人生まるごと、鍛えている。

人生まるごと、鍛えている。

会社経営20年。不動産・民泊・コーチング・トライアスロン・栄養管理・セルフケア。すべてを“生きた実験”として発信しています。

完走への
食事記録と
トレーニング日誌

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「浮くうんちは、腸からの“いいね!”だった。


(または)
「大人の体調管理は、うんちが教えてくれる。」




朝、トイレに行って思った。
あれ?今日もうんちが浮いてる。しかもスルッと出たし、匂いもきつくない。

こういう時って、なんか調子いい気がする。
でもそれって、気のせいじゃなかった。



ぼくは毎朝、ドテラのPBアシストとPBリストアを交互に飲んでる。
これがじわじわと効いてる感じがするんだ。

PBアシストは善玉菌(プロバイオティクス)
PBリストアは菌に加えて、酵母とエサ(プレバイオティクス)まで入ってる

腸の中に、菌とエサがそろってるってことは、
発酵が進む。
発酵が進むってことは、ガスも少し出る。
そして、それが“うんちが浮く”って現象になるらしい。



正直、うんちが浮くとか沈むとか、昔は気にしてなかった。
でも今は、それが「調子いいかどうかのサイン」だと、体が教えてくれる。

しかも、腸が整うと――
・朝がスッキリ起きれる
・肌の調子もいい
・睡眠が深くなる
・そして、性欲もちゃんとある



うんちって、ただの排泄じゃなくて、
**体からの“フィードバック”**だ。
それを毎日受け取れるって、実はすごいことかもしれない。

今日もまた、うんちが浮いた。
ぼくの腸は、ちゃんと動いてる。

そして、ちゃんと生きてる。



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あの、美しくて過酷で、どこか神聖な舞台にまた多くの挑戦者が立つ。

自分は今回は出場しない。
でも心はあの島に向いている。
なぜなら、自分にとって宮古島は、“絶対ムリ”を日々の積み重ねでひっくり返した、人生最大のパラダイムシフトの場所だったから。


かつての自分にとって、
フルマラソンすら遠い存在で、スイムはゼロスタート。
「トライアスロンなんて自分には無理」
そう思っていた。

でも、挑戦を始めて気づいた。
完走に必要なのは才能ではない。
“いまやれることをやる”
という選択の連続だった。


日本でロングのトライアスロンを完走する人は年間1,000〜1,500人程度。
全人口の0.001%ほど。
つまり約8万人に1人。

これは、Jリーガーやプロ野球選手と同じレベルの希少性。
でも、違うのは——
それが職業じゃなく、 
“生き方”によって選ばれる道だということ。


朝、まだ空が白む前に目を覚まし、
静かな街をひとりバイクで駆ける。
家族が起きる頃には汗をかき終え、朝食を用意することだってある。

日中は仕事に全力。
タスク、締切、家庭のこと、
あらゆる役割をこなす中で、
頭のどこかで「今日は夜にスイム、明日はランに切り替えよう」とか、
自分のペースを管理している。

夜、帰宅してからが本番。
疲れている。身体も重い。
でも、
そこからがプロジェクトの核心だ。

そこから、やれることをやる。
10km走ることもあれば、
腹筋10回の日もあった。

疲れた状態だからこそ、集中する。
残されたエネルギーをどう配分し、どこに一点投入するか。
それを判断できる自分がいた。

それはただの根性論ではない。
「今の状態から、最高のパフォーマンスを引き出す技術」。
となるのだ。

それは、ロングのトライアスロンでは、最大の武器となる。


そうして、“忙しいから無理”じゃなく、
“どうすればやれるか”を考え抜いてきた。

余裕がある人が完走するんじゃない。
余裕を「作り出せる人」だけが、完走できる。

それが、トライアスロンレースというフィールドの真実だと思う。


だから、今週末、宮古島に挑むあなたへ。
あなたは、もうすでに、ただの市民ランナーじゃない。

「人類の中でも、自分を進化させてきたごくわずかな存在」だ。

努力と工夫と日々の対話の結果、
あなたは自分の人生に本気で関わってきた。
その姿こそ、心から尊敬に値すると思っている。


どうか、思いきり楽しんで。
どうか、最後まで自分を信じて。

暑さも、風も、坂も、
それは
「今のあなたにしか吹かない困難」。

それすら楽しむあなたの一歩は、
きっと誰かの希望になる。

心からのエールを込めて。

ゴールでは、
人生最大の
雄叫びをあげろ!



