◎第1回(1987年)FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島◎
1987年7月18日21:00 - 翌日19日20:54
総合司会はタモリと明石家さんま。
オープニングにCGとともに流れた曲は『笑っていいとも!』のコーナー「タモリ・さんまのサイテー男」と同じもの。FNS最大のお祭りのオープニングに流れたこの曲がすっとんきょうなため、タモリとさんまは拍子抜けを喰らってしまった。
『24時間テレビ』との混合を防ぐため番組ポスターに「チャリティーではありません」と書いていたにもかかわらず、本気で募金を持参して会場に来た視聴者もいた。
メインテーマの「夢家族」[2]にちなんで全国各地の家族を山本晋也・片岡鶴太郎・所ジョージ・渡辺正行の4人が生リポートしつつ最後はフジテレビに戻ってくる企画がメイン。スタジオ後ろのボードに4台のモニターが埋め込まれ、各人の行動を常時映し出していた。片岡鶴太郎が『1億人の夢家族』中継先で『遺族』『慰安婦』など失言を連発した。
生放送であったがVTRが多かった。そのなかでもFNS各局が制作した3分程度の「夢家族」紹介VTRは番組内でたびたび放映された。タモリ・さんまとゲストがVTRを「松竹梅」で評価し、それぞれが描かれたシールをスタジオ後ろのボードの日本地図に貼っていった(フジテレビが制作した東京の夢家族紹介VTRが竹ならば、日本地図の東京付近に竹のシールを貼った)。最下位は福島テレビで、梅の花びら1枚という散々たる評価に終わった。
深夜はさんま司会による『プロ野球ニュースDX』、タモリと露木茂アナウンサーがキャスターの『タモリのニュースファクトリー』、夕方は『スーパータイムSP』をタモリ・さんまと逸見政孝アナウンサーで行う。
天気予報では当時『土曜大好き!830』『アタック600』で活躍していた気象解説者の福井敏雄が登場。タモリも福井のキャラを気に入りモノマネを連発していた。
当時、フライデー襲撃事件で謹慎中だったビートたけしが深夜に乱入。これを契機にするかたちで「BIG3」が始まった。
深夜企画「眠気覚ましコンテスト」は島田紳助がスリッパを履いたパジャマ姿で司会、上野墓地でオスマン・サンコンを探す企画や『ミス・マハラジャ(大富豪の令嬢)を探せ』『見えそうで見えないチラクイズ』『骨盤当てクイズ』『おかま当てコンテスト』が話題になる。
24時間ぶっ通しの企画として、「連続テレビ大河ドラマ」と題し「真夏の忠臣蔵」を放送。全24話を放送したが、「ひょうきん族」のメンバーということで内容はコメディなうえ、各話が非常に短く(20秒程度の話もあった)、タイトル~キャスト~あらすじだけで三話も使うものであった。
早朝、明治神宮野球場で1万人を集めてラジオ体操を行なうと番組内で視聴者を呼びかけたが、午前6時前という時間帯と梅雨明け前のぐつついた天候もあって1000人しか集まらず企画倒れに終わってしまった。
トークする時間も多かったこの回。スタジオゲストには具志堅用高&渡嘉敷勝男の世界チャンプコンビを筆頭に萬田久子、関根勤、島田紳助、和田アキ子、薬師丸ひろ子、関口宏など豪華なゲストが登場した。
番組のエンディングで「来年はやらないだろう」とタモリが発言した。
「フジテレビ新人アナ披露」はこの年から始まった。塩原恒夫や、笠井信輔、中井美穂らその年に入社したアナウンサー(青木美枝(現・海外事業部)も含め4人)が提供パートを分担して読み上げた。当時フジテレビが行ったイベント『夢工場』の宣伝の要素もあり、「フジテレビの番組らしくない」との批判もあった。
当時テレビ山口もFNSに加盟していたが、諸事情で制作に参加せず、放送もまったく行われなかった。この年の秋にテレビ山口はFNSを脱退している。
出演者 タモリ(総合司会) 明石家さんま(同上) ビートたけし 山本晋也 片岡鶴太郎 所ジョージ 渡辺正行 島田紳助 オスマン・サンコン 具志堅用高 渡嘉敷勝男 輪島功一 ガッツ石松 萬田久子 関根勤 和田アキ子 薬師丸ひろ子 関口宏 ラサール石井 古舘伊知郎 平松政次 福井敏雄(気象予報士) 露木茂 青木美枝 笠井信輔 塩原恒夫 中井美穂 ほか
