、1926年(大正15年)には正三尺玉が登場しました。

19:49 96 19:50 100 19:50 102 19:54 110
1938年(昭和13年)には戦局が傾き、花火大会は中止されましたが、戦後の1947年(昭和22年)には戦争で旧市街の殆どが焼き尽くされた8月1、2日を「長岡市戦災復興祭」の名で花火を復活しました。1951年(昭和26年)から8月2、3日に変更して「長岡祭り」と改め、正三尺玉の打上げが復活しました。(長岡祭り協議会より参照)

19:51 103 19:52 107 19:59 120
8月2日の花火番組
8月2日打上げの大型花火は、番組一覧表に記載の通り正三尺玉2発を筆頭に、二尺玉、10号(一尺玉)、7号、5号にスターマインと45項目の番組に合わせて、2時間で1万発の花火を打ち上げるという絢爛華麗な、正に日本一の豪華な花火大会です。
長岡市の発表によると花火の来場者は、2日が39万人で、3日が40万人とでております。

20:05 132 20:06 133 20:06 135
番組を見るとその豪華さは、一尺玉(10号)が1分間に10発以上打ち上げる番組が6つもあり、本ブログその1にも記載しましたが、米100俵花火は尺玉を100発も打上げます。
その豪華な模様は、お腹に響く打上げの大音響や広範囲な打上げ場所からの横と縦の壮大な連発・速射の花火は、デジカメの小範囲な映像などでは撮らえることが出来ません。

20:16 143 20:17 144 20:19 145
花火撮影
何といっても豪華な花火大会の雰囲気を伝えるには、とてもブログでは表現できません。普段花火の撮影チャンスも殆ど無く今回がはじめての撮影で、どの花火がどの番組のものかについても整理できません。
しかし、折角の花火大会ですので、マス席では3脚を構えての撮影は不可でありデジカメの手持ち撮影ですので、変化のあるスターマインの撮影は出来ないため打上げ花火に限定されますが、多少でも雰囲気が感じられればと写真を掲載しました。

20:21 153
各撮影写真には、分単位の撮影時間を記載してあります。
当日は、番組表の記載時間より、多少前倒しで打上げが開始されました。そこで、長岡花火ライブラリーに掲載の各種花火の打上げ時間を記載しましたので、参考に対比してみてください。

20:36 162 20:51 172 20:52 173
花火打上げ
打上げは19時23分から開始され、中越沖地震で亡くなられた人への追悼と、中越地震、中越沖地震からの復興への決意を込めた尺玉がそれぞれ1発づつ打ち上げられました。
20時丁度に超大型ワイドスターマインが打上げられ、ベスビアス大スターマインが20時13分にこれでもか!というくらい連発が続きました。ベスビアス大スターマインは、イタリアの「ベスビアス火山」の大噴火を思わせる豪華なスターマインで、2分間で4、5百発の花火が打上げられます。

21:01 182
20時25分に、延長650mの大瀑布のナイアガラと共に待望の正三尺玉が打上げ(地図再掲)られました。直径90cm、重さ300kg、使用火薬が80kgで、600m上空に打ち上げられ650mの大輪の花を咲かせます。写真撮影は、残念ながらうまくいきませんでした。
米百俵花火・尺玉100発は、21時丁度に打ち上げられました。1986年(昭和61年)市制80周年を記念して誕生した花火で、約1秒間隔で10号玉花火を80発打上げたもので、その後毎年1発ずつ増やして、市制100周年で百発になりました。

21:01 183 21:01 184 21:01 187
21時17分に2発目の正三尺玉が打上げられ、そろそろ花火もクライマックスです。
平成16年に発生した中越大震災から、長生橋から長岡大橋間の全長約1.7km(地図再掲)にわたる超ワイドスターマインの復興祈願花火フェニックスが、21時22分に「ジュピター」の曲に合せて約3分間、6カ所から打ち上げられる不死鳥(フェニックス)の形をした花火などが夜空に舞い上がりました。

21:16 204 21:17 210 21:17 211
花火師さん有難う
打上げ花火が終了して、花火師さんに有難うの感謝を伝えるため、河川敷から土手で花火を観賞していた観客が、合図と共に一声に携帯やカメラなどのフラッシュを点灯して腕を振りました。その応答に、花火が打ち上げられ花火大会が終了しました。
花火会場から一斉に帰路につきましたが、道が混雑して来るときの倍の時間を要して、ハイブ長岡のバス駐車場に戻り、宿泊地の苗場に出発したのは23時30分を過ぎていました。

花火師さん有難う 21:21 215
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