日本人は


昔から目に見えるものは


何でも信仰の対象に


してきた


山であり


川であり


森であり


田畑であり


井戸であり


岩であり


空であり


雲であり


お月様であり


お日様であり


畏怖と尊敬の思いで


これらのものを


神として


崇めてきた


日本人の


心象は


入るものは拒まず


出るものは拒まず


何でも素直に受け入れ


取り入れてきたし


他に譲ることにも


愛情を持って


接してきた


この日本人の心情は



たぶんに国土の四季と


環境に根差しているような気がする


外国にはない


禅譲の精神…外国ではシェアするというそうだけど


日本人のそれは


ちょっとニァンスが 違うような気がする



人の手の入らない場所


精霊が住むというけれど


小動物や鳥の鳴き声とは


明らかに違う


重厚な気配がする・・・


森それ自体が


一つの精神体


一つの知性を持っている・・・


そんな気配がする


森を歩くと


何かに包みこまれるような


安堵感と


緊迫感とを


同時に感じる


神域…神の住まい


も たぶん こんな森が


土台に あるような気がする


感じるものが


良く似ている


木々は意志を持っている


それが集合して


一つの知性を持つ


考えられないことではない


たかが何千年の人の歴史に比べ


森はその何倍もの時間を


過ごしてきた


自然とは恐れ敬うもの


たかが何千年の人の文化が


自然をコントロールなど


出来るはずもない


森は人間によって痛めつけられて入るけれど


人が滅びた後も


生き続けることだろう


敬い祈ることを


人は 忘れてはいけない


日本人の人生観を


もう少し考え直してみないですか・・・森 それは人のパートナー