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「うまくいかない…」
「なんでこんなに悩んでるんだろう」

そうやって立ち止まったとき、
私たちが抱えているその“悩み”の奥には、
たいてい「思い込み」が潜んでいる。

そしてそれは、自分でも気づかないうちに心の深いところに根づいていて、
知らず知らずのうちに、自分の選択肢や感情の自由を奪っていることがある。


民泊を建てたくて、姉に担保の協力を頼んだ。相続で、姉に土地の所有権が6%あり、それを担保提供してもらわないといけない。金額的価値は20万円くらい。担保が嫌なら、買い取るとまで、申し出た。
 どちらかの選択肢、なんなりとOKしてくれると思っていた。

でも断られた。

そのとき、私は無意識にこう思っていた。

「なんで邪魔するの?」
「家族なら協力してくれるはず!」
「なんで? なにが納得いかないの?」

姉の答えは
「なんとなく無理、絶対」

その思考の渦に飲まれて、眠れない夜を過ごした。
「もうダメだ」と、完全に思い込んでいた。



コーチングの問いがくれた視点

そんなとき、自分にコーチとして問いかけてみた。

「この悩みの奥には、どんな“思い込み”がある?」
「姉が断ったことと、自分の夢が終わることは、本当にイコール?」
「他に見えていない可能性は?」

問いを重ねていくうちに、ふっと気づいた。
ある前提が、私を縛っていただけだった。

思い込みがひとつ外れた瞬間、
心に風が通ったように、すごく静かで自由な感覚があった。



思い込みは、人生のOS

私たちは、親や学校、社会、過去の経験から
「こうすべき」「これが普通」「これが正しい」
という無数の“前提”を受け取って生きている。

たとえば:
• 人に迷惑をかけてはいけない
• 頼るのは弱いこと
• 苦労しないと成功しない
• 楽しまなきゃもったいない

どれも、最初は自分を守ってくれていたかもしれない。
でも、人生のフェーズが変わると、それは足かせになることもある。



思い込みが外れたあとの私

姉が担保を断ってくれたおかげで、私は気づいた。

「本当は、自分だけ力でやってみたかったんだ」

そう思えたとき、なぜか姉に感謝したくなった。

結局は、「会社の事業だから会社の、資産でやるべきだ」と思い込みがあったが、今回は会社の事業だけど、「自分の個人の資産を担保」にだせばいいじゃんって、気づいた。

あの夜の絶望の正体は、姉の言葉じゃなかった。
自分が握りしめていた“思い込み”だった。

自分の会社と、個人は、切り離してて会社を経営すべき!という、思い込みがそこにはあった。
 会社の経営で、家族、とくに子どもたちに迷惑をかけてはいけないという、考えが根底にあった。


悩みは、問いへの入り口

コーチングは、悩みを“解決”するものじゃない。
悩みの奥にある思い込みを見つけて、
それが今の自分に本当に必要かを問い直すもの。

もし今、悩んでいることがあるなら、
こんな問いを自分に投げかけてみてほしい。

「この悩みの裏に、どんな“前提”がある?」
「それは、いまの私に本当に必要なルール?」
「もっと自由に選べるとしたら、どんな選択をしたい?」



おわりに

思い込みは、
かつての自分を
守ってくれた“優しさ”でもある。
でも、
もう自分が成長したときには、
感謝して手放してもいい。

悩みは、
そんな「手放しのタイミング」を
教えてくれる。

そして、その奥にはいつも、
“もっと自由に生きたい”という願いが眠っている。

その願いに気づけたとき、
人生はすでに少し、
新しく動き出している。

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【身内の精神障害との付き合い方】

〜その波に呑まれず、自分を見失わないために〜

家族に精神障害のある人がいるという現実は、
時にとても静かで、誰にも気づかれずに、
じわじわと心を疲れさせていく。

身内だからこそ切れない関係。
でも、だからといって、なんでも受け止めなければいけないわけじゃない。
その境界線を、どこに引くか。
それが、家族と生きていくうえでの大きなテーマになる。



