21世紀に生きる私たちは、平和で豊かな生活を営んでいます。
しかしおよそ70年前、日本は軍国主義国家として、激しい世界戦争に突入しました。
今回見ていく時代は、20世紀の第二次世界大戦の時代です。
第二次世界大戦は、世界60カ国を巻き込み、戦死者5000万人以上を出しました。
人類史上最も悲惨なこの戦争は、なぜ始まってしまったのでしょうか。
この当時、領土拡大を競った帝国主義や世界を襲った大恐慌が起こり、人間の尊厳を踏みにじったファシズムなどが台頭しました。
この戦争の時代をメディアはどのように伝えていたのでしょうか。
史上最大の犠牲を生み、世界の大きな転換点となった第二次世界大戦の始まりから終結までを見ていきます。


第二次世界大戦の火種は、その前に起きた第一次世界大戦にありました。
第一次世界大戦では、ヨーロッパ列強が植民地の獲得をめぐって、4年に渡る戦争を続けました。
この大戦で敗戦国になったドイツは、多額の賠償金を課せられ、大きな打撃を受けます。
一方、この戦争で莫大な富を得たのがアメリカでした。
大戦中にイギリスやフランスに戦争の費用を貸付け、敗戦国のドイツには復興のための投資を行い、
利益を得ました。
アメリカの工業は飛躍的に発展し、暮らしは急速に豊かになります。
人々は富と快楽を求め、ダイナミックな大衆社会が作られていきました。
1920年代のアメリカは、黄金時代と言えるほど繁栄していました。
しかし1929年、ニューヨークの株式市場で突然株価が大暴落を起こします。
投資ブームや農作物の過剰生産などにより、経済が破綻したためでした。
多くの会社は倒産し、失業者が町に溢れます。
大恐慌のさなかにアメリカ大統領に就任したのが、フランクリン・ローズヴェルトでした。
ローズヴェルトは、ダム建設などの公共事業で雇用を生み出し、失業者を救済しようとしました。
こうした政府の積極的な経済介入は、ニューディール政策と呼ばれました。
しかし大恐慌の影響は大きく、失業率は改善せず、多くのアメリカ人に不満がつのっていきます。
アメリカの大恐慌は、ヨーロッパをはじめとする他の国々にも深刻な影響を及ぼし、世界恐慌を引き起こしました。
すると列強は、他の国の資本や商品が入ってこないように制限する、ブロック経済と呼ばれる政策をとります。
イギリス・フランス・アメリカは、植民地など広い領土を持ち、ブロック経済が有効でした。
一方、多くの植民地を持たなかったドイツや日本などは、経済的に苦しみました。


その頃、ドイツにナチスの党首のアドルフ・ヒトラーが現れます。
強力な政治家として登場したヒトラーは、1933年にドイツ首相となります。
大恐慌後、ドイツでは社会への不安と不満が蔓延していました。
そこへヒトラーは公共事業、特に軍需産業に力を入れて失業者を減らすなど、経済を立て直しました。
ヒトラーは、強引な行動力とたくみな宣伝力によって人々をひきつけます。
「我々自身 ドイツ国民のみが頼りとなるのだ」
と力強く演説するヒトラーの様子は、当時新しいメディアであったラジオや映画によって流れ、ドイツの
人々の心をつかみました。
ヒトラーは大衆の支持を得るために、メディアを利用しました。
当時の映画やラジオは新しいメディアであり、その力は非常に大きいものでした。
現在でもメディアの力は大きいものですが、ヒトラーはその新しさをうまく利用していました。
ヒトラーは、第一次世界大戦の敗戦と世界恐慌の二重の痛手を乗り越えるために、国民意識をあおります。
そして、対外戦争によって領土を広げようと目論んだのでした。
1939年、ヒトラーのナチス政権は、ポーランドに侵攻します。
ここから、世界は第二次世界大戦へと突入していきました。


