愛ちゃんと大喧嘩してしまいました... | 心理カウンセラーかめちゃんのブログ

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霧島と沖縄と代官山で3拠点生活しながらセミナー講師しています。2021年までは鹿児島でヨガスタジオを経営してました。2022年セミナー講師業で5億円を売り上げました。セミナーの様子をYouTubeで配信しています。

11月13日(月)23:12
馬車道のマンションにて


今日は2週間ぶりの
何の講座もない余白日。


品川のホテルから
レンタカーを借りて


愛ちゃんと水戸まで
北ちゃんのゴルフレッスンに
行ってきた。


金沢センターピース
受講生のこーちゃんという
男性と現地で
待ち合わせをしていた。





行きの車中で
愛ちゃんとちょっとした
議論になった。


ある会話がきっかけで
愛ちゃんは口を聞かなくなり
心ここにあらず
という感じになっていた。


僕はその愛ちゃんの
様子を見て
何を考えてるのか
わからなくなった。


何分無言の時間が
続いたことだろうか。


サービスエリアに
着いても
無言の愛ちゃん。


僕は思わず

「せっかく一緒に
 出かけてるんだから
 何を考えてるのか
 わからない状態で
 黙らないで欲しい」


と伝えた。


そこからは
あまり記憶がないが
愛ちゃん側の言い分があり


そして僕側の言い分があり
お互いにヒートアップ
していき


最後は僕が
「もういい」
話を強引に終わらせた。





僕は職業柄
他者のメンタルブロック発動に
敏感だ。


そして他者のテーマは
透けて見えるような
感覚になる。


夜に仲直りした
愛ちゃんからは

「かめちゃんの
 テーマは何なの?」


と聞かれた。


そのときは
パッと答えられなかったが


数時間経って
自分のテーマも
見えてきたので
それをシェアしようと思う。 





「マイナス感情を
 感じているとき
 脳の90%は過去を
 思い出している」



と人間心理学
センターピースで
教わった。


僕は

「一緒にいるのに
 心ここにあらず」


という愛ちゃんの
様子に反応した。


思えば
一緒にいるのに

スマホをいじられるのを
極端に嫌がる僕の性質も
同じところから
派生しているようだ。





誰を思い出して
いたのだろうか。


「一緒にいるのに
 心ここにあらず」



というのが
キーワードだった。


パッと思い出したのは
生前の母の姿だ。


何度かYouTubeや
メルマガでシェアしているが


生前の母は
ビールが大好きで
半ばキッチンドランカー
のようになっていたことがある。


記憶がおぼろげなのだが
僕が小学校1年生から
小学校4年生くらいまでは


母はそんなにビールを
飲んでいる印象はなかった。


夜ご飯のとき
母はニコニコしながら
その日に学校であったことを
聞いてくれていた。


母に対して

「体も心も一緒に
 いてくれた」


という感覚が強かった
小学校1年生から
4年生くらいまでの間


僕は自己肯定感が
高く勉強もできて
クラスの人気者だった。


バレンタインの日には
行列ができるくらい
女子たちから
好かれていたのだ。


サッカークラブでは
才能を認められ
上の学年に混じって
試合や練習に出ていた。


人生の絶頂期だった。





母がいつの頃からか
家でお酒を飲むように
なった。


なぜ飲んでいるのかも
よくわからなかったし


どのくらい飲むのかも
予想もつかなかった。


確実なことは
飲み始めてしばらく経つと
母の目が別人のように
変わることだった。


そこから
母との会話はなくなった。


母は黙って
お酒を飲んでいることが
多く


何が起きているか
よくわからない
小学生の僕は


どうしていいか
わからずに
やり過ごしていた。


母が一緒に
いてくれなくなった
ように感じた


小学校5年生
くらいのある日


大好きだった
サッカークラブを
辞めた。


そこから少し
太り出して


自己肯定感も下がり
女子たちからは嫌われ


バレンタインのチョコは
そこから大学2年生に
なって彼女ができるまで
一つももらえなかった。





幼い僕にとっては
すべてとも言える
母との関係。


母がお酒飲んで
心ここにあらず
という雰囲気になり

表情が乾いていく
ような感じがして怖かった。


愛ちゃんがスマホを
いじったり


自分の過去と
つながって上の空で


助手席に乗っているのを
見ると


あのときの母の姿を
無意識に重ねて
しまうのだろう。


最近の僕には
ないくらいの
強いエネルギーで


「それをやめて欲しい」


「何を考えてるのか
 教えて欲しい」



と愛ちゃんに
要求をしていたのだった。





「目の前の相手は
 ダミーだよ」


「パートナーすら
 ダミーだよ」



僕は自分の講座の中で
よく受講生に伝えている。


その言葉の意味を
「目の前の相手」
と揉めている人は
最初わからない。


ダミーとは
一体どういうことなのか。





愛ちゃんと
仲直りをした今夜


うっすらそのことに
気づき始めていた帰り道


再び僕は愛ちゃんとの
コミュニケーションで
刺激するような
言動をしてしまった。


一方的に問い詰めるように
質問されると
僕は黙り込む癖がある。


そして

「この人に
 何を言っても
 無駄だな」


と諦めたような
気持ちになり


関係性やコミュニケーションを
終わらせたくなる。


この感覚の出所は

一体どこだろう。


それは幼少期の母と父の
喧嘩の記憶にあるように思う。


酔っ払った母と
それに対して
論理的に反論する父。


圧倒的に正しさでは
父の意見が勝っていた。


母は一生懸命
何かを言っていた
記憶があるのだが


スイッチの入ったように
父を責める母を見て


「この人に
 何を言っても
 無駄だな」



と小さいながらに
母のことを見放して
いたのかもしれない。





「自分が否定を
 握りしめていると

 その否定を
 手放すまで出来事が
 起き続ける」

(ちょっとひどくなりながら)



