前の記事「気づき」を書いた後、思った。


海外に生活していて、その国の言葉を使わなければならないノンネイティブのことを、現地の非国際人がどれほどの努力をしているか気づかず、半人前だと思うのも、2Dの見方だと思う。


ノンネイティブは努力してネイティブに近づくけど、完全にはネイティブにはなれない。これは、ネイティブが湖で浮き輪に乗って浮いているのと、ノンネイティブはアヒルのように必死に水面下で足をばたばたさせているからこそ浮いている違いにも似ている。


表面上は同じ「浮いてる」でも、内実は異なってる。


ノンネイティブは天才で初めて、言語以外の価値で、ネイティブを上回れるのではないか。言葉では競争できないのだろうか。問題は、言葉の正確さという面で競争するのではなく、何をどう言うかということもある。


ただ、言葉は記号的な側面もあるから、記号の使い方を間違えていれば、メッセージが汲み取りにくくなるのは確かだ。


言語っていうのは、世界に占めるウエイトが思った以上に大きい。もちろん、言葉にできるだけ頼らない数学って言う方法もあると思うけど、私はまだそれ以外の解決法も考えてる。