日本は第一次世界大戦で、太平洋地域に勢力を伸ばしました。
しかし世界恐慌の影響を受け、経済は大きな打撃を受けます。
さらに大冷害による凶作も重なって、深刻な社会不安に襲われ、経済を立て直すための方策が求められて
いました。
この時代、主に帝国主義の国々では、国が豊かになるためには領土を拡大するしかないと考えられていました。
そのため、日本も植民地獲得を目指すようになりました。
1931年、軍部の一部が中国東北部を占領する満州事変を起こし、翌1932年に日本は満州国を建国します。
この日本の軍事行動に対して、国際連盟は満州国を国際的には認めないことを決議します。
これに対し、当時常任理事国だった日本の代表団は、重要な声明を発表します。
1933年、日本は国際連盟を脱退するというものでした。
メディアはこの行動について、堂々と世界に物を申したと称賛しました。
国民の多くも、これを熱狂的に支持しました。
しかしこれを機に、日本は国際的に孤立していきました。
さらに、国内では軍部が力を持ち始め、1936年には二・二六事件が起きます。
軍事政権の樹立のために、陸軍の将校が閣僚を暗殺したクーデターです。
この頃から軍部の政治支配が決定的になり、海外への侵略がいっそう加速されました。
1937年、北京郊外で起きた発砲事件をきっかけに、両国の全面戦争である日中戦争が始まります。
そして日本は首都・南京を占領します。
日本のアジア進出に対して、アメリカは対立の姿勢を示します。
一方ヨーロッパでは、ナチスドイツがパリを占領し、フランスまで領土を拡大したというニュースが入ります。
日本は、同じように軍事力による領土拡大をはかっていたドイツ、イタリアと日独伊三国同盟を
結びます。
こうして、日本も世界規模の戦争に突入していくことになります。
当時は、常任理事国だった日本が国際連盟を脱退するほど、領土の拡大が大事だと考えた時代でした。
ここでもまたメディアがあおり、世の中を戦争の舞台へと引っ張ってしまう結果となりました。


日本は領土をさらに拡大するため、1940年、東南アジアに軍隊を進めます。
これに対して、東南アジアの豊かな資源を手に入れるべくアメリカも動きます。
日本に対して経済制裁を行い、日本への石油の輸出を禁止しました。
そして日本時間の1941年12月8日、日本はマレー半島とハワイの真珠湾を奇襲し、アメリカ・
イギリスと戦争状態に入りました。
太平洋戦争の開戦です。
日本はフィリピンやシンガポール、ベトナムなど、東南アジアのほぼ全域を占領します。
ヨーロッパでは、ドイツがユーゴスラビアやギリシアを制圧し、ソ連の首都モスクワにも迫りました。
ドイツ国内では、国家の利益を優先し、個人の人権を否定する全体主義を徹底します。
「純粋なドイツ人」という像を作り上げて美化し、それに当てはまらないとするユダヤ系や
当時ジプシーと呼ばれたロマの人々などを激しく迫害しました。
特にユダヤ人に対しては、絶滅政策が実施され、強制収容所で600万人以上が殺害されました。
ヨーロッパでは、ドイツがユーゴスラビアやギリシアを制圧し、ソ連の首都モスクワにも迫りました。
ドイツ国内では、国家の利益を優先し、個人の人権を否定する全体主義を徹底します。
「純粋なドイツ人」という像を作り上げて美化し、それに当てはまらないとするユダヤ系や
当時ジプシーと呼ばれたロマの人々などを激しく迫害しました。
特にユダヤ人に対しては、絶滅政策が実施され、強制収容所で600万人以上が殺害されました。
そして1945年8月、広島と長崎に原爆が投下されます。
史上初めて核兵器が使用され、合わせて30万人以上の一般市民が犠牲になりました。
日本は、連合国が発した無条件降伏を求めるポツダム宣言を受諾し、降伏します。
8月15日には、国民に向けてラジオで終戦が伝えられました。
1945年に終結した第二次世界大戦の戦死者は、全世界で兵士およそ1700万人、
民間人3400万人でした。
合わせて5000万人以上の死者を出した、史上最も悲惨な世界戦争は、こうして終わったのでした。
しかしおよそ70年前、日本は軍国主義国家として、激しい世界戦争に突入しました。
今回見ていく時代は、20世紀の第二次世界大戦の時代です。
第二次世界大戦は、世界60カ国を巻き込み、戦死者5000万人以上を出しました。
人類史上最も悲惨なこの戦争は、なぜ始まってしまったのでしょうか。
この当時、領土拡大を競った帝国主義や世界を襲った大恐慌が起こり、人間の尊厳を踏みにじったファシズムなどが台頭しました。
この戦争の時代をメディアはどのように伝えていたのでしょうか。
史上最大の犠牲を生み、世界の大きな転換点となった第二次世界大戦の始まりから終結までを見ていきます。


