【散策】[日野駅] 日野宿と新選組 ② | IKUMAの長旅&途中下車

IKUMAの長旅&途中下車

続き物なので、古い順で読んで頂けるとわかりやすいです。

【主な旅】
①青春18きっぷ、1回分(1日)でどこまでいけるか?
②東京~長崎、熊本の旅(在来線、フェリー)
③在来線で、日本横断の旅
④山梨散策

ご覧下さりありがとうございます爆笑

 
途中下車&散策は日野ニコニコ
 
市原鉄之助の続きです。
 
 
 
土方歳三は、五稜郭にて。
「未来ある者をここで死なせてはいけない」そう考えた土方歳三は、鉄之助に、ここの日野本陣(佐藤家)への用を言いつけたそうです。
 
当然、鉄之助は反発します。しかし、有無を言わせずに五稜郭を脱出させました。この写真をもたせてえーん
 
 
 
※土方歳三の写真は、2種類あるそうです。
一つ刀を持っているもの、もう一つは持っていないもの。
鉄之助の持ち帰った写真は、刀を持っている写真です。

TVや雑誌に引用される土方歳三の写真で、市村鉄之助が持ち帰ったものかどうかは、刀でわかるようです。
 
政府軍の警戒の中、この写真を隠し持ち、ボロボロになりながら、日野本陣にたどり着きましたニコニコ
 
佐藤家の人は、そんな鉄之助をここ(日野本陣)にかくまいます。新選組と知られたら、捕まってしまいますショボーン
 
その為、2年間。ほとんど外に出ずにこの家で暮らしました。
 
 
土方家と佐藤家。親戚のようです。系譜が以下です。
佐藤彦五郎と土方歳三は、義理の兄弟のようです。そして、父親違いの兄弟のようです。
 
 
この本陣の建物は、昭和になっても、近所の材木屋や多くの人によって、修繕されたり、保存管理をされました。そして現代に至ります。
 
 
 
以前の旅でも、同じ事、良く聞きました。
地元の人々が守る
松本城などもそうでしたね。
 
 
幕末の建物、文化財は、地元の人々が必死に守って今にあるのですね。新選組の記念館やゆかりの地は、全国にありますが、いかに多くの人々に愛されていたかがわかります。
 
今でも、子孫の方々が新選組の資料館を作ったりしています。
 
 
しかし、、ここまで書いて、少し疑問というか、わからない事が出てきました。。。
 
なんで、近藤勇や土方歳三は、最後の最後まで戦ったのか?なんのために戦ったのか?
 
 
 
幕末の最後の方は、政府軍は天皇の意思として攻めてくる。大義名分はなく、すでに幕府もなく、将軍も戦う意志をなくしていました。最後まで戦う理由がなんなのか、ちょっとはっきりしません。
 
でも、命をかけて戦っているからには、理由はあったはずニコ
 
 
あとは、各地で、新選組の存在が今でも残っている事です。
 
歴史的な人物は沢山いますが、これほど多くの地で紹介されている人(団体)はあんまりいないと思われます。
 
 
なぜでしょうか。
有名だっただけではちょっと弱いかな。。時代の流れもありますが、維新後は逆賊扱いでしたし。。
しかも全国ですからね。。そして、維新から150年間も。。
 
人の心をうつ普遍的な何かがあるのかもしれません。
 
 

長旅&途中下車は、
新選組を追うのも良いかな。。
 
散策続きます。
ではでは爆笑