ほんきの自己紹介 ~その6~ <11歳~12歳 父と兄との衝突> | 心理カウンセラーかめちゃんのブログ

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霧島と沖縄と代官山で3拠点生活しながらセミナー講師しています。2021年までは鹿児島でヨガスタジオを経営してました。2022年セミナー講師業で5億円を売り上げました。セミナーの様子をYouTubeで配信しています。

こんにちは!
鹿児島のライフコーチ、
亀井弘喜(かめいひろき)です。

ほんきの自己紹介記事シリーズ、その6です。


ちなみに結構強烈な出来事も書いていますが、今現在は自分の中では「完了した」出来事ばかりです。完了とは、「自分も、その出来事に関わった人も許せている」状態のことを指します。


この2年間、色んなセミナーやワークショップに行く度にここで書いているような出来事を思い出し、そのたびに吐きそうになったり号泣したりしていました。


そこで溜め込んだ感情を全部味わい尽くすと…、泣き尽くした後ケロッとしてる子どものように爽やかな気持ちになるのです。


ただ、そこで体験した出来事とそれをどうやって許していったのかっていうプロセスはきっと多くの人の役に立つんじゃないかと思ってこの自己紹介シリーズを書いているのです。


ということで11歳~12歳を振り返ります。


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<弘喜 11歳~12歳>

その1はこちら↓。
ほんきの自己紹介 ~ その1 ~<0歳~6歳>
その2はこちら↓
ほんきの自己紹介 ~ その2 ~ <7歳~10歳>
その3はこちら↓
ほんきの自己紹介 ~ その3 ~ <10歳の転換期①>
その4はこちら↓
ほんきの自己紹介 ~ その4 ~ <10歳の転換期②>
その5はこちら↓
ほんきの自己紹介 ~ その5 ~ <11歳~12歳 衝撃の事件>


その5で紹介した事件によって、僕の感情OFFスイッチが入りました。
それと同時に、父の怒りはますます激化し、母のお酒もますます激化していきました。
さらに3つ上の兄がこの頃からグレていきました(中2でした)。


まさに一家それぞれが、少しおかしな方向に歩み出したのです。
そんな中、次に起きた衝突は、父と兄でした。


もともとエリート教育を最初に詰め込まれたのは、僕ではなくて兄でした。小学校高学年くらいのころから父に付きっきりで教えてもらっている兄。


それが中学校に入るとさらに厳しい指導へと変わっていきました。最初は泣きながらも勉強についていっていた兄。


父の勉強についていってる頃。兄は学年でもトップの成績でした。それが父にとっては相当嬉しかったらしく、「やっぱり俺の子だ」と豪語している姿を覚えています。


風向きが変わり出したのは兄が中学校2年生に進んだ頃。つまり僕が小学校5年生に進んだ頃です。もともとサッカーをしていたものの、あまり活躍できず、スポーツに対する苦手意識が強かったのか、兄は部活などには所属していませんでした。


それで何をしていたかというと、バンドにはまったのです。当時大ブームだったX(現X JAPAN)というバンドがありました。


中学生なら誰しもCDを買い、口ずさみ、ギターを買い、というような時代でした。そして厄介なことに、それは不良グループほどはまりやすかったのです。(外見的にかなりヤンキーに共通するものがあったため)


もともと勉強ができて真面目グループに所属してた兄。例の父と母の事件から、兄は不良グループとどういうわけだか親しくなっていきます。


家に遊びに来る友達たちも何だかガラの悪い人たちが増えました。買って来る雑誌が、ロックバンド好きな人たちのものに変わっていき。エロ本やエロビデオなどが部屋に散乱するようになり。最終的にはタバコをトイレなどで吸うようになっていった兄がいました。


当然のことながら不良グループは学力成績は芳しくない人たちがほとんど。そんな中で、学年トップの成績だった兄は目立ってしまい…。


兄は苦渋の選択を迫られるようになりました。
家では、鬼のように勉強を迫ってくる父。
学校では、勉強をしてるやつを馬鹿にしたりいじめたりカツアゲしたりするグループに所属している。


兄が勉強しなくなるのに時間はかかりませんでした。
そしてそれが父にばれるのにも時間はかかりませんでした。


僕が11歳の頃。
家族会議のようなものが急遽夜に開かれました。


すでにぶち切れている父。
ビビりながらも精一杯反抗の表情を見せる兄。
二人の様子を見ながら心配している母。


父が口を開きました。
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父:「で、お前、結局どうするんだ!? 勉強するのかしないのかどっちなんだ。言ってみろ!」

兄:「…」

父:「なんとか言ったらどうなんだ!」

兄:「…」

父:「お前、勉強もしないで不良グループと付き合ってるらしいじゃないか。タバコも吸ってるんだってな。どういうつもりだ?」

兄:「…」

父:「口もきけなくなったのか! なんとか言ってみろ!勉強しないで何をやってるんだ!」

兄:「…音楽だよ。」

父:「…、は?音楽だと? お前、音楽やってどうなるんだ?それで食っていけるとでも思ってるのか?」

兄:「…」

父:「お前に音楽の才能なんかないんだよ! いいか、よく聴け。お前らみたいな何の才能もない人間はなぁ、勉強していい高校入って、いい大学入って、いい会社入って、そうやって出世していく以外に幸せになる道はないんだよ! 音楽の道で食っていくっていうのなら、俺にはもうどうすることもできない。 今この場で、音楽を辞めて勉強するのか、勉強しないで音楽をやっていくのかどっちにするか決めろ!」

兄:「…」

父:「とっとと決めろ!お前の人生だからお前が決めろ。」

兄:「…。勉強は…、しない。」

父:「…わかった。もう勝手にしろ。お前がどうなろうと知らないからな!」
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この後、重たい沈黙が流れました。

すごすごと部屋に込もっていく兄。
そして兄を無視し続ける父。
どっちも仕方ないわね、という表情で飲み始める母。


もともと兄と大の仲良しだった僕。
この1件で、つながりはほとんどなくなってしまったのです。
(今はだいぶ修復しましたが…)


そしてそれよりも大きな傷跡が僕に残りました。


「勉強しなかったら、父親に見捨てられる」

「いい高校入って、いい大学入って、いい会社入って、出世するのが幸せ」

「自分には、何の才能もない」


そんな価値観(誤解でしたが)が強烈に刻まれてしまったのです。


この僕の価値観の形成は僕の人間関係に大きく影響していきました。

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次回、ほんきの自己紹介 ~その7~ <11歳~12歳 友達がいなくなる>へ続きます。