認知的体験  -3ページ目

認知的体験・再掲

今日の無断パクり05/6/29/

大手のコンサルタントが「人がいろいろな事象に飽きる期間がある」

と調査結果を公表したことがある。

ネクタイ    446日

携帯電話    534日

お出かけ着   648日

パソコン    698日

衣料ブランド 1071日

恋人     1358日

では、家内/亭主は  ???日

(メルマガ;kougaiより)

●認知的体験05/6/29海保

「横山秀夫はすごい」

「半おち」で最後に泣かされた。クライマーズハイも楽しく読んだ記憶がある。今回は「顔」(徳間文庫)。若き婦警が、男社会の中でたくましく成長していく様が、オムニバス風ミステリー中で見事なストりー展開で描かれている。これほど見事なプロット作りのスリラーは他に知らない。良い作家とめぐりあったものだ。でも寡作のようなのが残念。

●認知的体験05/6/30海保

「水の飲み過ぎ」

喉が渇く。水を飲む。腹の調子が悪くなるの繰り返し。一口ぐいのみの癖がつくと、絶えず、水を口にしているようになる。今日は温かいコーヒーとお茶にする。しかし、もの足りない。

思い出の教科書



 
111112222233333444445555566666777778

04/5/29海保  6/末締め切り「大学出版」

36字詰24行 本文のみ 864字

筑波大学人間総合科学研究科(心理学系)教授 海保博之

「思い出の教科書」


 大学生だったのは44年前。その時使った教科書を思い出してみた。思い出せたのは、高木貞治編「心理学」(1956年、東大出版会)と岩原信九郎著「教育と心理のための推計学」(1957年、日本文化科学社)の2冊だけであった。

 なぜこの2冊の教科書が思い出せたのかというと、一つには、要するによく使いこんだからである。授業の際はもとより、大学院入試の受験勉強のとき、教員になってからも、授業の下調べや原稿書きなどで折に触れて参照してきた。まさに座右の書であった。

 思い出せたもう一つの理由は、やはり、その教科書を使った先生(いずれも故人)の思い出があるからである。

 高木・心理学を教科書に使ったのは、小笠原慈英先生。教科書そのものにまつわる思い出はないが、授業の随所で自作のデモ教材を使って授業の工夫をされていたのを思い出す。(なお、東大出版会ニュース(NO.75)によると、高木・心理学の改訂3版は小笠原先生が編者だったらしい。)

 一方、岩原先生は、東京教育大学でおいでになってまもなくの頃で、当然、自著を使われてのアメリカン・スタイルの熱烈講義であった。宿題、クイズ、黒板での問題解きなどをまじえての授業、さらに厳格な試験は、当時の大学の授業では新鮮であった。大学ではみずから勉強した授業もいくつかあるが、岩原・統計学の授業は、唯一、勉強を「させられた」授業だった。余談だが、家内は、大学の成績で唯一「C」をつけられたのが岩原先生の統計学だけだったといって、今でも悔しがっている。

 両方の教科書ともさすがに最近は手にとったことはなかった。あらためて研究室の書棚から引き出してみると、古色蒼然としている。中を開くと、下線があちこちに引かれてあり、書き込みもある。使い込んだことがよくわかる。

(注)高木・心理学は鹿取・杉本編の改訂版として、また、岩原・推計学はほぼ初版のままの形で、共に今でも脈々と使われ続けている。

システム設計者はヒットラーなり

ブログに書き込めない
最後の書き込み画面まで出てくるのだが
打ち込んでも、うんともすんとも反応しないのだ
ブログのために、マックを諦めるのもしゃくだしなー
システム変更ーー断じてアップではない!!--弱者にも
目を向けてほしい
システム設計者は、現代のヒットラーなり

スクロールする場所が狭い

右隅にスクロールの矢印がある

その範囲の狭いこと

すぐにずれてしまい、画面が飛んでしまう

しかも、上にスクロールするときは、上隅

下にスクロールするときは、下隅へ

ポインターをもっていかなくてはならない

マック併用者は迷ってばかり


しょっちゅう使うスクロールがこんなに使いにくくて

だれも文句は言わないのかなー


まさに、システム設計者はヒットラーだ!!

