妹のうちの一人にうちで会う予定だった。

彼女はもちろん鍵を持っていないので、私が5時までに家に帰る予定だった。


色々押して、結局私が家に着いたのは7時半頃だった。妹は怒っていなかった。

なぜ私が遅れたのかを考えると、彼女がもしかしたら遅れるかもという期待があったからかもしれない。

私は5時までには帰りたいということを言ったのに。それだったら、もっと現実的な待ち合わせ時間を

提案したほうがよかった。


帰り道で、妹はこう言った。どういう経緯だったのか忘れたが、

「お母さんって、複雑な環境で育ったのに、良い人間にできてるよね。」


そんな目で実の母ではないお母さんのことを見たことがなかったので、私は少し驚いた。

彼女にとっては実の母だから、彼女は無償の愛を注ぐからそう思ったのかもというのは、ここでは重要なことではない。


物事に、2Dの評価と3Dの評価があると気づいたからだ。そして、私は彼女について、どちらかというと2Dの評価をしていたと思う。今の彼女の行動、考え方など表面的なことから彼女を評価していた。そこに至るまでの経緯を考えたことがなかった。


でも、不思議なことに、たとえば、同じ+10の行動をしたとしても、今の行動・考え方だけで評価するのと、過去にどういう経緯があったのかということを踏まえて評価するのでは、総合的な評価が異なってくる。


自分を基点とすると、彼女のことを理解しようがしまいが、結局自分に影響があるのは今の行動と考え方だから、関係ない、利益はないという考え方もある。だけど、彼女に対しての共感を持とうというスタンスは、3Dの見方だ。思いやりが感じられる。


もともと医師家庭で育って良い教育に恵まれて医師になった人と、貧しいスラムで育って血のにじむような努力して医師になった人は、今は同じ医師だけど内容が全く異なるのと同じだ。


自分のいたらなさに気づいた。と同時に、3Dの見方の利点も知った。人間は変化するものだ。表面だけを見ていたら、予測できない行動もある。だけど、その人の背景を知ることによって、多少の予測、理解、彼女に対する正当な対応ができると思うからだ。これは、ある国のことを知るのに、直近の経済指標だけでなく、過去の経緯を学ぶのと同じことだ。


持っている背景によって、ものの見方は異なる。だから、どのように対応するかというのも、相手を理解することによって適宜変えるべきだ。

私は自分に誓った。このキャリアで行くと。だけど逃げ道も用意してある。

何故なら、私がそもそもこのキャリアを選んだのは、必要とあらば家族を養えるくらいの人になりたかったからだ。だから、もしもの時のために、その目的は少しでも達成できるように、念のために別の道も用意してある。


だけど、最近うんざりしてきた。やっぱり労働環境のなかの、人って重要だ。合わないひととやってくのって結構きつい。しかもその人が抑えつけるタイプの人で、上にいる場合は。


今は忍ぶときなのだろうか。心の中では色んな思いがよぎる。正直辞めようかなとも思ったりする。うんざりだから。でも、仕事がしばらく無くなるのを(別のスキルもあるから完全にはなくならないと思うけど)想定すると、仕事は続けておいたほうがよいような気もする。


でも、私は自分の目標に向かって突き進む。家族も友達も大切にするつもりだ。ベストな環境をあくなきまで探し続けることが大切だ。そして、疲れた時のためにも、貯蓄を用意しておくこと。


どうやったら効率よく稼げるか考えること。

エイズで苦しんでたパートナーを殺してしまったと告白した人がいた。某テレビ局のレポーターだ。

彼は、あまりの苦しみを見るに耐えなかったのだろう。


それが、善か悪なんて、わからない。

だって、誰も死が苦しみを伴った生より良いのかよくわからないからだ。


だけどその話を聞いて、彼は自分の信念に従って行動したんだって思った。

私が今の生活の大きな部分を占めている仕事において、自分の信念に従ったことができているだろうか?とてもそうとは感じられない。自分を捧げられるような仕事をしたいと思う。