砂の香り(「我等の仲間」1936年)
ここ何年もたいして映画館に行ってないので、
映画について語るのも気が引けるんだけど、
もうちょっと映画ネタを。
12月23日のこと。
自分の学生時代の恩師で、映画監督の岩内克己先生を囲む
「砂の香り」という会に参加してきた。
今年20周年を迎えた「砂の香り」は、
岩内先生と主催者のタカハタケさんが映画を選び、
集まったみんなで見て、作品について語るという、
わかりやすく言うと“映画を見る会”のような集まり。
今年見たのは、岩内先生が若かりし頃に観て刺激を受けたという
1937年のフランス映画「我等の仲間」。
(監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ / 出演者:ジャン・ギャバン)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20131230/00/hjm73/9c/40/j/t02200326_0590087412797088600.jpg?caw=800)
映画上映の前後に、
岩内先生とタカハタケさんによる解説があり、
作品がより深く見られるという贅沢な趣向。
「数十年ぶりに観た」と語る岩内先生が、
作品について詳しく覚えていたことも驚いたし、
当時はハリウッドよりもフランス映画の方が、
世界的にポピュラーだったといった話に唸らされた。
他にもおすすめ作品をいくつか聞いたので、
機会を作ってみてみようと思った。
ちなみに、岩内先生の代表作といえば
「エレキの若大将」
若大将シリーズに関する裏話は、
いつ聞いても興味深い。
楽しみ方のツボも教えこまれているので、
岩内先生の若大将は何度も見ても愉快。
若大将シリーズって素晴らしいと思う。
先日は「リオの若大将(1968年)」の撮影時に、
リオデジャネイロに滞在した際の話しを
打ち上げの席で聞かせてもらった。
45年前のリオはかなり刺激的だった模様。
岩内先生との思い出は……
いまから約20年前、
卒業後に母校の学園祭に顔を出した時に
「会社をやめて音楽でプロを目指そうと思っています」と報告した際に、
「君はどこで何をやっても大丈夫だから、やってみなさい」
と言ってもらえたこと。
結局、夢破れて、別の道を進んでいまに至るけど。
先生にその言葉をもらえたことで、
当時は相当な自信を持って前に進めた。
いろんなものの見方、判断基準の持ち方なども
先生から教えてもらったんだよなぁ。
などなど。
そして、岩内先生を囲む場を長年作り続けてくれている
高畠さんに、本当に感謝です。
映画について語るのも気が引けるんだけど、
もうちょっと映画ネタを。
12月23日のこと。
自分の学生時代の恩師で、映画監督の岩内克己先生を囲む
「砂の香り」という会に参加してきた。
今年20周年を迎えた「砂の香り」は、
岩内先生と主催者のタカハタケさんが映画を選び、
集まったみんなで見て、作品について語るという、
わかりやすく言うと“映画を見る会”のような集まり。
今年見たのは、岩内先生が若かりし頃に観て刺激を受けたという
1937年のフランス映画「我等の仲間」。
(監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ / 出演者:ジャン・ギャバン)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20131230/00/hjm73/9c/40/j/t02200326_0590087412797088600.jpg?caw=800)
映画上映の前後に、
岩内先生とタカハタケさんによる解説があり、
作品がより深く見られるという贅沢な趣向。
「数十年ぶりに観た」と語る岩内先生が、
作品について詳しく覚えていたことも驚いたし、
当時はハリウッドよりもフランス映画の方が、
世界的にポピュラーだったといった話に唸らされた。
他にもおすすめ作品をいくつか聞いたので、
機会を作ってみてみようと思った。
ちなみに、岩内先生の代表作といえば
「エレキの若大将」
若大将シリーズに関する裏話は、
いつ聞いても興味深い。
楽しみ方のツボも教えこまれているので、
岩内先生の若大将は何度も見ても愉快。
若大将シリーズって素晴らしいと思う。
先日は「リオの若大将(1968年)」の撮影時に、
リオデジャネイロに滞在した際の話しを
打ち上げの席で聞かせてもらった。
45年前のリオはかなり刺激的だった模様。
岩内先生との思い出は……
いまから約20年前、
卒業後に母校の学園祭に顔を出した時に
「会社をやめて音楽でプロを目指そうと思っています」と報告した際に、
「君はどこで何をやっても大丈夫だから、やってみなさい」
と言ってもらえたこと。
結局、夢破れて、別の道を進んでいまに至るけど。
先生にその言葉をもらえたことで、
当時は相当な自信を持って前に進めた。
いろんなものの見方、判断基準の持ち方なども
先生から教えてもらったんだよなぁ。
などなど。
そして、岩内先生を囲む場を長年作り続けてくれている
高畠さんに、本当に感謝です。