浅草サンバカーニバル
昭和30年代後半から40年にかけて、当時の内山台東区長と浅草喜劇俳優の故・伴淳三郎氏が、浅草の新しいイメージをつくるものとして、ブラジルのサンバカーニバルを浅草のお祭りとして取り入れることを提案。これをきっかけに、地域の観光や商店街の活性化を目的として、1981年に始まった「浅草サンバカーニバル」は、毎年8月の最終土曜日に行われます。

「第26回浅草サンバカーニバル」は8月26日に開催されパレードには、全国の企業、学校の33チーム約4500人が参加しました。パレードは、午後1時半から馬道通り~雷門通りを、大きな羽飾りなどをつけたきらびやかな衣装のダンサーたちが、陽気なサンバのリズムに乗って次々と繰り出し情熱的な踊りを披露、浅草はラテンムード一色となります。
「浅草サンバカーニバル」のサンバも、夏の風物詩として定着し、約50万人の見物人で埋まりラテンリズムを堪能しました。

パレードが見られない
26日は午後1時過ぎに家を出て、京浜急行から直通の都営1号線で浅草にサンバカーニバルを見に行きました。浅草駅に着くと乗客の大半が下車して、カーニバルへと向かう見物客につれて雷門前へ出ると、雷門通りはパレードが開始されており大変な混雑で、とてもサンバの踊りを見物できる状態ではありませんでした。なにしろ、パレードが通る馬道通り~雷門通りの距離800mに、50万人の見物客が見物するのです。サンバの踊りは、見に行くのがが遅かったので五~六重の人垣の最後列から垣間見るほかありませんが、パレードが通る道路は殆ど見えない状況でした。

そこで、少しでもサンバの踊りの雰囲気でも味わおうと、雷門通りをゴール方向に進もうとしましたが、見物客で歩道がいっぱいで通行困難なため、雷門通りに並行した裏道を歩いて、パレードのゴールよりやや先にたどり着きましたが、そこでも見物人が三~四重の人垣でしたが、パレードの進む道路は見られました。しかし、ゴールの跡ですので、サンバの踊りを見ることができませんでしたが、パレードの踊りを終えた踊り子や車の通過がやっと見ることができた状況でした。

これより、浅草サンバカーニバルは、他のイベントに比べると、サンバの踊りが公開して見られる場所がかなり短い割りに、見物者の数が多いことから、雰囲気を少しでも味わって見物するためには、遅くてもカーニバル開始の1時間以上前に見物する場所を確保することの必要を悟りました。
しかし、26日の天候は曇り勝ちで若干涼しめでしたが、例年のこの時期は暑さが厳しいことが多く、長時間に亘り暑いなか席待ちするのが耐えられる人以外は見物ができないことになります。

それでも、せっかくサンバの踊りの雰囲気を味わいに来たのですから、サンバの踊りと踊りの済んだダンサー(写真1写真2写真3)の一部を写真に撮り、早々と退散しました。


つくばエクスプレスに初乗り
帰路は、せっかく国際通りそばにおりましたので、開通一周年を迎えたところの「つくばエクスプレス」に初乗りして秋葉原に出て、JR線にて品川経由で京急に乗り継いで帰りました。

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