暑さの中の散歩

食事後、ウオーキングをする

しかし、この暑さでは、と思っていたら、

木陰が100mくらい続く格好の場所がみつかった

しかも、そこは風とおしが抜群によい

30分、誰もいないので、シャツを脱いでやることもある

直感

直観は説明できるものであれば信頼できる(マックス・ギュンター)

ミスについて思うこと

03/7/11海保


ヒューマンエラーをめぐっての

最近の気になる話題2つ。


1)医療ミスを繰り返す医師、免許取り消しも(6月26日付け毎日新聞の1面トップ記事)


●リピーター医師---事故多発者、あるいは事故傾性者---の処分について、医療道審議会に諮問。

  ・おっちょこちょいで衝動的な性格 

  ・未熟な技能

  ・貧弱な知識

 が事故を起こさせる。


●事故傾性者、事故多発者をどうする

○一番、厳しいが効果があるのは、排除。

 これが今回の対策のねらい。

 しかし、その職につく、あるいは免許を取得するときにやる---スクリーニング---、ならまだしも、かなり暴力的な対策。

○これより穏便な対策は、エラーをおかす現場を変えてみる、「配置変え」。手術はへたでも、外来医療は得意ということがないか。

  ・状況の中に、エラーを繰りかえさせる力があるかもしれない  

  ・本人の持っている適性と仕事のミスマッチがあるかも

○もう一つは、研修、再教育。未熟な技能、貧弱な知識を改善する。

最近、教育界では、いわゆるダメ教師、入試問題の2割しか解けない先生では困るという話がありましたが、現場から一時的に離脱してもらって、再研修。


●排除は最後の最後の手段ではないかと思う。


-----------------------------------------------------------------------------------

2)私鉄大手で、免許切れのままバスを運転していてもらい事故。運行主任は「子だくさんでかわいそう」ということで、替え玉を警察の事情聴取に出向かせた。匿名電話で事態が発覚。

会社ぐるみでかばいあいが判明。

●違反とエラーとは違う

 人は誰でもエラーはする。

 しかし、違反は、

  ・意図的な違反

  ・知らないままの違反

    この中には、最初は違反を知っていたが、習慣的に違反をしているうちに「知らないまま違反を」というケースがあるのでやっかい事故の芽を潜在させている。

    

●このケースでは、意図的な違反。しかも、組織ぐるみの違反。公共的には言い訳がたたない。

 しかし、背景に、組織の「日本的なやさしさ」があるだけにやっかい。


●精神としては、

「エラーには優しく、違反には厳しく」

だが、しばしば、

「エラーには厳しく、違反には優しく」

という組織文化、企業文化が構築されてしまう。

 

●組織として考えるべきは、

ホイッスル・ブロー(whistle blow;違反の警告者)あるいは、

悪魔の代弁者(安全について口うるさく言う人)

を組織の中でいかに正当に位置づけるかである。










      *

しばらく毎日更新はできません

ブログに書き込めない
最後の書き込み画面まで出てくるのだが
打ち込んでも、うんともすんとも反応しないのだ
ブログのために、マックを諦めるのもしゃくだしなー
システム変更ーー断じてアップではない!!--弱者にも
目を向けてほしい
システム設計者は、現代のヒットラーなり

ゆったり夏休みのはじまり

深夜の朝風呂
朝4時
風呂に入る
のんびりゆったり
昨日、1冊の本の原稿を出版社に送ったので
このゆったり感、なんとも言えない充実感もある

安全の本も佳境に入りみやもと君が最後の追い込み
あと2つ原稿があるが、夏休み中になんとかなるだろう
夏休み、ゆっくりと過ごせそう。

心をコントロールすることについて

岩波ジュニア新書「心理学ってどんなもの」海保著より  04/5/6

Q3・5 心を外からコントロールするのは問題はないのですか---心の外部コントロール


 心のコントロールに関しては、イラストに示すように、3つの種類があります。

 一つは、Q1・8で述べた自己コントロール、2つは、ここで取り挙げる外部コントロール、3つは、その中間に位置してして、しかも今一番望まれている心と行動の支援という考えです。 


***イラスト 別添


 コントロールするとか制御するとかいう話は、自然科学の技術の世界では当たり前です。大枠では自然科学のパラダイムに従っている心理学も、したがって、心のコントロールとか制御を考えています。たとえば、