■「昨日はいいって言ったのに」──繰り返される翻意

精神疾患を抱える家族とのやりとりで、特にしんどいのが、
昨日の約束が今日になって覆る、ということ。

納得してくれたはずなのに、
翌朝には「やっぱり無理」「腑に落ちない」という言葉が返ってくる。

それを“嘘”とか“裏切り”と捉えてしまうと、こちらの心がもたない。
そうではなく、感情や思考が日によって変わる病の特性だと理解すること。
そこに“本人の悪意”を見出さないことが、第一のポイントだ。



■「全部抱えない」ことは、冷たさではなく、境界線の優しさ

身内が精神的に不安定な状態にあると、
「自分がなんとかしなきゃ」「支え続けなきゃ」という気持ちになりがちだ。

でも、それが長く続くと、今度は自分が壊れてしまう。

大事なのは、どこまでが自分の責任で、どこからは相手の課題なのかを見極めること。
その線を引くことが、実は“支える”ためにも必要な態度なのだ。



■「精神的に病んでいるほうが楽」──その視点に気づいたとき

これは決して軽く口にできることじゃないけれど、
精神的に病んでいる状態が、本人にとってある意味“ラク”な場所になっていることもある。

責任を逃れられる。人の関心を引きつけられる。変わらないでいられる。
そこに無意識の“メリット”がある限り、変化は起きづらい。

この構造を見抜いたとき、こちらができるのは、
「変わるかどうかは相手の選択」だと受け止めること。
そのうえで、自分はどう関わっていくのかを見直す必要がある。



■「見捨てない」けど「巻き込まれない」

精神障害を抱える家族との距離感は、この言葉に尽きるかもしれない。
• 見捨てない。完全に切り捨てない。
• でも、巻き込まれない。引きずられない。
• 相手の痛みは尊重するけれど、自分の人生も同じように大切にする。

その絶妙な距離を探すことが、家族として関わるための鍵になる。



■それでも、「自分の人生を生きる」

どんなに家族がしんどくても、
どんなに振り回されても、
結局は、自分が自分の人生を生きるしかない。

その姿勢こそが、最終的には周囲への一番のメッセージになる。

誰かの面倒を見るために生きるのではなく、
誰かを助けるために自分を犠牲にするのでもなく、
**「自分が本当に生きたい人生を生きる」**という選択。

そこからしか、本当の意味での支え合いは始まらない。



家族だから、全部背負わなくていい。
愛してるからこそ、手放していいこともある。
今日も、自分の人生の舵を、自分の手に戻そう。

テーマ:
**良識を持って正しい判断をし、健全な野心を抱き、固い決意をし、猛烈な努力をする。
ただし、常識にはとらわれない。**

ある本で出会ったこの言葉が、やけにしっくりきた。
「これまでの生き方、そのままだな」と静かに思った。

小学校の頃の友人からこんな言葉をかけられたことがある。
「お前は良識はあるけど、常識はないよな」
当時は少し驚いたが、今振り返れば、確かにそうだったと納得している。



■ 常識にはとらわれない —— 肩書きにしばられない働き方

一般的には、ひとつの仕事に専念するのが「常識」とされている。

しかし実際には、ネット通販、不動産、コーチングという異なるジャンルの仕事を横断しながら、自分のスタイルを築いてきた。

「そんなに同時にできるのか?」と疑問をもたれることもあるが、
そこに必要なのは“常識”ではなく、整った視点と優先順位の判断だ。



■ 良識を持って正しい判断をする —— 土台としての人間性

ここで言う“良識”とは、単なる知識や経験ではない。
その場にふさわしい判断を、自他を尊重しながら行う力。
周囲への影響を考慮しつつ、自分の軸を曲げずに選択できること。

