
kan-haru blog 2007
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貴菅神社盆踊り大会
第一京浜国道の本宿の脇にただずむ貴船(貴菅)神社では、例年通り7月21、22日に境内で盆踊り大会が開催されました。
昨年神社を訪ねたのは、盆踊り大会が済んだ翌日の役員さんが跡片付けをしている時でしたので、今年は盆踊りが開催している7月21日金曜日の夕食を済ませた20時頃に行って見ました。
現境内での盆踊り
貴船(貴菅)神社(大田区大森西5-27-7)は、前回のブログ(「大森町界隈あれこれ(L31) 大森町の社寺 ささやかに鎮座する貴船(貴菅)神社」参照)記載にある通り第一京浜国道(国道15号)に接しているので、決定済みの道路が拡幅されると現在の境内が縮小されるため、神社裏側の路地先の空き地へ移動することを町会で検討をしている様です。
そのため、例年開催の現境内での恒例の盆踊りの実施は工事立ち退きまでとなり、以降は移転場所での盆踊り大会となります。
盆踊り大会
貴管神社の氏子は、本宿町会の一つの町会の纏まりのある地域ですので、現境内での盆踊り大会も、いつか先には移設される本殿横の馴染みの深い小さな広場で、例年のように多数参加して開催されました。

(拡大1) (拡大2) (拡大3)本殿横での盆踊り
盆踊りは、21、22日共19時から21時まで天気にも恵まれ、町内の皆んな揃って納涼盆踊りが、何時もの本殿横広場で繰り広げられました。この場所での、踊りの様子を想い出の記録として残しました。

(拡大1) (拡大2) (拡大3)現境内最後の盆踊り
第一京浜国道の拡幅

第一京浜拡幅前の貴管神社(拡大) 貴管神社境内の第一京浜拡幅予定(拡大)
現在、第一京浜国道は、東京都都市計画道路(幹線街路放射第19号線)による拡幅工事を、大森町駅付近から多摩堤通りまでの区間の1190mの工事計画で、幅員は約35~50mに広げることで進められてます。

東京都都市計画道路(幹線街路放射第19号線)拡幅工事 再掲
間(あい)の宿
品川宿と川崎宿の中間に当たる東海道の大森には、馬子人足の休息のために立場茶屋(「大森町界隈あれこれ(N31) 大森町風景 旧東海道(三原通り) その1」参照)が設けられ、旅行者の増加に伴いそれらの人々にも供せられ、間(あい)の宿とも呼ばれました。立場は、東大森村の貴管神社付近の谷戸(やと)の立場と雑色村の花の立場(現在の六郷二丁目、仲六郷二丁目付近)の二か所にありました。
立場には、馬子人足の溜場や、旅行者の休息のための煮売茶屋がありました。後になって、歩行不能となった旅行者に、宿泊を提供する煮売茶屋がでてきたので、宿駅を保護するために煮売茶屋の旅籠行為と、立場付近の村民による馬による運送業務の禁止令がだされました。
しかし、1820年頃の江戸後期には、東海道は相当数の社寺参詣者が通行して、大森の間(あい)の宿ではかなりの旅籠の類似行為が行なわれていたと云われてます。
貴管神社は、江戸時代には大森村のうち東海道に面した本宿の鎮守であり、明治42年7月東海道をはさんで当社の真向かいに祀られていた菅原神社を合祀した神社です。
旧東海道は、1922年(大正11年)に第一京浜国道の建設が行われ、谷戸では国道の東端面が旧東海道に沿って造られましたので、鳥居の建之が大正14年と銘打っておりますので、この時点で境内の整理の造作が行われたものと思われます。
今回の第一京浜国道の拡幅は、85年振りの工事で境内の縮小が時代の要請で進められております。
最後に、神社の例大祭は、八月最終の土・日曜日に定めれておりますので、現境内でのお祭りの記録も残して置きたいと思っております。
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