
ケビン・メア氏をご存知だろうか。
元沖縄駐在大使で、「沖縄は、ゆすりの名人」と講演会で発言したと新聞にすっぱ抜かれ、国務省日本部長を更迭された外交官だ。国務省きっての日本通と言われ、奥さんは日本人、子供が二人、日本語を流暢に話し、日本の文化をよく知る人物として、長く沖縄の米軍基地問題にたずわってきた人だ。
冒頭から、「あの記事はデタラメであり、根拠は薄弱。国務省内で学生相手に講演した内容を、学生のメモから再現し、記事にされた」と反論を試みる。その記事が書かれるまでのプロセスを追跡してみると、在ワシントンの反基地運動の女性弁護士が浮かび上がる。また、その講義を受けたアメリカン大学の学生達は、日本滞在中に記者の自宅に滞在していたりと、反基地運動グループの仕掛けた罠に嵌ったと説明している。
次章では、この記事により一度は国務省を去ろうとした氏が、3.11の大災害により、米軍と自衛隊による「トモダチ作戦」のロジスティクス担当として、タスクフォースで働くことになった。その時に、実際にみた日本の政府、内閣、政治家の決断できない実態や、事態を把握できずに右往左往する様が暴かれる。例えば、原発事故が明らかになったとき、メア氏の元に届いた東電からの依頼は、「真水を運べないか」というものだった。つまり、まだ原発を事故後も利用しようとする前提での依頼であり、事態はそれ以上に深刻であることは、明らかだった。このような拙劣な事故対応に対して、駐日大使を呼び出した事など、内部の人間でなければ分からないことが書かれている。
そして、彼は「失言王」と呼ばれる程、多くの失言をしたと日本のマスコミに叩かれたことについて、一つ一つの「失言」について解説が始まる。
もちろん、発言の後に「あれはこういう意味であった」とか、「こういう意味ではなかった」という説明は当然あるものとは思うが、彼の発言一つ一つをみてみると、本当に親日派で、日本人を良く知るアメリカ人であるのか、少々疑問が残った。それら取り上げられた発言は、彼自身が選び、彼自身が自著に書いていることだから、真実だという前提に立てば、彼の発言はアメリカ側の発言であり、それは論理的に正しいのだとしても、日本、いや日本人には日本人の論理があるはずだ。一元的に、「私は正しい。安保とはこういうものであり、これはこういう風に運用されるのだ」と言ったところで、日本人には響かないし、外国人であるが故の、日本語におけるニュアンスの誤解、用語の誤用が見られる。
普天間基地は、元々広大な広場に作られたもので、航空機の離着陸や、訓練が前提になっていたもの。その周辺に住宅建設を許し、人々が住み始め、結果として基地は、住宅地の中心に位置するようになったのだ。この実態は、大阪伊丹空港や、福岡空港と同じであり、民間空港に比べると基地の離着陸は遥かに回数が少なく、その意味でより安全であるのだというのは、どんなもんだろうか。民間航空機と軍用航空機ではそもそも設計しそうが違っているはず。現実にヘリが大学のキャンパスに墜落する事故も発生している。それもこれも、全てをアップルで比較できる訳がない。
安保条約の内容、日米同盟の考え方(あくまでアメリカの)は興味深く読めたが、結局の所、日本が大好きなアメリカ人が、日本人に嫌われたという嘆きや言い訳が延々と続いているだけだと思った。
同時に、自民党時代の政治家や総理、内閣がいかにアメリカと向かいあってきたのか、民主党が政権を取って全てがスクラッチに戻ってしまったが、実態も問題も本質的には変わっていない。変わったのは、新しく政権についた者達の問題認識と決断力だと言っている。長期政権が続いた日本。それを前提としたアメリカの同盟政策。アメリカでは根本的に制度が違うため、大統領選挙の度に政権政党が変わるというのは当たり前で、行政や官僚の側も変化に慣れている。しかし日本では不慣れな為に、官僚を無視した政治主導がマニフェストに書かれたりする度に、アメリカ政府は翻弄され、これまでの継続討議も根本からやり直しになったり、焦燥感が非常によく理解できる。
この本は何かと、結論づけるつもりは全くないが、日本人を理解できなかった日本好きのアメリカ人が、アメリカの立場から書いた、日本論といったような感じか。
日本の政治家は、決断できるかというと、できない。ドジョウじゃもっとできない。彼が言うように、小泉純一郎だけが、唯一日本の政治家で決断をできる人物だったというのは、当たっているのかもしれない。
もう一つ。戦術的観点からみた、中国の存在について、彼は警鐘を鳴らしている。僕は個人的に、民主党の中国、韓国寄りの政治姿勢には、疑問を抱いている。中でも、「中国との関係強化は、アメリカへの抑止力になる」と発言した民主党議員には、呆れて物が言えないと思っている。
へぇ、そうだんたんだ?と思いながら読むならそれでよし。時間つぶしの一冊だな。