~徒然1~
こちら関東。
まだ梅雨入りしていません。
梅雨入りしてないのも変だし、台風が発生してないのも不気味…
今年、大丈夫…?
9月10月になったら一週間おきに台風上陸とかならないよね!?
~徒然2~
大腸内視鏡カメラ、どのタイミングでやろうか思案中。
どーしよっかなぁ~~~~~ (´Д`)
ホントはGW期間にやるべきだったんだけどタイミング逃しちゃってさ。
梅雨で走れない今やる?
それとも水戸黄門漫遊マラソンが終わってから、11月にやる?
そのほうがスケジュール立てやすいし。
~徒然3~
キョン!!!!!
千葉で大量発生しているというキョンが!
とうとう利根川を渡ったか!!
よし!小遣い稼ぎにイバへ行くぞ!
~徒然4~
みんな~!
今日の『歴史探偵』は、
大 友 宗 麟 だよ~☆
戦国ご当地大名シリーズ、一番手は豊後のキリシタン大名・大友宗麟。
ポルトガルに残る一枚の宗教画からヨーロッパと繰り広げた世界戦略に迫る。
南蛮渡来の国崩がさく裂だ!
国崩し、萌えぇえええええええッ!!!
ガトリング砲に次ぐ、まめクロさんの大好物!
血沸き、肉躍る!
< キリシタン大名 大友宗麟 >
大友義鎮(よししげ/大友氏第21代当主)。
法号は宗麟。海外貿易で得た経済力とすぐれた家臣の補佐により、戦国の九州随一の
勢力を誇った。耳川の合戦を皮切りに次々と領地を失い、晩年は秀吉傘下の一大名として
終わった。享年58。
キリスト教に深く帰依し、キリスト教による理想国を目指し、天正遣欧使節を派遣した。
その一方、急激なキリスト教の受け入れで家臣達との対立につながり、神社仏閣の破壊が
相次いだ。
神社仏閣の破壊
ぶっちゃけ、あまり良い話を聞かない武将です。
天正遣欧使節と言えば?
伊東はマンショ~ 千々石はミゲル~ 原はそう マルチノ~♪
中浦はなんたって ジュリアンさ~♪
僕たち天正!遣欧!少年!使節!GO!GO!GO!
この4人の末路は悲惨だよ…
大友宗麟の居城と言えば、臼杵城ですよね。
もちろん見に行ったことありますよ。
< 臼杵城跡 >
丹生島城・亀城とも呼ばれていた城跡です。
キリシタン大名として有名な大友宗麟の居城だったため、城内には礼拝所が、城下には
キリシタンの修練所があったそうです。
築城当時は丹生島と呼ばれる孤島上の城郭で、周囲の海が天然の要害となり、堅固な守りを
誇っていました。
大友氏以降、福原直高、太田一吉が城主を務めたのち、慶長5年(1600年)からは、
美濃から入封した稲葉氏が廃藩置県まで15代にわたってこの城を居城とし臼杵藩の支配に
あたっていました。
廃藩置県後、明治6年(1873年)に臼杵城は廃城と決定され取り壊されました。
海に浮かぶ城だったのが、今じゃすっかり埋め立てられて長崎の出島状態よ…。
現在は臼杵公園として整備されたこの城跡に、アレがあるんです!
出たー! (*゚∀゚*)
国崩しッ!
これが!
ポルトガルから輸入した秘密兵器、仏郎機砲!
別名、国崩しですよっ!
飛び道具、萌えええええぇ~~~~!!!
名前の由来?
そりゃ~アナタ、国が崩れるほどの衝撃だったからでしょうよw
これがまた多数の玉や釘などの金属片を混ぜた、とんでもなくエゲツナイ
榴散弾でして。
ダーティボム ですよ、ダーティボム!
これを城内から島津軍めがけてドッカン!ドッカン!
撃ちこむ撃ちこむ!ぶっ放す!!
<イメージ>
撃て――――ッ!!!
ドゴーン!!
撃て――――ッ!!!
ババ―ン!!
見上げた空の一角には、先ほど見た真っ白なハトが一羽…。
「…どうした……味方の大砲の音が聞こえないぞ…
撃て…攻撃を続けろ…アラン、撃つんだ……何をしている……」
「元衛兵隊員、全員配置につけ!!!!!」
「おお~っ!!」
「…撃て…撃つん…だ………」
「よぅし…!みんな!撃ちまくるんだっ!!!」
撃て――――ッ!!!
ドゴーン!!
撃て――――ッ!!!
ババ―ン!!
飛び散る金属片。
逃げ惑う島津軍。
ギャー!!
ヒィー!!
「アデュー…」
萌えが止まらん…
ハァハァ
島津軍も壊滅なら、城下町も壊滅というねwww
ひでぇ領主だよw
学校の授業で習う歴史ってさ、受験仕様で教科書の内容をただなぞっていくような
教え方だったじゃん?
でも、実際はもっと人間臭くて愛憎ドロドロで、世界史も入り混じってて、
想像を膨らますと大パニックで、面白いことになってるんですよ~☆
身の回りに歴史好きの人がいなくてさ (´・з・`)
どの時代でも良いから、皆さんにもっと歴史に興味を持ってほしいな。
何度も言うけど、ワタシ別に好きな戦国武将とかいないからね。
<まめクロ三大リスペクト>
・河井継之助センパイ
・将門センパイ
・ハンニバルセンパイ
あくまでこの3人推しだから。