幼い頃から 私はとても不安にまみれた状態で生きていました。

そんな、定型発達者…であった、はず…の私。


二十歳を過ぎてからの 医師からの疑問。
思い出される点を、母からの話も交えて 順をおって書き出してみようと思います。







赤ちゃん時代


・祖母に「宇津救命丸」を勧められるような、かんの強さがありました。

・離乳食の好き嫌いは無し。

・歩き始めたのは1歳。ハイハイをしませんでした(おしりをついて這っていた)

・お喋りは早め 1歳半頃に会話が可能に。
  独り言ではなくキャッチボールができました。



幼児期

・とにかく何にでも興味津々。特技は「あれはなに?」攻撃

・3歳2ヶ月、弟が誕生。
  この時母実家(前述の祖母)宅に預けられていたけれど、良い子だったそう(分離不安は無かった)。

・この頃からかなりの人見知り、恥ずかしがり屋に。
  幼児教室に行ってもテーブルの下に突撃し、そこから出ようとしないなど、とにかく人と顔を合わせることを恥ずかしがりました。

・幼稚園でも、入園後しばらく、先生の側から離れられないことが。
  気の強い子に引っ張られる形で遊べるようになりました。

・自家中毒にかかりました。

・ものを片付けられなくてよく叱られます。
  自分のまわりに好きなものを並べていると満たされた気持ちになれました。

・(今考えると驚きだけれど)食べることにあまり関心がもてませんでした。
  お弁当はいつも、最後までポツンと残って食べるタイプ…。

・天井のシミを見て、「あれはビル…あそこに道路が通っていて…ここは山」とひとつの街を見立てて遊んだり、とにかく見たものを別のものに変換して妄想することが好きでした。

・幼稚園の絵本の読み聞かせが嫌いでした。
  自分のペースで好きな本を読みたかったのです。
  ひらがなを読み書きできるようになったのは3歳頃。



学童期

・低学年のうちは、勉強はよくできました。(中学年から不登校なので、成績はつかず。)

・言われる前に相手の言いたいことがわかる感じがありました。人の役に立つことが好き。

・八方美人で、誰からも嫌われたくなかったです。誰からも好かれたくて必死。

・給食がはじまり、よく食べるようになります。
  食べられないものはこの頃から一貫して、極端に固い肉、肉の脂身、きのこ類。

・2年生の通信簿に「いい子すぎます。もっと自分を出してあげたい」と書かれていました(これは私はあとから知りました)。
  担任からは、そういう意味で目を掛けられていたようです。

・「オエッ」となることがありました。
  学校に行きたくない何かしらの理由がある時や、親に叱られた時など…

・母が短時間のパートを始めたので、土曜日や夏休みなどは幼稚園児の弟と留守番をしていました。
  弟はよく吐く子で、身辺自立もあまりできていなかったので「お尻拭いて」など言われるのが嫌でした…
  そして母が帰宅すると、なぜ宿題を終わらせていないのかと叱られました。

・小学3年生の夏休み明け、学校に行って下校しようとした時に動けなくなりました。人生初の、パニック発作でした。

・なぜか「気持ちが悪くなると言っても信じてもらえない」と思い込み、誰にもどうして学校に行けないのか言えませんでした。

・学校に行かなければ気持ち悪くならない、と子どもの私は思いましたが、そのうちスーパーでも、家でも、発作が起きるようになりました。

・小学4年生のとき、一日中「息を吸って…大丈夫、そうしたら5秒はオエッてならないから、ゆっくり吐いて…」と繰り返していた頃。
  はじめて死を意識しました。





・高校2年生で、一度は寛解に近い状態だったパニック障害が再発し、うつ状態が続き、食事ができなくなりクリニックを受診しました。