これも
受講生に日頃から
伝えていることだ。


言い方を変えれば

「癒されていない過去が
 あると

 それが
癒されるまで
 出来事が起き続ける」

(ちょっとひどくなりながら)



と言ってもいいだろう。


そしてその否定は
誰かの否定と


S極N極の反対の極となり
お互いを写し鏡のようにして

写し合うのだ。


癒されていない
過去があれば


相手の癒されていない
過去と

S極N極の反対の極となり
お互いを写し鏡のようにして
写し合うのだ。





愛ちゃん側にどんな否定や
どんな癒されてない
過去があるのかは
僕にはわからない。


僕にわかるのは
僕自身にどんな
否定があるのか


僕自身にどんな
癒されていない
過去があるのか



ということだけだ。


今日の喧嘩を
通じて2つの否定が
見つかった。


1つ目は

「心ここにあらず」

という様子で
誰かと一緒のときを
過ごすこと。


心も一緒にいてくれたら
確かに嬉しいけど


一緒にいない自由だって
常に与えられている。


妄想も空想も
過去とつながることも
スマホをいじることも


今ここにつながって
一緒にいてくれることと
同じだけの価値があるのだ。


そのことを
教えてくれたのは
最近ハマっている
ディマティーニメソッドだ。





そしてもう一つの否定は

「一方的に話をすること」

「一方的に質問をすること」

「一方的に責め立てること」



これを否定していた僕は
おそらく気づいた時には
それをしていただろうし


それをされると
その人とのつながりを
ぶった切って生きてきたのだ。





それはトカゲの
尻尾のように生え続ける。


つながりをぶった切った
ところでまたそれを
する人が現れてくるのが
この人生ゲームなのだ。


その仕組みに
うんざりしては
いけない。


それは
バンカーや池に
うんざりするゴルファーと
同じである。


深いバンカーを見たら
「よく作ったなぁ」
「困ったなぁ」と
ほくそ笑み、


大きな池を見たら
「よく作ったかなぁ」
「超えられるかなぁ」
とチャレンジする
ゴルファーでありたい。






自分の否定に
うんざりしては
いけない。


自分の癒されていない
過去にうんざりしては
いけない。


それは人生が
楽しくなくなって
しまうから。



隠された宝物を
見つけるかのように
自分の否定を発見したい。


自分の癒されていない
過去を発見したい。



ここまでの文章を
書いている内容を
愛ちゃんに見られながら
書き終えたのが今である。


これを読んだ愛ちゃんは
どう思っているのだろうか。


送信設定をした後にでも
聞いてみようと思う。





「価値観が合うのが
 いいパートナー」


「一緒にいて
 楽しいことばかりなのが
 いいパートナー」


「お互いのいいところ
 を見せ合うのが
 いいパートナー」



そんな風に思って
僕は人生を過ごしてきた。


もちろん今でも
そうありたいと思うが


最近は感覚が変わってきた。


愛ちゃんと価値観が
合わない部分を
発見すると嬉しくなる。


愛ちゃんと一緒にいて
ムカついたり悲しくなったり
言い合ったりする体験も
楽しいと思える。


愛ちゃんと一緒にいると
お互いに他に人には
見せないようなネガティブな
側面を見せ合い


お互いに自己嫌悪になったり
めっちゃ他人責めしたりする。


大半の人には
そんなことをしないから


懐かしさすら覚えて
嬉しくなる。





パートナーとは
永遠に自分の否定や
癒されてない過去を
最も見せ合う


「鏡」


のような存在
だとしたら。


僕は愛ちゃん以上の
鏡を知らない。


だから僕にとっては
愛ちゃんは
ベストパートナーだと

 

自信を持って
言い切れるのだ。

 







あなたの
パートナーシップは
どうだろうか。


お互いをクリアな鏡として
写し合っているだろうか。


それともお互いの
良いところだけを
写し出すように
少し歪ませているだろうか。


それとも
鏡にカーテンをして
もはやお互いを写さないように
しているだろうか。


どんなパートナーシップ
でも構わない。


人間らしい
素晴らしい体験の1つだ。


僕の人生における
最難関課題が
パートナーシップだ。


ゴルフと同じように
正解もないし
できたと思ったら
すぐできなくなる。


だから楽しいのだと思う。


あなたの
パートナーシップは
どうだろうか。


よかったらコメント欄で

教えて欲しい。


あるいは今日の
長文メルマガの感想を
教えて欲しい。

(今日はこれが
 コール&レスポンス代わりです)


めっちゃたくさん
文章書いたような
気がするが


ほとんどアドリブで
35分もかけて書いた。


これが噂の
「ゾーンに入る」
というものであり

「降りてくる」
というものだろう。


あー、よく書いた!