徳川慶喜(草彅剛)

 

青天を衝け」で草彅剛が好演している一橋慶喜

14代までの徳川将軍家とは遠い血縁とはいえ、徳川一門です。

その徳川家、清和源氏新田氏の末裔を称していますが、実際には室町幕府の政所執事を務めた伊勢氏の被官・松平氏(本姓・加茂氏)の子孫と言われています。

ゆうきまさみ著「新九郎、奔る!」に出てくる伊勢守家の家臣ということになります。

清和源氏、摂家、皇族で占められていた幕府の長たる征夷大将軍、徳川家が世襲することになり、名目はともかく実態は初めて崩れたことになります。

しかし、慶喜が征夷大将軍に就いたことにより、足利義昭以来約300年ぶりに清和源氏の流れを汲む征夷大将軍が復活したのです。

八幡太郎の名前で有名な源義家ですが、鎌倉将軍家(宗尊親王を除く)、足利将軍家、徳川慶喜と共通の先祖になります。

 

源義家(鎮守府将軍)

源義親(対馬守)

源為義(検非違使)

源義朝(左馬頭、初代鎌倉幕府将軍源頼朝の父)

坊門姫(一条能保室)

一条全子(西園寺公経室)

西園寺実氏(太政大臣)

西園寺姞子(後嵯峨天皇中宮)

後深草天皇(第89代天皇)

伏見天皇(第92代天皇)

後伏見天皇(第93代天皇)

光厳天皇(北朝1代天皇)

崇光天皇(北朝3代天皇)

伏見宮栄仁親王(伏見宮初代当主)

伏見宮貞成親王(伏見宮3代当主)

後花園天皇(第102代天皇)

後土御門天皇(第103代天皇)

後柏原天皇(第104代天皇)

後奈良天皇(第105代天皇)

正親町天皇(第106代天皇)

誠仁親王

後陽成天皇(第107代天皇)

後水尾天皇(第108代天皇)

霊元天皇(第112代天皇)

有栖川宮職仁親王(第5代有栖川宮当主)

有栖川宮織仁親王(第6代有栖川宮当主)

有栖川宮吉子女王(徳川斉昭正室)

徳川慶喜(第15代江戸幕府将軍、公爵、貴族院議員)

 

先週、禁門の変で雄々しい姿を見せた慶喜、清和源氏末裔という看板に偽りなしです。

そして征夷大将軍の歴史に幕を閉じたのも清和源氏末裔の慶喜、歴史の見えざる力が働いたのかもしれません。