こんにちは。
『Natural Healing 陽&月』のKAORIです☺
今回も私の幼少期の話の続きです❀
~あらすじ~
しっかり者で頼りになる、年の離れた姉と兄の下
3番目に生まれた私は、超がつくほどの頑固で
とても人見知りだった。
3歳まで、母に自宅で面倒を見てもらい
のびのびすくすく育ったのだが
とうとう大泣きしながら
幼稚園に年中さんから入園したのであった・・・
それからの毎日は、31年の記憶の中に紛れて
覚えていないことの方が多いんだけど
とりあえず覚えているのは
毎日毎日、幼稚園に行きたくなくて
母とバトルしていたこと☺
「行きたくない!」と、毎朝わんわん大泣きして
時には泣きすぎて、熱を出して休む日もあったっけ。
けれど、ほとんどは大泣きしながら
幼稚園バスまで引っ張られ
「がんばって行ってみよう!」と
先生、母、近所の子のお母さんになだめられ
不貞腐れながらバスに乗り込んでいた。
ある日、いつも通り攻防を繰り返した後
真っ赤な目をして、しぶしぶバスに乗ったら
同じ年中さんの誰かが
「またかおりちゃん大泣きしたんだ」と
言っていたのを聞いてしまったことがあった。
同い年なのに、まわりの子たちに
自分がひどく幼く見られているのを感じて
子どもなりに、とても恥ずかしかったな☺
悔しくて「泣かずに幼稚園に行こう!」と決めても
朝になれば、やっぱり行きたくなくて・・・
結局、年中さんのうちは
ずっとバスを前にして泣いていたのだった。
・
幼稚園の時期って、すごく愛嬌があって
かわいい時期だと思うけど
私は持ち前の人見知り、そして警戒心の強さからか
殻に籠っているような、クールでミステリアスな子だった。
だから、幼稚園の先生とも
うまくコミュニケーションが取れなくて
周りの子よりも怒られることが多く
実は、当時の担任の先生に怒られるのが怖くて
幼稚園に行きたくなかったというのもある☺
家族、特に祖父母は厳しかったから
怒られることなんて日常茶飯事だったけど
家族以外の大人に怒られることはほどんどなかったから
当時は先生に会うのが本当に怖かったんだよね。
うまくコミュニケーションとれないのに
やたら自我が強い、ワガママ娘だったから
先生に怒られても仕方なかったけど☺
・
そんなある日、事件が起こった。
給食で出たミートボールが
私は食べられなかったのだ。
当時の私はかなり警戒心が強く
家で食べたことのない料理を食べられなかったのである。
うちはミートボールが食卓に出たことはなく
ミートボールを絡めてあるテカテカした甘酢も
それまで食べたことがなかった。
だから4歳にして初めて出会ったミートボールに
怖気づいてしまい、どうしても食べられなかったのだ。
そんな手を付けられなかったミートボールを見て
「ちゃんと食べなさい! 少しくらい食べなさい!」と
先生は何度も注意をした。
私は他にも好き嫌いがあったので
食べられなかったものもたくさんあったはずなのに
なんでミートボールだけ怒られた記憶があるんだろう☺
そして、なぜか私は
教室のオルガンの前で先生とミートボールを食べるか
食べないかを巡って戦っていた。
(なぜオルガンの前で争っていたかは不明なんだけど。
「オルガンの前=教室の目立つ場所」だったから
みんなに見られながら、わがままを言ってしまったんだよね☺)
先生に「食べなさい!」と何度も言われるも
「いやだ」と大泣きして、頑なに抵抗する私。
長いことひたすら抵抗していたら
多分、私の動いた反動でお皿に乗っていた
ミートボールのうち一つが、ポトンと
オルガンの前に落ちてしまった。
「ああ、やってしまった・・・」と思って固まってしまった。
4歳だって、やっちゃダメなことくらい分かる。
「これは絶対しちゃいけないことをしてしまった」
ぽつんと落ちたミートボールはひどく寂し気で
あんなに嫌がっていたのに「食べとけばよかった」と後悔した。
そして余計に怒られると思っていたのに
