王貞治の記録は超えられるのか?不可能!~狙った獲物は逃さない~
野村克也・福本豊 論理と感覚 ~積才作古~
落合博満 その打撃技術に迫る ~ホームランは狙って打つものなんだよ~
門田博光 遅れてきた長距離砲 ~逆境を乗り越える才能~
山本浩二 走・攻・守 ~ミスター赤ヘル~
長嶋茂雄・イチロー 世界一の勝負強さ ~記録と記録からの記憶と~
三冠王は電車好き? ~ブーマー・ウェルズ~
宇野勝 ファンタジースター ~プロ野球を変えた男~
金本知憲 ~不屈なる不惑~
山本昌 ~逆理の投手~
野茂英雄 トルネード投法 ~どんな短所にも長所がある~
田村勤 with determination
の続きです。
まずNPB史上本塁打記録は以下のようになっています
■通算本塁打ランキング
王貞治 868本
野村克也 657本
門田博光 567本
山本浩二 536本
清原和博 525本
落合博満 510本
張本勲 504本
衣笠祥雄 504本
大杉勝男 486本
田淵幸一 474本
(2009年度終了時のデータ)
※NPB・MLB通算ではタフィ・ローズが477本(内464本がNPB)
今日はこの本塁打ランキングで9位に入っている大杉勝男さんの事を綴っていきたいと想います。
【大杉勝男】
試合数 2235 打率.287 HR 486 打点 1507
本塁打王 2回(1970年、1971年)
打点王 2回(1970年、1972年)
(東映→日拓→日本ハム→ヤクルト)
通算成績をみての通り、長距離打者であったことが想像できますね。
そして、
『月に向かって打て』
という名言が野球界には残っていますが、
この飯島コーチのアドバイスから独自のアッパースイングを捻りだし、本塁打を量産したのが大杉選手だったのです。
通算486本のホームランの内訳は、
パリーグにおいては287本、セリーグにおいては199本となっており、惜しくも両リーグでの200本塁打にはあと1本届きませんでした。
しかし、
史上初の両リーグ1000本安打達成者であり、ヤクルト球団初の2000本安打到達者として記録に残っている大打者ですね。
ですが、
大杉さんを語る上で外したくないのが、
巨人―ヤクルト戦における乱闘騒ぎの中、
あのミスターベースボールこと長島茂雄監督をぶん殴った史上唯一の選手だということです。
球界一喧嘩が強いともっぱら評判だった大杉さんならではのエピソードですね。
そんな球界一喧嘩が強いという評価がなされる背景には、大杉さんの武勇伝の数々がある訳です。
70年04月28日-
乱闘騒ぎの主役となり漢羽のように立ち塞がっていた相手チームの巨漢の助っ人選手、
カール・ボレスの眼前に颯爽と現れた大杉さんが一発を見舞うと、カール・ボレスは膝から崩れ落ちて失神。
しかし、そんな一見暴挙ともとれる行動がなされたにも関わらず、大杉さんには何のお咎めも無し。
後に二塁塁審が語ったところによれば-
『パンチが速すぎて見えなかった。見えないものをどうやって退場させるというのだ』
そこから大杉最強説は産まれたと推察。
更には、
10歳年上である野村監督のささやき戦術を、
『うるせえ!』
の一言で簡単に駆逐。
ファンの野次には、
『おい!てめえ!表で待ってろ!』
と鮮やかに対応。
そんな豪快な大杉さんですが、
東映球団のブラジル遠征に際して、
『飛行機が墜落して私が死んだら、誰が母の面倒を見るんですか』
と船による遠征を球団に進言したり、
上述したカール・ボレスには翌日早々謝罪するなど、
豪快でありながら柔らかい部分を持ち合わせた人だった為、人気を博した選手だったようです。
そして、1978年の日本シリーズ第7戦―
本塁打の判定を巡って阪急・上田監督が1時間19分という記録にも記憶にも残る抗議をした際に、
その本塁打を放ったのは大杉さん。
記録の陰に大杉あり-
その豪快さと柔らかさはもちろん打撃にも反映され、
ヤクルト-広島戦、
危険球が飛び交って不穏な空気が漂っていた試合で、
ヤクルトの主砲・大杉選手が打席に入ると、
広島ベンチは『大杉に当てろ』といわいる報復の指示を出す。
当時、まだ若手だった達川捕手は困り果て、
『大杉さん・・・ベンチから当てろと指示が出ているのですが・・・私はどうすれば・・・』
なんと、バッターボックスの大杉さんに相談を持ちかけたのだった。
すると―
『逃げるな!当てろ!』
とバッターボックスのベースよりに立った大杉さんから返信あり。
『すいません、では、ちょっと内角行かせて頂きます』
と若き達川捕手はミットを恐る恐る大杉さんの後ろに備え付ける。
『いいぞ!来い!』
前のめりに構えた大杉さんから再度返信あり。
そして、後に炎のストッパーと呼ばれることとなる若き津田恒美投手から運命の一球が発射されるやいなや、
大杉さんが刹那にバックステップ。
達川捕手のミットは危険球から絶好球を示す場所に一瞬にして様変わりし、
レフトスタンドに超特大の曲線が描かれてしまったのだった。
敵がどこから攻めてくるのかが解っていれば、撃退するのは容易い-
大杉さんの知的センス溢れる一発。
そのような豪快さと柔らかさで積み上げた本塁打数は486本。
1983年に21本の本塁打を放ちファンに惜しまれつつ38歳で引退。
後に全盛期だった「とんねるずのみなさんのおかげです」にて、
石橋貴明からもサヨナラホームランを放ち、大杉勝男健在なりを世に示したが、
1992年に肝臓ガンにて逝去。