たとえば複数の仕事を並行して進めるときも、すべてに丁寧な対応と誠実な姿勢を貫くことが求められる。
“正しい判断”とは、常に「どちらが効率的か」ではなく、「どちらがより本質的か」で選ばれてきた。

良識とは、人との関係性を大切にしながら、結果として未来に責任を持てる選択をする知恵。
それがこの生き方の土台になっている。



■ 健全な野心を抱く —— 沖縄での民泊プロジェクト

現在進めている沖縄での民泊事業は、「ただの宿泊施設をつくる」ことが目的ではない。

“ガジュマルの宿”をシンボルに、
“沖縄タイム”“サステナブル・ステイ”“隠れ家”といった要素を取り入れながら、
訪れる人の感性と身体感覚が整う空間をつくろうとしている。

それは「稼ぐため」ではなく、
新しい価値観に出会える“場”を生み出したいという野心であり、
その根底には、地域と調和し、自然と共生するビジョンがある。



■ 固い決意をし、猛烈な努力をする —— 身体と行動の一致

トライアスロンのトレーニング、マラソン、HIIT、日々のサプリ管理。
ビジネス、家族との時間、そしてコーチングの研鑽。
そのすべてを日々積み重ねている。

決意とは、何かを“始める”ことではなく、
やり抜くと決めたものに対して、毎日手をかけ続ける姿勢。

そして努力とは、他者に見せるものではなく、
自分との信頼関係を保ち続けるための行動だと捉えている。



■ 常識なんていらない。良識さえあればいい。

常識は「こうあるべき」という安心を与えてくれるが、
時に、目の前の可能性や直感を鈍らせる。

一方で、良識には自由がある。
状況を読み、相手を思い、自分の心を偽らずに行動する。
そこにはしなやかな強さがある。

良識を持って正しい判断をし、健全な野心を抱き、固い決意をし、猛烈な努力をする。
ただし、常識にはとらわれない。
この姿勢で進んでいけば、見える景色はきっと変わっていく
テーマ:

他人の成功体験なんて、あなたの人生には何の意味もない。
これは少し冷たく聞こえるかもしれない。けれど、それが現実だ。



■ 真似したところで、それは“あなた”じゃない

「この本を読んで人生が変わった」
「この習慣を始めたら成功した」
「このやり方が一番いいって、あの有名な人も言ってる」

そんな“たったひとつの成功例(サンプル1)”を、私たちはつい信じたくなる。


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でも、その人とあなたは、全然違う人間だ。
• 考え方も
• 生きてきた環境も
• 大切にしている価値観も
• 目指しているゴールも

まったく違う。
だから、“その人のやり方”が、“あなたの答え”であるはずがない。



■ なぜ、そんなにもサンプル1に惹かれてしまうのか?

それは人間が「不安」だからだ。
• 失敗したくない
• 遠回りしたくない
• 誰かの“正解”にすがって、安心したい

だから、“誰かがうまくいった方法”を「とりあえず信じてやってみる」ことがラクになる。

でも、それを繰り返しても、どこかでモヤモヤしている。
うまくいかないとき、自分を責める。
「やっぱり自分には無理だった」って。

それ、違う。
やり方が合ってなかったんじゃなくて、“そもそも他人の人生だった”だけ。



■ 必要なのは、“誰かの答え”ではなく“自分の問い”

コーチングの本質はここにある。

私はコーチとして、答えを教えない。
なぜなら、あなたの人生の答えは、あなたの中にしかないからだ。

代わりに問いかける。
• 本当はどうしたいの?
• どこに向かいたいの?
• 何を大切にしたいと思ってる?
• その選択は、あなた自身のもの?

