ここでは無いどこかに幸せを求めるようになったのは、いつからだったのだろう?



3歳頃からの1年間
それまで、外に出れば誰かしら友達がいた環境から、近所に子どもの全くいない新潟に転勤になったあの頃

断片的に残っている記憶では
いつも暇を持て余していました。
(子どもなのに!)
時々遊んでくれる、子どものいない夫婦の家に行くのを楽しみにしていたな😊

私の母親は、子どもと遊ぶのが苦手で
洋裁ばかりしていたので
(お陰で、カワイイ服は着せてもらえていました)
母と遊んだ記憶が皆無です。

あの頃に、種は生まれたのだろうか?

やっと元の家に帰って来たと思ったら
今度は、母が重いツワリと切迫早産で、
私と母は、祖母の家で過ごす事になりました。

ここでも、祖母と同居していた従姉弟が学校から帰って来るまでの間、いつも時間を持て余していて
机やタンスの溝をひたすら指で謎るという遊び?(特に楽しくは無い。でもほぼ日課にしていたような気がするので、ある種の強迫行為だったのかも)をしていた事もありました。




小学生になると、マンガや本の世界に没頭しました。
(転校やらイジメやらがあり、友達関係が充実したワケでは無かったんですよね。)
魔法少女になる事を夢見たり
自分の理想の女の子を何枚も紙に書いたりしていました。
(そういう女の子になって、皆から好かれたい!と本気で思っていた。)


中学生は、そこそこ楽しかったな。
面白い友達が増えて、よく笑っていたし
学校へ行くのも楽しかった。

けれど
高校生になると、毎日が退屈で退屈で仕方が無くなり、本や映画やドラマを観ている時は生き生きとしていた気がします。

看護専門学校に入ってからは、ようやく目標を得て、楽しかったな。
(ここで、初めての恋愛やらお付き合いやらがあったしね😉)

けれど
就職先には、夢見ていた【充実】という幸せは無く、ここからメンタルが崩れて行きました。



私の中には、いつの間にか空虚感が巣食っていて
「〜になったら、満足出来るはず。」という思考で生きるようになっていました。




この「〜になったら。〜だったら」という思考は、手を変え品を変え
私の元にやって来ては、去って行きました。



最たるものは

元夫がギャンブラーだったので
「この人がまともになったら」という思考。


でも、小さなものは、つい最近もあって
「フルタイムの仕事を辞められたら」と思っていました。



自分自身の空虚感に気づいてからは
そこをしっかりと視て
受け入れ
それの主要原因であるセルフネグレクトをやめ、自分の感情を受け入れるという自己受容をコツコツやる事によって

だんだん夢への逃避だけの人生から
地に足が着くようになって来ました。



けれども

空虚感というやつは

無くならないのです。






特にこの1年程は


私は、職業柄、人生の最後のステージの方々と多く接しますし
夫の発病もあり・・・・


生きる意味を考える機会が多く


意味とか使命とかって
無いよなぁー

そこに、自分がどう意味づけするか、というだけだよなぁ

という想いを強めています。





この思想によって

前向きな気持ちになれる時もあるし

今ここ
目の前の人や事や物をしっかり感じて
味わって
大切にして生きよう!と思えるようになったし

ありふれた普通の1日や時間に
幸せを見出だせる様になりました。

ささいな出来事に、心が震える程感動したり
じーーーんと温かい気持ちになる事もあって
それは、本当に本当に【幸せだ】と感じる感覚です。



けれども
少し疲れていたり
気持ちが落ちていたりすると

どぶん。と私を空虚感に引きずり落とす事もあります。




そんなワケで
自己受容を続けていますが

私は、今も、空虚感と共に生きていると言っても過言は無いと思います。

それに振り回されたり
絶望的な気持ちになったり
という事が減ったとは思いますが。




そもそも

無くそう!という思考自体が
【ここでは無いどこかに幸せを求める思考】そのものなのですよね😊


誰しもきっと
この感覚は、どこかで持ちながら生きているものなのかも?




息子の不登校
私の更年期障害
夫の闘病生活
イヤイヤ3歳児育児
(育児は、とてつもない幸せ感もくれるものだけれど、時にはイライラして疲れる事もあります)

それから

コロナ

これらが、私の空虚感を刺激しているのだな・・・と、感じます。





そろそろ

生活の中に


【美味しいものを食べる】以外の

遊び心という名のドーパミン刺激も必要だったよ!!!




身体動かそ!

あーー。遊びに行きたいっっっ!!!!



幼い頃の自分の記憶が出て来た事を考えても、単純に、退屈しているんだな。
きっと😆


ちづ