自分が愛おしく想う人を信じて「生きて再会するまで待つ」というのは容易なことではありません。でも信じる心は失くさない。


私も両親に子どもの頃から聞かされていた、あの痛ましい戦争について書きます。

戦争に纏わる映画やドラマは今までに数多く劇場やTVで放映されています。


赤紙が届いたら、それが「めでたいこと」とされ、戦地へ送り出されるのです。

そのような時代だったのでしょうか…


そして……戦死広報が電報で届く。

その電報には[メイヨノセンシス]



↑これは私が20代の頃に観たドラマのワンシーンです。


戦死広報に誤りも多かったのではないかと推測しております。

自分自身でも調べてみたことです。

もちろん、その時代に私は生きていないので軽々しく申し上げるつもりはありません。

その当時、それを味わった人にしか分からないこともあるでしょう。


ですが、味わった方々が伝え続けているのも事実です。


私の両親は、当時は子どもでしたが、その記憶があり、よく話を聞きました。

両親共に百姓の息子、娘ですが、「さつま芋のツルをよぉ食べてたな」と…

食べれるもの?は何でも食べる。

父親は昭和14年1月生まれですが、小学生の時、駆虫薬のような液体を飲まされたことがあり、「そしたら肛門から長い虫が出てきてな、それをお父さんは自分で引っ張り出したことがあるんや」と聞かされました。


私が子どもの頃でしたので、その話を聞くたびに(何度も聞いたので)「えぇ〜っ!お尻から虫が出てきて、その虫を自分で引っ張り出したん?ゾッとするわ」と伝えていたように記憶しています。


ですが今、私も年齢を重ね思うのは[食べるものがなかった時代、衛生面より空腹を満たすために…飢えとの戦いでもあったのか?]そう感じます。


戦死広報が届き、その時は夫や息子が…と嘆き悲しむ残された妻や家族の場面も観ましたが、それらを受け入れ新たな人生を歩む人たちもいたことでしょう。

その広報を手にして、それを疑いもなく信じ…

終戦後、何年か経ってから、生きて帰ってきた時には全てが変わっていた。

待ってくれていると信じていた帰還者は、その現実を見て、怒りや憎しみにも似た感情を抱くのです。


その逆も観ました。

このような戦死広報など信じない。

あの人はどこかで生きている。

そして必ず生きて帰ってくるという場面を…






↑その想いが込められた一曲が、この楽曲です。


私がKAWAIに在籍していた頃、講師仲間6人で【舞鶴引揚記念館】にも行きました。

雪が積もっている寒い日だったことも憶えています。



他にも様々な同じような場所を一緒に訪れた仲間です。

『こんな時代やったんやな…』←大先生がいつも発していた言葉です。

あとは各々に無言で館内を見て周りました。

大先生の管理の下、年に一回程度の旅行のため、積み立てをしていたのです。


様々な場所に講師仲間と行きましたが、単なる旅行ではなく、その地に纏わる歴史を辿る旅でもありました。色々な風景や情景(情報)を観ることが、自分の音楽性を高める糧になると思っていた講師仲間でした。


私の父方の祖父は満州への召集で海軍として赴くことになり、それから何年後だったのかは聞いていませんが、舞鶴港に生きて帰ってきました。

生きて帰ってくることが引け目を感じることであったのも、あの時代を伝えていらっしゃる方々の言葉や、当時の映像フイルム、そして映画やドラマを通じて、知っているつもりです。


なぜ、人と人は争い合うのでしょう。

なぜ、人と人は殺め合うのでしょう。


そこから明るい未来が生まれますか?


過去の出来事を今また繰り返しているようにしか思えません。

得体の知れない菌のことだけを指しているのではありません。


あの時代より今は豊かな生活ができているのかもしれません。

現代は『お金があれば何でも手に入る』と...


でも、人と人とが助け合う姿勢や愛、信じることを疑わない心...これらは、お金持ちであっても買うことはできないのです。

[形がない(見えないもの)だから]です。

このようなものは、どこのお店でも買うことはできません。

お金で買えないものこそ本当に必要なのではないでしょうか...

それが人としての原点だと私は感じます。

もちろんお金を必要とすることも多々ありますが…

美しいはずの地球が汚されている今だからこそ、ちっぽけなことでもいい。

自分の周りから一隅を照らしましょう。

いや、私はそうしたいと思っています。