先生は呆れた顔をして、もう怒ることはなかったのである。
あんなに攻防していたミートボールを
「食べ物をこんなにして。もう食べなくていいです」と
あっさり取り下げ、そっぽ向いてしまった。
あの、オルガンの前に落ちたミートボールの光景と
急に突き放された切なさは、今もたまに思い出す。
「だから食べられないって言ったのに
無理して食べさせようとするから!」と
子どものように拗ねたくなる気持ち。
先生をがっかりさせてしまったことに戸惑って
素直に「ごめんなさい」と言えなかったこと。
もしあの時、ちゃんと「ごめんなさい」と言えてたら
先生ともっとちゃんと仲良くなれたのだろうか。
実は、そんな苦い思い出があって
今もあの時のミートボールに似ている
レトルトや冷凍食品のミートボールは苦手だ。
・
それから先生に後ろめたい気持ちがあって
必要以上に先生と接触せず、距離があった気がする。
怒られると思って、甘えたりはできなかったし
他の子のように愛嬌を持って先生と話せなかったから
嫌われているとまではおもっていなかったけど
好かれてはいないんだろうな、と思っていたのだ。
幼かったけれど、そういうところに聡い子だった。
だから、年中さんを卒業するとき
先生がひとりひとり手作りのメッセージカードを
作って、メッセージを書いてくれたんだけど
「どんなことが書かれているんだろう」って
なんだかそれを開くのが怖かったのを憶えている。
また厳しいことを書かれているのかな
そしたらやだな、お母さんにも読まれたくないな。
いろいろ思っていたけど、母に言われるまま
カードを開いてみると「1年間でよく成長したね」と
やさしい言葉が書かれていた。
それがとってもうれしくて
私は何度も何度も開いて、見て、読み返した☺
先生のことをもっと知りたいなって思ったけど
その頃にはもう、年下のクラスの先生になっていて
関わることはなくなってしまった。
タイミングって、難しいものである。
*
きっとあの時の先生と
私は同じくらいの年齢だと思う。
「親から預かって育てるには
優しく接することばかりはできないよね」って
今は思うし、厳しさの中にもきっと
優しさはあったんだろうなって、振り返る。
思えば、あの時の先生は
私の初めての"担任の先生"だったんだね。
不思議と、今も名前を憶えているし
顔もうっすら思い浮かぶ。
かえって高校の時の担任の先生の方が
憶えてないなんて、不思議だ。
今はどうしているのかな。
元気にしてるのかな。
あの時は、誰よりも迷惑かけてごめんなさい。
でも、何とかここまで大人になりました。
全然立派じゃないけど
あの頃のままワガママだけど
自分のこと、少しずつ好きになれています。
何も知らない私に
いろんなことを教えてくれてありがとう。
何も知らない私に
厳しく接してくれてありがとう。
あの頃は泣くことばかりしか感情表現できなくて
ごめんなさい。
でも諦めず、私を見てくれてありがとう。
きっとあの時も、今の私の一部。
・
あの時の記憶を、優しく、感謝の気持ちで包んで
これからはもっと大切にしよう☺
そう心に決めて、当時の切なさは手放す☺
もうミートボールを見て、悲しむのはやめよう☺
もっとミートボールを好きになれたらいいな☺
時が経てば、どんな出来事も
多面的に見られるようになって
案外、見落としていた優しさや、救いに気づける。
だから、思い出って面白いんだ。
小さい頃の私も、先生も
毎日必死だったんだなと思うと、愛しくて
やさしい気持ちで振り返れる。
きっと今の私も、明日の私も
未来の私が振り返ったら、愛しく思えるんだろうな。
そう思うから、どんな失敗も恥も恐れず
まっすぐ今を、楽しんで生きていこう☺
なんだかまとまらないブログになっちゃったけど
幼少期のお話はもうちょっと続きます☺
また読みに来てね♪
今日もみなさまに
たくさんのしあわせが届きますように☺
KAORI☺
✩陽&月・公式HP✩