今後、これほどまでに豪快で優しい打者は現れるのでしょうか。
野村克也・福本豊 論理と感覚 ~積才作古~
落合博満 その打撃技術に迫る ~ホームランは狙って打つものなんだよ~
門田博光 遅れてきた長距離砲 ~逆境を乗り越える才能~
山本浩二 走・攻・守 ~ミスター赤ヘル~
長嶋茂雄・イチロー 世界一の勝負強さ ~記録と記録からの記憶と~
三冠王は電車好き? ~ブーマー・ウェルズ~
宇野勝 ファンタジースター ~プロ野球を変えた男~
金本知憲 ~不屈なる不惑~
山本昌 ~逆理の投手~
野茂英雄 トルネード投法 ~どんな短所にも長所がある~
田村勤 with determination
の続きです。
まずNPB史上本塁打記録は以下のようになっています
■通算本塁打ランキング
王貞治 868本
野村克也 657本
門田博光 567本
山本浩二 536本
清原和博 525本
落合博満 510本
張本勲 504本
衣笠祥雄 504本
大杉勝男 486本
田淵幸一 474本
(2009年度終了時のデータ)
※NPB・MLB通算ではタフィ・ローズが477本(内464本がNPB)
今日はこの本塁打ランキングで9位に入っている大杉勝男さんの事を綴っていきたいと想います。
【大杉勝男】
試合数 2235 打率.287 HR 486 打点 1507
本塁打王 2回(1970年、1971年)
打点王 2回(1970年、1972年)
(東映→日拓→日本ハム→ヤクルト)
通算成績をみての通り、長距離打者であったことが想像できますね。
そして、
『月に向かって打て』
という名言が野球界には残っていますが、
この飯島コーチのアドバイスから独自のアッパースイングを捻りだし、本塁打を量産したのが大杉選手だったのです。
通算486本のホームランの内訳は、
パリーグにおいては287本、セリーグにおいては199本となっており、惜しくも両リーグでの200本塁打にはあと1本届きませんでした。
しかし、
史上初の両リーグ1000本安打達成者であり、ヤクルト球団初の2000本安打到達者として記録に残っている大打者ですね。
ですが、
大杉さんを語る上で外したくないのが、
巨人―ヤクルト戦における乱闘騒ぎの中、
あのミスターベースボールこと長島茂雄監督をぶん殴った史上唯一の選手だということです。
球界一喧嘩が強いともっぱら評判だった大杉さんならではのエピソードですね。
そんな球界一喧嘩が強いという評価がなされる背景には、大杉さんの武勇伝の数々がある訳です。
70年04月28日-
乱闘騒ぎの主役となり漢羽のように立ち塞がっていた相手チームの巨漢の助っ人選手、
カール・ボレスの眼前に颯爽と現れた大杉さんが一発を見舞うと、カール・ボレスは膝から崩れ落ちて失神。
しかし、そんな一見暴挙ともとれる行動がなされたにも関わらず、大杉さんには何のお咎めも無し。
後に二塁塁審が語ったところによれば-
『パンチが速すぎて見えなかった。見えないものをどうやって退場させるというのだ』
そこから大杉最強説は産まれたと推察。
更には、
10歳年上である野村監督のささやき戦術を、
『うるせえ!』
の一言で簡単に駆逐。
ファンの野次には、
『おい!てめえ!表で待ってろ!』
と鮮やかに対応。
そんな豪快な大杉さんですが、
東映球団のブラジル遠征に際して、
『飛行機が墜落して私が死んだら、誰が母の面倒を見るんですか』
と船による遠征を球団に進言したり、
上述したカール・ボレスには翌日早々謝罪するなど、
豪快でありながら柔らかい部分を持ち合わせた人だった為、人気を博した選手だったようです。
そして、1978年の日本シリーズ第7戦―
本塁打の判定を巡って阪急・上田監督が1時間19分という記録にも記憶にも残る抗議をした際に、
その本塁打を放ったのは大杉さん。
記録の陰に大杉あり-
その豪快さと柔らかさはもちろん打撃にも反映され、
ヤクルト-広島戦、
危険球が飛び交って不穏な空気が漂っていた試合で、
ヤクルトの主砲・大杉選手が打席に入ると、
広島ベンチは『大杉に当てろ』といわいる報復の指示を出す。
当時、まだ若手だった達川捕手は困り果て、
『大杉さん・・・ベンチから当てろと指示が出ているのですが・・・私はどうすれば・・・』
なんと、バッターボックスの大杉さんに相談を持ちかけたのだった。
すると―
『逃げるな!当てろ!』
とバッターボックスのベースよりに立った大杉さんから返信あり。
『すいません、では、ちょっと内角行かせて頂きます』
と若き達川捕手はミットを恐る恐る大杉さんの後ろに備え付ける。
『いいぞ!来い!』
前のめりに構えた大杉さんから再度返信あり。
そして、後に炎のストッパーと呼ばれることとなる若き津田恒美投手から運命の一球が発射されるやいなや、
大杉さんが刹那にバックステップ。
達川捕手のミットは危険球から絶好球を示す場所に一瞬にして様変わりし、
レフトスタンドに超特大の曲線が描かれてしまったのだった。
敵がどこから攻めてくるのかが解っていれば、撃退するのは容易い-
大杉さんの知的センス溢れる一発。
そのような豪快さと柔らかさで積み上げた本塁打数は486本。
1983年に21本の本塁打を放ちファンに惜しまれつつ38歳で引退。
後に全盛期だった「とんねるずのみなさんのおかげです」にて、
石橋貴明からもサヨナラホームランを放ち、大杉勝男健在なりを世に示したが、
1992年に肝臓ガンにて逝去。
今後、これほどまでに豪快で優しい打者は現れるのでしょうか。