kan-haru blog 2007

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戦後の大森町 その1
・終戦直後の住居地周辺の様子
疎開から引き揚げた1945年(昭和20年)秋頃の仮住まい付近の地域はどんな様子であったのかを、同年9月に米軍が撮影した空中写真から、陸測1万分之1地形図(1937年)を参考にして日本地形社が作成した、戦災復興院の大森5千分之1地図(1946年12月仮製版)を元にして、当時の記憶を元に編集した住居地周辺地図(地図参照)から再現してみます。なお、地図の文字が読みにくい場合には、地図を拡大(「番外編 ブログ記事の参照地図を拡大して見る方法 [付 kan-haruの日記3月月間INDEX] 」参照)して見てください。

・大森町の殆どは焼け野原
地図の大半の道路部以外が空白の部分は、1945年4月15日の大森町大空襲で焼け野原となった所を示します。地図上から見ると焼け残った部分は、地図東南部の東京ガス大森工場、日本特殊鋼とその両工場に挟まれた、引き揚げ後の暫定居住地付近の十数戸の住宅と、大森第五国民学校を含む近辺の若干の住宅の外、入新井一、二、四丁目の帯状の住宅と、捕虜収容所(後述)の島だけが僅かに戦災を免れたのでした。
東京急行京浜線(現京浜急行電鉄)の大森山谷駅は焼失のため暫くは営業停止が続きました。沢田通りとあるのは現在の環七通りのことで、当時は第一京浜国道で止まっておりました。
学校裏駅(現平和島駅)は、地図に示す通り当初は沢田通りの南側にありましたが、戦中の1943年に現在地の平和島駅の場所に移転されておりました。

・終戦時の東京湾海岸線
東京湾の海岸線は、東京ガス大森工場、日本特殊鋼の東側が海岸線であり、大森第五国民学校は海に接しておりました。
当時の東京湾の湾岸線を、米軍が1947年4月14日に高度6,705mから撮影した標準・縮小サイズ(撮影縮尺:1/43,740)の航空写真(国土地理院 標準縮小写真)と共に、小島部付近をトリミングした写真を掲載しました。当時のこれらの航空写真をみると、1939年の東京港修築事業による京浜第1区の埋立工事が開始された、現在大井競馬場のある品川区の勝島が、大戦による物資欠乏による工事が打ち切られるまでの一部完成した埋め立ての島の姿が見られます。

・当時の平和島は捕虜収容所の小島であった
大森第五国民学校の対岸には、防潮堤に接して小島(地図航空写真参照)が見えます。この小島は、勝島と同様に東京港修築事業京浜第2区の埋立工事により僅かな面積の埋め立てが進みましたが、物資欠乏で工事が中止となりました。
この埋立工事第2区の小島は、戦時中はアメリカなどの連合国側の捕虜を収容する東京捕虜収容所でありました。戦後は、一時東条英機ら戦犯の一時収容所になっておりました。
このような経緯から、平和への祈りを込めて「平和島」と呼ばれるようになりそのまま地名になりました。


若山武義氏の戦後史手記(1946年記述) マッカーサーの進駐 第7回
アメリカの宣伝ビラ
敗戦の今日、なる程、満州事変以来政党の無気力に乗じ、官僚と組んで総ゆる政治に乗り出し、軍人にあらずんば人でないと云う程の勢いであった。勝てば官軍、負くれば賊となる、負けたら理も非となる故に、邪が非でも戦は捷たねばならぬ。歴史は後から創作出来るけれど、さりとて無名の師は許されぬ。邪は正に捷たざるは千古の金言である。
極東軍事国際裁判に被告となっている、かっての我が国の戦争指導者達である処の御歴々の人々よ。

  一将功なって万骨枯るる
の一句を御承知ない事はあるまい。このアメリカの宣伝ビラに対し、今日の我等は真に感慨無量である。
更に次ぎは、御紋章を中央にし、祟神天皇の践柞の御詔敇を掲げ、其の裏面に解説して曰く

  この詔こそ帝国永遠の真理である。然し現在の閣僚は帝国を安泰ならしめる大任を果たして
  居ない。彼等は平和を愛好せらるる陛下と国民との間に介在し、平和に対する上位下達、下
  位上達を阻害して居る。彼等は国家の運命をかけて大賭博をやり、完全に失敗しながら切腹
  して責任をとろうともせず、逆に国民に全国的自投を強要して己が罪をおおわんとして居る。
 
  日本には平和を欲する人が沢山ある。憲法に明示する権利により諸氏は陛下に直訴すべきで
  ある。彼等に国家と破滅させてはならない。
  軍閥が滅びた時は、雄略天皇の詔に「今宇内一衆の如く百姓堵に安んじ四夷叛くなく是れ天
  意の然らしむる処なり」と仰せられた様に、国家の再び栄える日を見る事が出来るであろう。

と。今日迄夢のように忘れて居た古事記の講義を先き様から承るのである。

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