第二次世界大戦の火種は、その前に起きた第一次世界大戦にありました。
第一次世界大戦では、ヨーロッパ列強が植民地の獲得をめぐって、4年に渡る戦争を続けました。
この大戦で敗戦国になったドイツは、多額の賠償金を課せられ、大きな打撃を受けます。
一方、この戦争で莫大な富を得たのがアメリカでした。
大戦中にイギリスやフランスに戦争の費用を貸付け、敗戦国のドイツには復興のための投資を行い、
利益を得ました。
アメリカの工業は飛躍的に発展し、暮らしは急速に豊かになります。
人々は富と快楽を求め、ダイナミックな大衆社会が作られていきました。
1920年代のアメリカは、黄金時代と言えるほど繁栄していました。
しかし1929年、ニューヨークの株式市場で突然株価が大暴落を起こします。
投資ブームや農作物の過剰生産などにより、経済が破綻したためでした。
多くの会社は倒産し、失業者が町に溢れます。
大恐慌のさなかにアメリカ大統領に就任したのが、フランクリン・ローズヴェルトでした。
ローズヴェルトは、ダム建設などの公共事業で雇用を生み出し、失業者を救済しようとしました。
こうした政府の積極的な経済介入は、ニューディール政策と呼ばれました。
しかし大恐慌の影響は大きく、失業率は改善せず、多くのアメリカ人に不満がつのっていきます。
アメリカの大恐慌は、ヨーロッパをはじめとする他の国々にも深刻な影響を及ぼし、世界恐慌を引き起こしました。
すると列強は、他の国の資本や商品が入ってこないように制限する、ブロック経済と呼ばれる政策をとります。
イギリス・フランス・アメリカは、植民地など広い領土を持ち、ブロック経済が有効でした。
一方、多くの植民地を持たなかったドイツや日本などは、経済的に苦しみました。


その頃、ドイツにナチスの党首のアドルフ・ヒトラーが現れます。
強力な政治家として登場したヒトラーは、1933年にドイツ首相となります。
大恐慌後、ドイツでは社会への不安と不満が蔓延していました。
そこへヒトラーは公共事業、特に軍需産業に力を入れて失業者を減らすなど、経済を立て直しました。
ヒトラーは、強引な行動力とたくみな宣伝力によって人々をひきつけます。
「我々自身 ドイツ国民のみが頼りとなるのだ」
と力強く演説するヒトラーの様子は、当時新しいメディアであったラジオや映画によって流れ、ドイツの
人々の心をつかみました。
ヒトラーは大衆の支持を得るために、メディアを利用しました。
当時の映画やラジオは新しいメディアであり、その力は非常に大きいものでした。
現在でもメディアの力は大きいものですが、ヒトラーはその新しさをうまく利用していました。
ヒトラーは、第一次世界大戦の敗戦と世界恐慌の二重の痛手を乗り越えるために、国民意識をあおります。
そして、対外戦争によって領土を広げようと目論んだのでした。
1939年、ヒトラーのナチス政権は、ポーランドに侵攻します。
ここから、世界は第二次世界大戦へと突入していきました。


