私は、長らく、外からの評価=自己価値としていました。 

だから

学生時代は、優等生で居ようとしたし

世間的に認められ、褒められるからという理由(だけじゃ無いけど)で看護師になり

働き出したら、ミスしないように、早く1人前になれるようにと
真面目に真面目に、頑張りました。

頑張って

頑張って

心身ともにヘトヘトになりました😭

だから

【頑張らなくていいよ】
【そのまんまのダメなあなたで愛されるよ】
【ダメなまんまの方が上手く行くよ】
【好きな事だけすれば良いんだよ】

という言葉に衝撃を受けました。

そして、救われた様な気持ちになりました。


その教えの世界にどっぷり数年浸かってみて
今、思うのは

頑張らないという事は
エネルギー不足になる

という事です。

そのままの、ありのままの自分で
頑張らず
好きな事だけする
(↑もちろん頑張らない範囲でやる 笑)
のんびりとした在り方は
じんわり満たされるし、癒やされます✨

それはそれで幸せなのだけれど
張り合いというか
生き甲斐というか
なんと言うか【イキイキ感】が足りなくなるのですよね、、、。




人には、承認欲求も所属欲求もあるし
自己効力感を感じたいという欲求があります。

そこにとらわれて
そこでストップしてしまう生き方は
それはそれで苦しいし
満たされないのだけれど

その欲求があるという事を認め
それを満たす行為も行う事って、大切なのでは無いかと思うのです。


つまり

ただの自分
そのまんまの自分

それで良い。

今、ここでただ存在しているだけで
価値がある。(無くてもいい)

と、同時に

社会で活躍する自分もいる。

家庭での役割りを果たす自分もいる。

それを頑張る自分もいる。

両方、どっちも大事。


という事です。


そのまんまの自分を受け入れ
そこに価値を見出し
大切にする車輪(自己受容)と

承認欲求や所属欲求、
自己効力感や達成感などを感じたい自分を
大切にして、頑張って行く車輪
(これは、最終的には他者貢献をしたいという欲求に繋がっていると思います。)

その両輪で進んで行くイメージです。



役割りを全うする事ばかりに注力し
自分を殺し
評価される為だけに
頑張っていた人は
(自己肯定感が低く、他者承認と自己効力感のみの車輪で生きて来た人)

もう片方の車輪を育てる必要がありますが

最終的には、両輪バランス良くあった方が
どんな道でも安定した走行が出来ますよね😊



アクト療法は
受け入れる車輪と
コミットメントする車輪の両輪を
バランス良く育てて行く療法だと思います。


人はね。

自分のハートの指し示す軸に沿った行動を
して行く事で
【生き生きと生きている】という
満足感や充足感を感じる生き物なのだと思います😊


ちづ