自分の中にある“本音”をすくい上げ、
“他人の人生”ではなく“自分の人生”を、ちゃんと選ぶ。

そこにしか、本当の意味での変化も、満足も、自由も生まれない。



■ あなたの人生は、あなたのものだ

もう一度言う。

他人の成功体験なんて、あなたの人生には何の意味もない。

それを捨てて、
“自分の声”に耳をすます瞬間から、人生は動き出す。

だからこそ、私は問い続けたい。
「あなたは、どうしたいですか?」って。

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コーチングって、まだまだ日本では誤解されてる。



「コーチングしてる」と言いながら、実はアドバイスをしていたり。

「教えてください」と言われて、つい“正解”を伝えてしまったり。


なぜ、コーチングはティーチングと混同されるんだろう?

そして、なぜ、なかなか広まらないんだろう?

教えることが“正解”とされる文化

私たちの多くは、

「正しい答えを出すこと」

「教えてもらって、それを覚えること」

を評価されて育ってきた。


だから、「自分の中にある答えを探す」っていう行為そのものに、

慣れていないし、信じきれていないことがある。


「問いかけられる」より、「教えてもらう」方が安心だし、楽だし、早く成果が出るように見える。




上下関係が前提になっている社会構造


「教える人=上の立場」

「教わる人=下の立場」

という図式が根深く存在する中で、

コーチングのような“対等な関係”での関わりは、どこか頼りなく見えたり、曖昧に見えたりもする。


でも、人生の本質的な変化って、

「上から言われたこと」じゃなくて、

「自分で腑に落ちたこと」からしか始まらない。


それでも、コーチングを広めたい理由

私は、正解を渡すよりも、

**“その人が自分で人生のハンドルを握る瞬間”**に立ち会いたい。


その人の目が変わる瞬間、

声のトーンが変わる瞬間、

「私はこうしたいんだ」と言い出す瞬間。


その一瞬の“熱”に立ち会えるのが、コーチングの魅力だし、

その熱こそが、人生を動かしていく原動力になると信じている。



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いま、子どもを育てることにおいて、本当に必要なものは何だろう?

優しさや共感、包み込むような母性的な関わりが注目されるなかで、
僕はずっと感じてきた。
これからの日本社会って、どれだけ“父性”の力で子どもを育てられるかにかかっているんじゃないかって。

 


◆ 「信じて、任せて、支える」という父性

父性というと、厳しさやルール、時には威圧的なイメージを持たれることもあるかもしれない。
でも僕が大切にしたいのは、“信じて、任せて、支える”という新しい父性だ。

  • 信じる= 失敗を恐れず、その子の力を信頼すること

  • 任せる= 管理せず、自分で選ばせること

  • 支える= 答えを与えず、そばで見守ること

この3つの関わりこそが、子どもたちを「自立」と「自己信頼」へと導く力になる。


◆ 社会や教育が逆をやっている

残念ながら今の日本の社会や教育システムは、真逆の方向にある。

  • 最初から「できない前提」での過干渉

  • 失敗させないために自由を奪う指導

  • テストや評価によって動機づけする構造

それは、“恐れ”に基づいた支配であって、信頼に基づいた支えではない。


◆ 村上春樹と河合隼雄が描いた父性

この視点は、村上春樹や河合隼雄の著作にも通じる。
村上は、“父性の不在による喪失と回復”を物語で描き続け、
河合隼雄は、「日本は母性社会であり、そこに父性の“切断”が必要だ」と繰り返し語った。

彼らは、「子どもを守る」だけでは自立できないことを知っていた。
だからこそ、「子どもを切り離すことで支える」という、深い愛のあり方を示していた。


◆ 風の時代と“新しい父性”

