ご覧下さりありがとうございます![]()
途中下車&散策は日野
市原鉄之助の続きです。
土方歳三は、五稜郭にて。
「未来ある者をここで死なせてはいけない」そう考えた土方歳三は、鉄之助に、ここの日野本陣(佐藤家)への用を言いつけたそうです。
当然、鉄之助は反発します。しかし、有無を言わせずに五稜郭を脱出させました。この写真をもたせて

※土方歳三の写真は、2種類あるそうです。
一つ刀を持っているもの、もう一つは持っていないもの。
鉄之助の持ち帰った写真は、刀を持っている写真です。
TVや雑誌に引用される土方歳三の写真で、市村鉄之助が持ち帰ったものかどうかは、刀でわかるようです。
政府軍の警戒の中、この写真を隠し持ち、ボロボロになりながら、日野本陣にたどり着きました
佐藤家の人は、そんな鉄之助をここ(日野本陣)にかくまいます。新選組と知られたら、捕まってしまいます
その為、2年間。ほとんど外に出ずにこの家で暮らしました。
土方家と佐藤家。親戚のようです。系譜が以下です。
佐藤彦五郎と土方歳三は、義理の兄弟のようです。そして、父親違いの兄弟のようです。

この本陣の建物は、昭和になっても、近所の材木屋や多くの人によって、修繕されたり、保存管理をされました。そして現代に至ります。
以前の旅でも、同じ事、良く聞きました。
「地元の人々が守る」
松本城などもそうでしたね。
幕末の建物、文化財は、地元の人々が必死に守って今にあるのですね。新選組の記念館やゆかりの地は、全国にありますが、いかに多くの人々に愛されていたかがわかります。
今でも、子孫の方々が新選組の資料館を作ったりしています。
しかし、、ここまで書いて、少し疑問というか、わからない事が出てきました。。。
なんで、近藤勇や土方歳三は、最後の最後まで戦ったのか?なんのために戦ったのか?
幕末の最後の方は、政府軍は天皇の意思として攻めてくる。大義名分はなく、すでに幕府もなく、将軍も戦う意志をなくしていました。最後まで戦う理由がなんなのか、ちょっとはっきりしません。
でも、命をかけて戦っているからには、理由はあったはず
あとは、各地で、新選組の存在が今でも残っている事です。
歴史的な人物は沢山いますが、これほど多くの地で紹介されている人(団体)はあんまりいないと思われます。
なぜでしょうか。
有名だっただけではちょっと弱いかな。。時代の流れもありますが、維新後は逆賊扱いでしたし。。
しかも全国ですからね。。そして、維新から150年間も。。
人の心をうつ普遍的な何かがあるのかもしれません。
新選組を追うのも良いかな。。
散策続きます。
ではでは







