映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク4Kデジタルリマスター版』公式サイト (shochiku.co.jp)
もう、今を見逃すと、この映画は劇場で見られなくなるんですって。
ぜひぜひ未視聴の方は、鬱映画だとかそういう評判に踊らされず、見てほしい。
なぜなら、ビョークすげえ!って単純にそう思うと思うから。
もちろん、映画全体が凄くしんどい流れなのは間違いないんだけれどさ。
ビョーク演じる盲目のシングルマザー セルマの生き方には、心が打ち震えるのではないだろうか、と。
2000年に公開されたようだけど、私はおそらく、2001年にDVDが発売されて、そこで初めて映像を見たのではないか と記憶しています。
つまり、当時私は劇場で見なかった と、思われる。
多分。
当時を思い返すと。
働き始めてる年齢で、学生時代からライブとか行ったら感想を紙にログしてパンフレットなんかに挟んでいたと思うんだけど、
そういった記述したものがない。残念ながら。
劇場で見なかった理由も特に思い出せないけど、なんとなくの記憶の中で。
まず、脚本の書籍を読んで、号泣したような記憶。
そしてDVDを買って、さらに号泣って感じで・・・。
ビョークのCDはすでに“デビュー”や“ポスト”、“ホモジェニック”を持っていたと思うんだけど、こっからさらにビョークが私の中で頂点に達したんだと思う。
そして次作のアルバム“ヴェスパタイン”に臨む際にも、もう女優業はこれで最後、私に音楽が作れる時間はあと50年しかない みたいなこと言っちゃって。ズギャーン!!って、もう、この人の価値観すべてが別世界だから、ずっと見ていなきゃいけないと思わせられたんだよね。
そんなこと言って、映画出たんでしょ?(笑)
タイトルは『The Northman』。
しかもビョークの役は、スラブ民族の魔女!と言われても何なのかよく分からないが、でもとにかく面白そう。
作品の内容はまだ詳しく発表されていないが、分かっているのはバイキングの復讐劇で、10世紀のアイスランドが舞台。監督とともにアイスランドの作家Sjónが脚本を手がけている。Sjónは、ビョークとは『Post』の“Isobel”以来、『Biophillia』の“Cosmogonyl” 、“Virusl”、“Solsticel”にいたるまでコンスタントにコラボしている人物。それがきっかけでビョークも出演することになったのかもしれない。
この映画の出演者がとにかく豪華で、ニコール・キッドマンが女王役。他にアレクサンダー・スカルスガルドや『The Lighthouse』のウィレム・デフォー、『ウィッチ』のケイト・ディッキーなど。
↑記事抜粋。
めっちゃ気になる~。
ずっと一緒に仕事してた人なら、ぜひビョークに演じてほしいって、頼み込まれたのかもね。
さてさて、今回はダンサー ~の方を話題にしてるのでまた本題に戻る。
おなじみのネタバレありありでのログです。ご注意ください。
つまり、私は劇場でダンサー ~を見ていないので、今回が初だし、そして劇場で見られるラストチャンスだった というわけです。
DVD持ってるから、定期的に見てはいたんだよね。脚本も何度かは読み返して。
私が映画を複数回見るってよっぽどだよ。ほとんど面白いと思った映画2回も見ていないもの。
現在、陽酉は、仕事が理不尽に忙しくて。今年は去年よりめちゃくちゃメンタルやられてる状態。
入社した時はもう、本当に本当に感謝してたんだけどね・・・今じゃディスってる時間のほうが長くなってしまった。
この荒んだ心になんとか衝撃を!っていう感じで、公開されるや即チケットゲット。
劇場に行くと、全然席は空いていて笑 そんな必死にチケットとるでもなかったな と思った。
見終わって思ったのは。
ビョーク、やっぱすげえ。本当にすげえよ・・・。っていう。
いやー、最後に見たのいつだろう?4年、5年は見てなかったかな、もしかして。
ビョークのライブにも奇跡てきに2回も行ってるわけだけれど。
こう、劇場で大画面で、大音量でビョークを堪能した。
それだけで、感情が爆発した。
フィッシュマンズのドキュメント映画見たばっかだけどさ、あれも、ライブ映像が出るたびにうわって、こらえきれない感情がこぼれたんだけどさ。
ビョークはさらにその上を行く。
まず、Overtureで、ビョークの音楽の才能を思い返す。
オーケストラバージョンでThe next-to-lastsongを聴くだけで、ラストシーンを思い出してうるうるする。
メロディーラインが本当に好き。
現実で、あの場面で、命がまさに断絶してしまう瞬間、息子のジーンを想って歌った最後から2番目の歌。
Overture=序曲になることで、ループ・・・とも違うんだけれど、「不幸」だとか、「悲劇」だとかが消え去って、ただの美しい音楽になるんだよね。
この曲を3バージョンにして、最初と最後から2番目とエンドロールにしたのは天才としか言えない、私には。
そして、物語は始まる。
アマチュアの舞台で練習をするセルマのあどけなさ。無垢な言動を大画面で見て。改めて子供がいるように見えない としみじみ。
ビョークなのか演じてるセルマなのかもあやふやになる。
実際のビョークもけっこう若いころにシンドリ君生んでるし(最近ちょろっと残念な話題を見てしまったけれど、そっくりだよね笑)シングルマザー期間があったわけで、なんとなくセルマとかぶせようと思えばかぶせられるって感じかな。
それ以外の生い立ちはまるで違うけれど。
1965年生まれのビョークは撮影当時で34、5歳なので、あの眼差しを見るともっと若く見えるよね、若くっていうか幼く。
練習シーンのマイフェイバリットシングスを歌う歌声、ヤバくない?
