
写真 中央演舞場をスタートする連
高円寺の阿波踊りは、1957年(昭和32年)に現在の高円寺パル商店街振興組合に青年部が誕生し、その記念に四国徳島の郷土芸能の阿波踊りを初めたのが最初で、今年第50回を迎える歴史のあるイベントであるが、高円寺の阿波踊りの歴史によると、第一回目は、阿波踊りの経験者がいなく民謡の先生に教わり、おはやしもチンドン屋に頼み、演奏されたの「佐渡おけさ」のリズムで、高円寺らしさをと「高円寺ばか踊り」と称して、高円寺駅から宝橋までの約250メートルを踊り、踊り手は1連33人で、観客は2日で4千人であったと云われております。
第50回高円寺阿波踊り
今年は、第50回高円寺阿波踊りで、毎年8月最終土、日の2日間開催されます。
8月27日の日曜日に、高円寺阿波踊りを見に行きました。
JR高円寺駅南北商店街、および高南通りに設置された9カ所の演舞場で、約188団体(連)、約12,000人の踊り手が、軽快なお囃子を奏で、踊ります。見物客120万人あまりを動員するその規模は、徳島に次いで第2位の規模を誇ります。
高円寺阿波踊りの演舞場は、連が踊る演舞は細く長いことが条件ですので、すべて一般道や商店街の道路が利用され、JR 高円寺駅南口にほど近い高南通りの中央演舞場、東京高円寺阿波おどり発祥の地であるパル商店街のパル演舞場などの9演舞場で行われます。
阿波踊り見物場所の確保
浅草サンバカーニバルでは、パレードが開始されてから到着したため見る場所の確保ができず、目前での踊りの見物ができなかったのに懲りて、JR 高円寺駅に着いたのは約1時間ほど前に着きました。高円寺駅は、電車が到着するたびに人の流れの列で物すごい混雑でした。駅を出ると、帰りの切符の手配のため、乗車券売り場は長蛇の列でしたが、SUICAを利用しておりますので、切符の心配は無用です。
そこで、場所取りのため先ずは駅の近くから物色を始めました。中央演舞場の高南通りの左側は、桟敷席が設けられているので一般者は入れませんので、通り右側に場所をとりたいと思いましたが、歩行者一方通行になっているため通りは進めません。
高円寺阿波踊りの見物は、今回で2度目ですが、前回はかなり以前のことで様子も異なっておりましたが、パル演舞場付近で見物したことを思い出して、高南通りを渡りパル商店街通りの1本手前のワキ道を南下し、途中の路地を左折して高南通りに出ました。
中央演舞場付近の見物場所確保
高南通りは、まだ南下できましたので進み、中央演舞場近くの開始1時間前の見物客の様子は、三列が前方に立っておりましたが、取敢えず四列目でも見られそうな様子ですので見物場所と決めました。
しばらくすると、午後5時半過ぎころから沿道の車道に沿って見物用のゴザを敷き始めました。ゴザが開放になり、それまで立っていた三列の見物客はゴザ席に座りましたので、立ち見客の最前列に位置して見物することが出来ました。

この場所(中央演舞場本部)は、毎年大会オープニングのテープカットが行われる中央演舞場で、高円寺南4丁目交差点付近から、駅方向へ向かって踊りが進みます。ここの演舞場を踊るために1年間練習を重ね、一番気合いを入れて踊る踊り子も少なくなく、高円寺阿波踊りの見物の特等席で、スタートの瞬間から阿波踊りを堪能しました。
(写真1、写真2、写真3、写真4、外人も仲間、提灯曲芸)
開始後1時間を経過ころから、ゴザ席も空いてきましたので、立ち見も少々疲れてきましたので、座ってみました。しかし、座っての見物は、立ち見の全広角視野とは異なりやや見にくいのですが、前日の浅草サンバ見物とは異なり贅沢に阿波踊りを堪能し、途中の午後8時ころ帰宅しましたので道路も電車もそれほどの混雑なく楽な見物ができました。
第50回大会(2006年)各賞受賞連は、NPO法人東京高円寺阿波おどり振興協会の発表によると、東京都知事賞が練馬喜多町ぽんぽこ連、杉並区長賞が山形んだず連、都議会議長賞が新枠連などでした。
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