そして今、時代は“風の時代”に入った。

  • 所有から共有へ

  • 指示から対話へ

  • コントロールから信頼へ

つまり、「目に見えないものが価値を持つ時代」だ。

この時代に求められるのは、古い父性(支配・命令)ではなく、
“風のような父性”= 軸を持ちながら自由に支える関わり方だと思う。

風は見えないけれど、すべてを動かす。
そういう存在でありたいし、そういう存在が、これからの社会に必要とされていくはずだ。


◆ 僕がまず届けたい相手

それは、僕の4人の子どもたち。
優秀で、可愛くて、かけがえのない存在。

彼らに、ただ「正しいこと」を教えるのではなく、
「信じて、任せて、支える」父性を、毎日の関わりの中で伝えていきたい。

そして、そんな関わりが、彼らの未来だけじゃなく、
やがて社会全体をあたたかく変えていくと信じている。

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現代のAIは、人間の思考をサポートする強力なツールとなっている。特にChatGPTは、問いを生み出し、思考を整理する能力に長けている。しかし、コーチングにおいては、AIにはできず、人間だからこそできる領域が確かに存在する。では、ChatGPT以上のコーチングをするためには何が必要か?

本記事では、AIを超えるコーチングの要素を探求する。


1. 身体感覚を極める

AIはロジックで問いを生み出せるが、人間は「身体の感覚」から問いを生み出せる。

身体感覚を活かしたコーチングとは?

  • クライアントの「呼吸の変化」「姿勢」「声のトーン」など、言葉にならない微細な変化をキャッチする。

  • 自分自身の身体感覚を研ぎ澄ませることで、問いを直感的に生み出せる。

具体的な鍛え方

  • ボディスキャン:自分の身体の感覚に意識を向けることで、微細な変化に気づく力を高める。

  • 目を閉じた状態でのバランストレーニング:直感力を鍛える。

  • クライアントの身体の反応にフォーカスしながらセッションを行う


2. エネルギーの流れを感じながら対話する

コーチングは、単なる「言葉のやり取り」ではなく、エネルギーの交流でもある。

エネルギーを感じるとは?

  • クライアントの発する言葉だけでなく、その場の「空気感」や「流れ」を読む。

  • 自分自身のエネルギーを整えることで、より深いセッションが可能になる。

具体的な鍛え方

  • セッション前の呼吸法や瞑想:エネルギーの質を高める。

  • 対話の「間(ま)」を意識する:言葉を詰めすぎず、流れを感じながら問いを投げる。

  • クライアントの言葉だけでなく、全体の雰囲気から次の問いを決める


3. リアルなフィードバックを活かして進化する

AIは理論的な問いを生み出すが、リアルなフィードバックを受け取って進化するのは、人間にしかできない。

フィードバックを活かすとは?

  • クライアントの反応を見て、「問いが響いたかどうか?」を即座に判断し、次の問いを調整する。

  • 実際の行動を通じてクライアントがどう変化したかを観察し、それを元にコーチ自身も学びを深める。

具体的な鍛え方

  • セッション後に、クライアントのフィードバックをもとに問いの質を分析する

  • クライアントの表情・姿勢・言葉のトーンの変化を記録し、振り返る習慣を持つ

  • 問いを実験し、リアルな反応から学び続ける


結論:「経験」だけではなく、経験の活かし方が鍵!

ChatGPT以上のコーチングをするには、単に経験を積むだけではなく、

  • 身体感覚を研ぎ澄まし、非言語の情報をキャッチする

  • 場のエネルギーを読み取り、流れを作る

  • クライアントのリアルなフィードバックを受け、問いの質を進化させる

この3つの要素を磨くことで、AIにはできない「人間にしかできないコーチング」が可能になる。

あなたは、どの要素をまず鍛えていく?

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はじめに

「自己愛性の人」と聞くと、どんなイメージを持つだろうか?

・やたらと自信満々 ・人を見下したり、マウントを取る ・でも、実は脆くて傷つきやすい

こんな特徴を持つ自己愛性の人たちは、最終的に孤立し、病気になり、成長のないまま人生を終えてしまうことが多い。でも、彼らと同じ道をたどらないためにはどうすればいいのか?

この記事では、自己愛性の人の「バカな生き方」とは何か? そして、その道を避け、賢く生きる方法は何か? について深掘りしていく。


1. 本当の「バカ」とは?

