今日は、特に変わった事は有りません。
そう言う日が、やっと来た様な気がします。
もちろん、細かい事では、色々有りますが、このテーマに関しては、今日は一日平和に過ごせました(ちょっと大袈裟ですかね?)。
大体一日に一つは、何か起きていた様な気がしますが、朝起きて、仕事へ行って、帰って来る。
ついこの間まで、この循環さえも、辛くて、苦しくて、逃げ出したくて、どうしようもない気持ちと、それとは相反する仕事へのこだわり、病気に対する立ち向かう為の知識の会得、何よりも負けまいと思う気持ちを持つ、そういう日々を5年近く過ごして来ました。
特別今日気付いたと言う訳では無いのですが、改めてここへ何を書こうかと思った時、上記な様な事を思った訳なのです。
病気発症から5年では有りますが、”うつ病”と判ってから、この病気と最終決戦へと入ったのは、丁度一年前の夏の始まりの頃でした。そう考えると、娘の成長も早いとは思いますが、自分が闘ってきた日々の過ぎるのも、早い月日が経った様な気がします。
特に”原因不明な頭痛”で、今の病気と闘い始め、原因究明の為にして来た事の時間と手段の多さ、そして、もがいて働いて、2回も頭痛を原因とした休職。
頭痛の原因が”うつ病”だと判ってからの、頭痛から解放される早さと、それに伴う休職を2ヶ月しましたが、約1/3は、社会復帰に向けたリハビリをしていたので、頭痛の時と違って、ある程度出口が判っているせいか、はたまた原因が判ったと言う気持ちの安堵で、早々と終わった気がします。
社会復帰してからは、徐々にペースを上げながら、仕事の負荷を増やしていくのですが、その後に起きた様々な出来事が、更に時を短く感じさせたと思っています。そこで良い意味でも悪い意味でも、自分のことの見つめ直しになり、自分の欠点での異動が有りと、調子が上がって来ると、必要と今までして来た薬が、体が「もう要らない」と、言うが如く起きた強く出た副作用に悩まされたりと、本当に毎日、ネタに事欠かなかった様な気がします。
しかし、治癒へと向かっているので有れば、何でも無い日が現れて来ても良いのですよね?
それが、間違い無く完治への道へと歩んでいるからだと思いたいからです。
まだ、そういう”完治”に対する絶対的な自信が持てる程、自分は良くなっていると言う証しを見つけられていないのかも知れません。と、言うよりも、何でも無い事が”普通”で有ると言う事が、当り前で無かったからこそ思う事なのでしょうか?
一つ間違い無く判っている事は、5年前の自分と、今の自分は、もう違う生き方や考え方をする人間になった事だと思います。それは、この”うつ病”にならなければ、気付けなかった事がたくさん有るからです。
この事は、何度も書いて来たので割愛しますが、それが今、大きな支えになって来ている様な気がします。
もしかすると、この答えを探す必要は無いのかも知れません。それは今、間違い無く自分は、”今を生きている”と言う事だからだと思います。それが答えなのかも知れません。
そして、間違い無く明日は訪れるでしょう。