日本は第一次世界大戦で、太平洋地域に勢力を伸ばしました。
しかし世界恐慌の影響を受け、経済は大きな打撃を受けます。
さらに大冷害による凶作も重なって、深刻な社会不安に襲われ、経済を立て直すための方策が求められて
いました。
この時代、主に帝国主義の国々では、国が豊かになるためには領土を拡大するしかないと考えられていました。
そのため、日本も植民地獲得を目指すようになりました。
1931年、軍部の一部が中国東北部を占領する満州事変を起こし、翌1932年に日本は満州国を建国します。
この日本の軍事行動に対して、国際連盟は満州国を国際的には認めないことを決議します。
これに対し、当時常任理事国だった日本の代表団は、重要な声明を発表します。
1933年、日本は国際連盟を脱退するというものでした。
メディアはこの行動について、堂々と世界に物を申したと称賛しました。
国民の多くも、これを熱狂的に支持しました。
しかしこれを機に、日本は国際的に孤立していきました。
さらに、国内では軍部が力を持ち始め、1936年には二・二六事件が起きます。
軍事政権の樹立のために、陸軍の将校が閣僚を暗殺したクーデターです。
この頃から軍部の政治支配が決定的になり、海外への侵略がいっそう加速されました。
1937年、北京郊外で起きた発砲事件をきっかけに、両国の全面戦争である日中戦争が始まります。
そして日本は首都・南京を占領します。
日本のアジア進出に対して、アメリカは対立の姿勢を示します。
一方ヨーロッパでは、ナチスドイツがパリを占領し、フランスまで領土を拡大したというニュースが入ります。
日本は、同じように軍事力による領土拡大をはかっていたドイツ、イタリアと日独伊三国同盟を
結びます。
こうして、日本も世界規模の戦争に突入していくことになります。
当時は、常任理事国だった日本が国際連盟を脱退するほど、領土の拡大が大事だと考えた時代でした。
ここでもまたメディアがあおり、世の中を戦争の舞台へと引っ張ってしまう結果となりました。


日本は領土をさらに拡大するため、1940年、東南アジアに軍隊を進めます。
これに対して、東南アジアの豊かな資源を手に入れるべくアメリカも動きます。
日本に対して経済制裁を行い、日本への石油の輸出を禁止しました。
そして日本時間の1941年12月8日、日本はマレー半島とハワイの真珠湾を奇襲し、アメリカ・
イギリスと戦争状態に入りました。
太平洋戦争の開戦です。
日本はフィリピンやシンガポール、ベトナムなど、東南アジアのほぼ全域を占領します。
ヨーロッパでは、ドイツがユーゴスラビアやギリシアを制圧し、ソ連の首都モスクワにも迫りました。
ドイツ国内では、国家の利益を優先し、個人の人権を否定する全体主義を徹底します。
「純粋なドイツ人」という像を作り上げて美化し、それに当てはまらないとするユダヤ系や
当時ジプシーと呼ばれたロマの人々などを激しく迫害しました。
特にユダヤ人に対しては、絶滅政策が実施され、強制収容所で600万人以上が殺害されました。
ヨーロッパでは、ドイツがユーゴスラビアやギリシアを制圧し、ソ連の首都モスクワにも迫りました。
ドイツ国内では、国家の利益を優先し、個人の人権を否定する全体主義を徹底します。
「純粋なドイツ人」という像を作り上げて美化し、それに当てはまらないとするユダヤ系や
当時ジプシーと呼ばれたロマの人々などを激しく迫害しました。
特にユダヤ人に対しては、絶滅政策が実施され、強制収容所で600万人以上が殺害されました。
そして1945年8月、広島と長崎に原爆が投下されます。
史上初めて核兵器が使用され、合わせて30万人以上の一般市民が犠牲になりました。
日本は、連合国が発した無条件降伏を求めるポツダム宣言を受諾し、降伏します。
8月15日には、国民に向けてラジオで終戦が伝えられました。
1945年に終結した第二次世界大戦の戦死者は、全世界で兵士およそ1700万人、
民間人3400万人でした。
合わせて5000万人以上の死者を出した、史上最も悲惨な世界戦争は、こうして終わったのでした。