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1987年7月18日21:00 - 翌日19日20:54
総合司会はタモリと明石家さんま。
オープニングにCGとともに流れた曲は『笑っていいとも!』のコーナー「タモリ・さんまのサイテー男」と同じもの。FNS最大のお祭りのオープニングに流れたこの曲がすっとんきょうなため、タモリとさんまは拍子抜けを喰らってしまった。
『24時間テレビ』との混合を防ぐため番組ポスターに「チャリティーではありません」と書いていたにもかかわらず、本気で募金を持参して会場に来た視聴者もいた。
メインテーマの「夢家族」[2]にちなんで全国各地の家族を山本晋也・片岡鶴太郎・所ジョージ・渡辺正行の4人が生リポートしつつ最後はフジテレビに戻ってくる企画がメイン。スタジオ後ろのボードに4台のモニターが埋め込まれ、各人の行動を常時映し出していた。片岡鶴太郎が『1億人の夢家族』中継先で『遺族』『慰安婦』など失言を連発した。
生放送であったがVTRが多かった。そのなかでもFNS各局が制作した3分程度の「夢家族」紹介VTRは番組内でたびたび放映された。タモリ・さんまとゲストがVTRを「松竹梅」で評価し、それぞれが描かれたシールをスタジオ後ろのボードの日本地図に貼っていった(フジテレビが制作した東京の夢家族紹介VTRが竹ならば、日本地図の東京付近に竹のシールを貼った)。最下位は福島テレビで、梅の花びら1枚という散々たる評価に終わった。
深夜はさんま司会による『プロ野球ニュースDX』、タモリと露木茂アナウンサーがキャスターの『タモリのニュースファクトリー』、夕方は『スーパータイムSP』をタモリ・さんまと逸見政孝アナウンサーで行う。
天気予報では当時『土曜大好き!830』『アタック600』で活躍していた気象解説者の福井敏雄が登場。タモリも福井のキャラを気に入りモノマネを連発していた。
当時、フライデー襲撃事件で謹慎中だったビートたけしが深夜に乱入。これを契機にするかたちで「BIG3」が始まった。
深夜企画「眠気覚ましコンテスト」は島田紳助がスリッパを履いたパジャマ姿で司会、上野墓地でオスマン・サンコンを探す企画や『ミス・マハラジャ(大富豪の令嬢)を探せ』『見えそうで見えないチラクイズ』『骨盤当てクイズ』『おかま当てコンテスト』が話題になる。
24時間ぶっ通しの企画として、「連続テレビ大河ドラマ」と題し「真夏の忠臣蔵」を放送。全24話を放送したが、「ひょうきん族」のメンバーということで内容はコメディなうえ、各話が非常に短く(20秒程度の話もあった)、タイトル~キャスト~あらすじだけで三話も使うものであった。
早朝、明治神宮野球場で1万人を集めてラジオ体操を行なうと番組内で視聴者を呼びかけたが、午前6時前という時間帯と梅雨明け前のぐつついた天候もあって1000人しか集まらず企画倒れに終わってしまった。
トークする時間も多かったこの回。スタジオゲストには具志堅用高&渡嘉敷勝男の世界チャンプコンビを筆頭に萬田久子、関根勤、島田紳助、和田アキ子、薬師丸ひろ子、関口宏など豪華なゲストが登場した。
番組のエンディングで「来年はやらないだろう」とタモリが発言した。
「フジテレビ新人アナ披露」はこの年から始まった。塩原恒夫や、笠井信輔、中井美穂らその年に入社したアナウンサー(青木美枝(現・海外事業部)も含め4人)が提供パートを分担して読み上げた。当時フジテレビが行ったイベント『夢工場』の宣伝の要素もあり、「フジテレビの番組らしくない」との批判もあった。
当時テレビ山口もFNSに加盟していたが、諸事情で制作に参加せず、放送もまったく行われなかった。この年の秋にテレビ山口はFNSを脱退している。
出演者 タモリ(総合司会) 明石家さんま(同上) ビートたけし 山本晋也 片岡鶴太郎 所ジョージ 渡辺正行 島田紳助 オスマン・サンコン 具志堅用高 渡嘉敷勝男 輪島功一 ガッツ石松 萬田久子 関根勤 和田アキ子 薬師丸ひろ子 関口宏 ラサール石井 古舘伊知郎 平松政次 福井敏雄(気象予報士) 露木茂 青木美枝 笠井信輔 塩原恒夫 中井美穂 ほか
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