東京都H11異業種交流会分科会の研究会では、月1回集まりITの勉強会を開いてますが、秋の陽気の良い一日を屋外で過ごそうと、懇親をかねて10月22日の日曜日にキリン横浜ビアビレッジ見学の課外研究会を開きました。

生麦事件碑の前を通りキリン横浜ビアビレッジへ
当日は天気に恵まれ、京浜急行電鉄の生麦駅に11時に5人が集合し、キリン横浜ビアビレッジ(キリンビール株式会社 横浜工場 横浜市鶴見区生麦1-17-1)に向かって(地図参照)第一京浜国道を渡り、さらに進むと旧東海道に出るのでそこを左折して進むと、第一京浜国道と合流する少し手前の左方に「生麦事件碑」(横浜市鶴見区生麦1-17-1)が見えてきます。


生麦事件は、1862年(文久2年)8月21日、薩摩藩主の父・島津久光の行列が生麦村を通行中、馬に乗って行列に紛れ込んだ4人の外国人の1人、英国商人リチャードソンが警護の武士に斬り殺され、賠償問題から薩英戦争にまで発展した事件です。
生麦事件碑は、1883年(明治16年)、鶴見の黒川荘三がリチャードソンの死を悼み、事件の風化を防ぐために私費を投じ建立したものです。
碑の脇の看板には、「石碑が老朽化しています。線香はご遠慮ください」とあり、殺害されたリチャードソンへの焼香が、いまも続いていることを窺わせます。

パブブルワリー「スプリングバレー」
第一京浜国道に面したウエルカムゲートを潜ると、キリン横浜ビアビレッジの構内であり、エントランスプラザで13時30分からのキリンビール 横浜工場の見学手続を済ませ、見学までにたっぷりある時間を最初の楽しみである、併設の明治初期のビール醸造所をイメージして建てられた、赤レンガの建物のパブブルワリー「スプリングバレー」で、季節ごとに製造して、その季節だけでしか飲めない個性豊かなシーズンビールのオリジナルビール9種類と、通年販売の2種類のオリジナルビールを、先ずはそれぞれに味わいました。


定番ビールは、本格派のピルスナービール「スプリングバレー」でドイツの伝統的な製造法を忠実に守り、モルトと水とホップだけで作ったビールと、ほのかに甘くまろやかな濃色ビール「デュンケル」でドイツのミュンヘンの黒ビールそのままのコクのある味わいのビールに、シーズンビールは明治時代に横浜で醸造されたビールで「横浜ビヤザケ」と呼ばれていたもので、文明開花当時の味を再現したものです。
工場の見学時間まで、古いビール醸造設備の展示や、実際に稼動している小型のビール醸造設備をガラス越しに見ながら、作りたてのおいしいビールを味わいたっぷりと堪能しました。


横浜工場見学
横浜工場見学(ブルワリーツアー)は、撮影禁止ですので雰囲気をお伝えします。
ブルワリーツアーは、ビールの歴史を学び、原料に触れ、ビールのできるまでを楽しめる、発見と体験の時間です。
申し込み時間毎の見学者グループの一団を、美人の正・副のガイドさんの案内により進み、原料展示コーナーでは、麦芽を手にとって確かめたり、ホップの香りを実際に嗅いだりしながら、仕込み、発酵・貯蔵、ろ過、パッケージング、出荷までの工程によりビールが出来上がるまでを学びます。
最後に出来立てのビールを、試飲コーナーで試飲して終了です。

旧東海道老舗の蕎麦処吉田家
キリン横浜ビアビレッジでは、ビールに始まりビールで終わり、食事をとってない事に気付き、京浜急行電鉄の生麦から各駅停車で20分ほどの立会川駅で降り、旧東海道の品川宿の近くの立会川蕎麦処吉田家(東京都品川区東大井2-15-13)に寄り、そば焼酎ともりそばで日本通の食によりシメました。
立会川駅を降りると、何と駅前に坂本竜馬の銅像がありました。自宅の大森町駅からは、品川寄りの3駅先ですが、普段は降りる機会が殆ど無いため気が付きませんでした。
立会川周辺の宅地造成地で、1853年のペリー来航を機に土佐藩が建てた浜川砲台の石と見られる20数個の石が発見され、当時、江戸で剣術の修行中だった竜馬も警護にあたったとされるそうで、その関係で高知市から寄贈されたとのことです。

蕎麦処吉田家のそばは、見た目はやや白いのですが、つなぎを一切使わないそば粉十割の手打ちで、さらりとした蕎麦つゆはとてもお美味しいく、一度食べると忘れられない老舗の味です。
吉田家は、東海道品川宿の外れ、鮫洲に1856年(安政3年)に営業していた記録が鮫洲八幡神社の石灯籠の台座に刻まれています。現在の吉田家は大正元年に鮫洲吉田家の分店として隣町である東大井(旧名 北濱川)の地に開店しました(吉田家の歩み)。

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