唯一無二の歌声だよ・・・ゾクッとしたわ。
そして物語が進んで、ついにミュージカルシーン=セルマが現実から妄想の世界にうつる時が来た。
クヴァルダ を歌うシーンで涙腺が崩壊笑
カトリーヌドヌーヴがまた素敵な演技なんだ。改めてそう思った。
親切すぎるくらい親切なキャシー。
セルマは本当にキャシーが大好きなんだなってわかる。
だから、あんなに好き好きって態度見せられたら、そりゃキャサリンもつい世話焼いちゃうよね、困りながらも。
パッと見は、正直お友達に見えない二人だけれど、そこがまたいびつでリアルというか。
キャシーだって、指輪はしてるから結婚はしてるみたいだけれど、工場で働くってことはそんなに裕福でもないよう。
目の障害を持っていて、シングルマザーで移民で、自分よりも大変な境遇の愛らしい仕事仲間をできる限りフォローしようっていう気持ちはとても温かくて切ない。
この物語のメインとなる中盤。
「目が見えないのか?」とジェフからの問いかけに。
「見るべきものなんて、ある?」
セルマは眼鏡を投げ捨ててアイハブシーンイットオールが始まる。
キャシー同様、心優しいジェフの気持ちを気遣いながらもセルマは「今一番の望み」以外は「見ないように」している。
歌詞もとてもいい。
・・・当時私も急激に視力が落ちて、いろいろとメンタルもやられ続けていたから。
この歌詞で「確かにもう見るもんないな・・」と、自殺願望に相乗効果をもたらしてた。
なので、ダンサー ~の楽曲の中で、この曲が一番キツイ。私の中では。
この中盤のシーンがあることで、ああ、頭の弱い、妄想癖のある可哀そうな中年女性ってだけじゃなかったんだな。
彼女には彼女の覚悟があって、生きているんだな とハッとさせられる。
だから、本当はネガティブにこの歌を感じるのではなく、生きるために見ることよりも大切なものを選ぶ、自分を鼓舞するような歌でもあるわけで。
私が感じてしまうような歌ではないということだ。
そして一気に運命が彼女に試練を与える。
あっという間に重犯罪者として死刑になってしまうセルマ。
今までの振る舞いがすべて彼女を不利にする。ああ、辛い。
義理堅く、秘密を守ってしまう、そこに後悔もないんだろうな。
キャシーとの面会、ジェフとの面会。
この時にはすでに鼻水が止まらなくなって、なるべく音が響かないようにしなくちゃいけなくてヤバかった。
ジェフはなんで、あんなこと聞いちゃったんだろう。
「なぜジーンを生んだ?目の病気が遺伝するとわかっていたのに?」
「赤ちゃんを抱きたかったの。この腕に。」
セルマの背景はチェコからの移民ということしかわからず、どういう恋愛をして、ジーンを身ごもったのかはまったく不明。
パンフレットを読んでも、そのことには触れられていない。
当時も思ってたんだけど、アイハブシーン ~の中の歌詞、
「一人の男が親友に殺されるのも」
「たくさんの命が輝く前に砕け散ってしまう」
「過去の自分も見たし」
一節目でこの歌詞が出てくるんだけど、それって、セルマの夫のことなのかな?って。
だからシングルマザーなのかなって。
知らんけど。
だから、この子だけは、育てたいって思ったのかなって。
あえてラブシーンを一切排除した映画なだけに、想像しにくいところではある。
フォントリアー監督は、マリア様のような存在にしたかったんだろうってどこかのレビューで見た気がする。
母が息子を盲目的に愛する。そこに父親の影が見えなくすることで、さらに母という存在の大きさを膨らませてる気がする。
クライマックスの107ステップ。
これがそのマリア様的な神がかった人物をさらに高めるシーン。
囚人たち一人一人に慈しみを振りまいて、囚人たちは穏やかな表情を浮かべる。
セルマの妄想という世界の中で、犯罪者たちはすべて許されている謎の心理。
自分は死刑台に進んでいるのに、どうして犯罪者たちに愛?慈悲?を振りまいたんだろう。
歌詞は107ステップなわけで、カウントしかしていないのに、とてもドラマティックで美しいシーン。
大画面で、大音量で見ることで、すごく心に響いた。
ラストシーン。
先に述べたけれど、息子ジーンを想って妄想ではなく現実世界で伸びやかな歌声を披露するセルマ。
それまで気を失いかけては声を張り上げて恐怖に怯えていたはずなのに。
ビョーク、すげえよ。この高低差を演じられるなんて。まさにセルマが一体化していた。
死刑台の床が外れてセルマが宙づりになり。
係官がカーテンを引く。
・・・まるで、舞台の幕が閉じるかのように。
現実で歌ったセルマは、「最期」を「演じた」舞台女優だったんだ。
だから、やっぱりこのお話しは、悲しむ必要なんて、ないんだ。
「私たちがそうさせない限り 最後の歌には ならないのよ」
恐怖に愛の力で打ち勝ったセルマの物語は。
決して鬱映画なんかじゃない。
これでもかと悲しい出来事が襲い掛かるけれど、それでも、自分のしたかったことを、達成した素晴らしい人だった。
ジーンは、自分の目と引き換えに、たった一人の血縁者かつ母親という存在を失ってしまった。
彼は、不幸なのだろうか。
警官殺しの死刑囚の息子という存在で生きることは、辛くないだろうか。
あくまでも、セルマは自分に正直に生きた。正直に、生きすぎた。
この物語はセルマの物語だから。
息子のその後に関しては、不明。。。
愛って、難しいね。
ビョークすごいってことしかこれまで思っていなかったけれど、久しぶりに見て、ジーンのことを考える。
また数年経って、DVD見るかな。
見たとき、今度はどんな風に思うだろう。
20年越しにパンフレット買った。