 ・消費者に自分の商品を買わせる

 ・選挙で自分に投票させたい

 ・子どもに基本的なしつけをしたい

 ・恋人にもっと自分に関心を持たせたい

 いずれももっともな願いです。心理学には、こうしたことに役立つ知見や技術がたくさんあります。応用心理学のねらいはそこにあります。

 しかし、こうした心や行動のコントロールは、確かに、コントロールされる当事者に自分がなったことを考えると、気持ちが悪いところがあります。この気持ち悪さが、科学技術による自然のコントロールと根本的に異なっています。

自然の事物が人によるコントロールを気持ち悪がることはありませんから。

 では、心や行動をコントロールするための知見や技術は否定すべきなのでしょうか。

 ある種の領域では、否定あるいは禁止すべきです。これは、原子力を平和利用に限定する、あるいは、クローン人間誕生の禁止と同じ理屈になります。

 どんな領域かと言うと、たとえば、今日もニュースで取り挙げられていました催眠商法です。100円で1000円の品物を挙げて、会場に閉じ込めて、さまざまな説得技法を使って10万円もの高額商品を買わせてしまうようなことに、心理学の手法が使われるのは禁止すべきです。

 あるいは、サブリミナル(潜在)広告。人が意識できないところに働きかけて人に商品を買わせるようにしむけるのもだめです。

 では、スーパーで買物客がつい買いたくなるような展示を心理学の知見を使ってやるのはどうでしょうか。あるいは、ごく普通に流されている大量の広告にも心理学の技術が使われていますが、これはどうしょうか。

 微妙な領域です。他にもこんな領域はたくさんあります。あるいはそんな領域ばかりといってもよいかもしれません。

 となると、善か悪か、禁止か許容かを決めるルールが必要になります。はっきりとしたものがあるわけではないのですか、基本3カ条を挙げるとすれば次のようになると思います。

○第1条「コントロールすることが、コントロールされる人のためになる」

 商品を売ってもうけたいと言う気持ちは悪いことではありません。しかし、それはその商品を買った人のためになることが前提です。子どもしつけるのも、それが将来、子どものためになるからです。

○第2条「心や行動の自然な状態からかけ離れた状況でコントロールしない」

 家の中で叱って子どもを勉強させるのは普通のことで何も問題はありません。しかし、夏休み中、山にこもらせて進学塾の集中特訓をさせるのはどうでしょうか。そういえば、自閉症児の治療と称してボートの合宿訓練で子どもが死亡してしまった事件もありました。心と行動の不自然な管理強化は、一時的には効果があっても、長期的にはむしろ害があります。

○第3条「コントロールの場に出入りするのは自由」

 TV広告は見たくなければスイッチを消すことができます。もっとも、そんなことにならないように、最近は、話のクライマックスのところで中断するような手法を使っていますが。催眠商法の問題は、出る自由を巧みに奪ってしまうところにもあります。


 いずれもそうは言ってもというところはあります。

 看護場面などでよく起こるように、人のためによかれてと思ってやったことがそうでなかったり(第1条)、環境を無理して変えさせたら猛烈な勉強家になったり(第2条)、学校で出入り自由とはいかなかったり(第3条)はあります。

 それでも、迷ったら、この3つを考えどころとしてほしいと思います。


 最後に、冒頭で、心と行動のコントロールの3つ目に挙げた、支援という考えについて述べておきたいと思います。心の外部コントロールというややどぎつい感じを与える言葉よりもソフトですし、もっと大事なこととして、人への温かさが感じられます。

 支援とは、助けてほしい人を助けることですが、そこには、どのようにしてほしいのかの目標があります。歩けなければ支えてほしい、心の悩みで困っているなら、悩みを解消してほしいというわけです。 

 ここには、コントロールされることへの願いがあります。この視点は、心理学の技術を使うときには、是非、忘れてはいけないと思います。

 さらに、支援には、強力な外部からの働きかけよりも、相手の持っている力を活用して、それが発揮しやすいように脇からちょっと力を貸すというイメージがあります。心や行動の真の変容は、こういう無理のないところでしか起こりえません。