【HK14S/003】◎夏目漱石◎「こころ」◎先生の遺書(三)◎

私は次の日も同じ時刻に浜へ行って先生の顔を見た。その次の日にもまた同じ事を繰り返した。けれども物をいい掛ける機会も、挨拶(あいさつ)をする場合も、二人の間には起らなかった。その上先生の態度はむしろ非社交的であった。一定の時刻に超然として来て、また超然と帰って行った。周囲がいくら賑(にぎ)やかでも、それには殆(ほと)んど注意を払う様子が見えなかった。最初一所に来た西洋人はその後(ご)まるで姿を見せなかった。先生はいつでも一人であった。
或時(あるとき)先生が例の通りさっさと海から上(あが)って来て、いつもの場所に脱ぎ棄(す)てた浴衣(ゆかた)を着ようとすると、どうした訳か、その浴衣に砂が一杯着いていた。先生はそれを落すために、後向(うしろむき)になって、浴衣を二、三度振(ふる)った。すると着物の下に置いてあった眼鏡(めがね)が板の隙間(すきま)から下へ落ちた。先生は白絣(しろがすり)の上へ兵児帯(へこおび)を締めてから、眼鏡の失(な)くなったのに気が付いたと見えて、急にそこいらを探し始めた。私はすぐ腰掛(こしかけ)の下へ首と手を突ッ込んで眼鏡を拾い出した。先生は有難うといって、それを私の手から受取った。
次の日私は先生の後(あと)につづいて海へ飛び込んだ。そうして先生と一所の方角に泳いで行った。二丁(ちょう)ほど沖へ出ると、先生は後(うしろ)を振り返って私に話し掛けた。広い蒼(あお)い海の表面に浮いているものは、その近所に私ら二人より外(ほか)になかった。そうして強い太陽の光が、眼の届く限り水と山とを照らしていた。私は自由と歓喜に充(み)ちた筋肉を動かして海の中で躍(おど)り狂った。先生はまたぱたりと手足の運動を已(や)めて仰向(あおむけ)になったまま浪(なみ)の上に寐(ね)た。私もその真似(まね)をした。青空の色がぎらぎらと眼を射るように痛烈な色を私の顔に投げ付けた。「愉快ですね」と私は大きな声を出した。
しばらくして海の中で起き上がるように姿勢を改めた先生は、「もう帰りませんか」といって私を促がした。比較的強い体質を有(も)った私は、もっと海の中で遊んでいたかった。しかし先生から誘われた時、私はすぐ「ええ帰りましょう」と快よく答えた。そうして二人でまた元の路(みち)を浜辺へ引き返した。
私はこれから先生と懇意になった。しかし先生が何処(どこ)にいるかはまだ知らなかった。
それから中(なか)二日置いて丁度三日目の午後だったと思う。先生と掛茶屋(かけぢゃや)で出会った時、先生は突然私に向って、「君はまだ大分(だいぶ)長く此所(ここ)にいるつもりですか」と聞いた。考(かんがえ)のない私はこういう問に答えるだけの用意を頭の中に蓄えていなかった。それで「どうだか分りません」と答えた。しかしにやにや笑っている先生の顔を見た時、私は急に極(きま)りが悪くなった。「先生は?」と聞き返さずにはいられなかった。これが私の口を出た先生という言葉の始(はじま)りである。
私はその晩先生の宿を尋ねた。宿といっても普通の旅館と違って、広い寺の境内(けいだい)にある別荘のような建物であった。其所(そこ)に住んでいる人の先生の家族でない事も解(わか)った。私が先生々々と呼び掛けるので、先生は苦笑いをした。私はそれが年長者に対する私の口癖(くちくせ)だといって弁解した。私はこの間の西洋人の事を聞いて見た。先生は彼の風変りの所や、もう鎌倉(かまくら)にいない事や、色々の話をした末、日本人にさえあまり交際(つきあい)を有たないのに、そういう外国人と近付(ちかづき)になったのは不思議だといったりした。私は最後に先生に向って、何処かで先生を見たように思うけれども、どうしても思い出せないといった。若い私はその時暗(あん)に相手も私と同じような感じを持っていはしまいかと疑った。そうして腹の中で先生の返事を予期してかかった。ところが先生はしばらく沈吟(ちんぎん)したあとで、「どうも君の顔には見覚(みおぼえ)がありませんね。人違(ひとちがい)じゃないですか」といったので私は変に一種の失望を感じた。