自己愛性の人を見て「バカだな…」と思うことがある。なぜなら、彼らは次のような特徴を持っているからだ。

① 学ばない

普通の人は、失敗したら「次はこうしよう」と学ぶ。しかし、自己愛性の人は「俺は間違っていない」と思い込むため、同じミスを何度も繰り返す

📝 例 ・仕事でトラブルを起こしても、「俺は悪くない」と思い続ける ・恋愛で振られても、「相手が悪かった」と考え、また同じ行動をする

👉 「自分の行動を振り返らない=バカ」

② 自己満足の世界に生きている

自己愛性の人は「俺はすごい」と思い込んでいるが、実際には誰もそう思っていない。

📝 例 ・周囲に嫌われているのに、「俺はカリスマだ」と思っている ・本当は仕事ができないのに、「俺がいないと会社は回らない」と勘違い

👉 「現実を見ずに、自分の世界に閉じこもる=バカ」

③ 他人を利用しようとして、最終的に孤立する

自己愛性の人は他人を利用するが、最終的には誰も近寄らなくなる。

📝 例 ・職場で偉そうにしていたが、気づけば孤立 ・恋愛でもマウントを取るけど、長続きせず何度も振られる

👉 「最終的に誰もいなくなる=バカ」


2. 自己愛性の人は病気にならないのか?

結論から言うと、自己愛性の人も病気になるが、「自分のせい」とは認めない

① ストレス性の病気

・高血圧(常に他人と戦おうとするため) ・心臓病、脳卒中(過剰なストレスでダメージ) ・胃潰瘍(怒りや不安を抱えやすい)

👉 でも、本人は「体質のせい」と思い込む

② うつ病・適応障害

・「俺はすごい」という幻想が崩れると、急に無気力になる ・仕事や人間関係が崩壊したとき、何もできなくなる

👉 でも、本人は「周りが悪い」と責任転嫁する

③ アルコール・薬物依存

・「自分はすごい」と思えなくなると、現実逃避するために酒や薬に依存する

👉 でも、本人は「ただ酒が好きなだけ」と言い訳する

④ 老後に認知症リスクが高まる

・人間関係が築けないので孤立しやすい ・「自分のやり方を変えられない」ため、脳の柔軟性がなくなる

👉 昔の栄光を語るが、誰も聞いてくれない…


3. こうならないためにできること

「自己愛性のバカな生き方」を避けるには、次のことを意識すればいい。

✅ 1. 自分を客観視する

「俺は正しい!」と思い込まず、「もしかしてズレてる?」と考える。

📝 やるべきこと ・「自分は冷静に判断できているか?」と自問する ・「もし俺が間違っていたら、どこだろう?」と考える

👉 「絶対に俺が正しい」と思わないことが大事!

✅ 2. 成長を目的にする

「他人に勝つ」よりも「昨日の自分より成長する」ことを意識する。

📝 やるべきこと ・「昨日より何かを学んだか?」を考える ・「勝ち負けではなく、成長を楽しむ」

👉 「俺はまだまだ学べる」と思うことが賢い生き方!

✅ 3. 人との関係を大切にする

他人を利用するのではなく、**「お互いに良い影響を与える関係」**を築く。

📝 やるべきこと ・「この人と一緒にいることで、お互いに成長できているか?」を考える ・「相手の良いところを認める」

👉 「人を支配するのではなく、尊重する」ことが大切!

✅ 4. 素直に生きる

「完璧な自分」を演じるのではなく、「弱さも認める」

📝 やるべきこと ・「できないことはできないと言っていい」と思う ・「弱さを見せても、信頼はなくならない」

👉 「強がらずに、ありのままで生きる」方が信頼される!


まとめ

自己愛性の人は「バカな生き方」をして、最終的に孤立し、成長のないまま終わってしまう。

でも、 ✅ 「自分はまだまだ成長できる」と思うこと ✅ 「他人を大切にすること」 ✅ 「弱さを隠さず、素直に生きること」

これらを意識すれば、自己愛性の「バカな最期」にはならない。

結局、ずっと学び続けることが、賢く生きる秘訣なのだ。