御由緒 当社は八幡大神と称し、第29代欽明天皇12年(西暦551年)以前に

 

既にこの地に祀られたもので、明和3年(西暦1766年)4月八幡宮、三島明神、

 

氷川明神が合祀せられ、安永5年(西暦1776年)に小浜志摩守が当地の地頭となり

 

新たに東照宮を勧請して相殿にし、信仰も深まり土地等が寄進せられた。

 

 

 

 

明治維新までは氏子内滝頭町の密蔵院が別当職たり。

 

明治3年(西暦1870年)今の堀割川は八幡川と称し、巾5.4米なりしを巾30米となり、

 

社殿の移転と共に明治5年現在の社殿が新築せられた。

 

 爾来村人等の崇敬特に篤く、明治6年12月村社に列せられ、明治29年1月20日

 

八幡大神を八幡神社と改称せられ、大正7年(西暦1918年)に社殿、玉垣等の大営繕も成りしが、

 

大正12年9月の大震災のため社殿等は倒壊せり。

 

依って氏子一同相計って社殿、玉垣、鳥居の復旧と共に神楽殿、社務所、獅子、灯籠、

 

手水屋、神輿庫、社号碑、記念碑等も新設せられ、ために面目一新し、

 

大正15年8月27日神饌共進指定社となり現在に至る。

 

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